夢追いのガーネット
Episode 22
ドリンクを用意するために早めに起床した紅は、予定通りにミーティングルームに入る。
今日の最終確認を終わらせ、それぞれが別れてグラウンドへと向かう。
紅も、用意していたドリンク籠をゴロゴロと引きながら暁斗と共に建物を後にした。
グラウンドに集合した参加者は、その殆どが見慣れない人物へと視線を向けている。
そんな彼らの視線を集めている人物と言えば、言うまでも無く昨日来たばかりの暁斗だ。
Tシャツにジャージと言う出で立ちでありながら、同性であっても素直に格好良いと言える。
ブラウン管越しに見ていても可笑しくは無い容姿だ。
サングラス越しの眼がどこを向いているのかはわからない。
「尾花沢監督、メンバーは集まりましたか?」
その形良い唇が動き、高すぎず低すぎず丁度良い声が紡がれる。
例のマネージャー二人が聞けば頬を赤らめるところだろう。
尤も、今この場に居るマネージャーは紅だけなのだが。
名指しで呼ばれた尾花沢は、集まっている参加者をぐるりと見回し、人数の確認を済ませる。
彼が頷くのを見て、暁斗は一歩足を踏み出した。
「はい、注目!―――男に注目されても何ら嬉しくねぇけど…そうも言ってられねぇしな」
ポツリと呟かれた後半部分の本音に、傍らに控えていた紅が呆れたように肩を竦めて溜め息を吐く。
元々彼に視線を向けていた者はそのまま、向けていなかった者も次第に彼に注目する。
全員を一瞥した後、暁斗は口を開いて説明を始めた。
「最後になったが、俺は雪耶暁斗。今回の都選抜のスポンサー代表、及び最高責任者だ」
サングラスを外しつつ、彼は得意の笑みを浮かべる。
そこらの芸能人よりも遥かに顔立ちは良く、学校など女性の多い場であったなら黄色い声援の飛ぶところだ。
「んー…あとは…そうだな。俺から一言」
今一度ぐるりと参加者を見回し、彼は紡ぐ。
「楽しめよ、サッカー少年達」
試合は進む。
紅白に分かれたAとBは、どちらも互角の戦いを見せていた。
無論、それはAを贔屓していた尾花沢にとっては意外なこと。
驚く彼の様子に、紅は気付かれないようにクスリと笑った。
監督、コーチ、サポートスタッフ、全員が選手の選抜用のファイルを片手に試合に集中している。
一応彼女にも持っていてもらいましょう、と言う暁斗の声により、そのファイルは紅の手元にもある。
ふと、彼が紅の隣に立ち、彼女のそれを覗き込んだ。
「どんな感じだ?」
「皆、調子は良さそう」
「あぁ。メンバーは変更ありそうか?」
参加者の名前の隣に付けられている5段階の評価。
一番上が5で下が1。
5、4は合格がほぼ決定していて、3は今日の動き次第。
2は今日の試合で課題がこなせれば、合格も見えてくる。
そして残りの1に関しては―――限りなく不合格に近い。
それぞれが個性を持ち、それぞれにサッカーに取り組んでいる。
それに対して、順位を付けなければならないと言う事が、紅には重かった。
彼女の心境に気付いたのか、暁斗がポンとその肩に手を乗せる。
「俺が見てるから、お前はサッカー観戦を楽しめばいいぞ」
「え、でも…マネージャーの仕事は…」
「ドリンクさえ用意してあればOK。後はあの子達に任せてあるからな。今まで見れなかった分、楽しんどけよ」
言い終わるが早いか、彼は紅の持っていたシャーペンとファイルを取り上げてしまう。
あ、と声を上げた時にはすでにファイルは彼の腕の中にしっかりと抱え込まれていた。
返してもらおうと手を伸ばす彼女だが、くいと暁斗の指がフィールドの方を指差す。
何を言うでもないその眼差しとフィールドとを交互に見つめた紅だったが、やがて渋々頷いた。
強制的とも言える形で観戦を余儀なくされた紅。
しかし、見始めてしまえばそんな事など考えていられる彼女ではない。
まるで一つ一つのプレーに駆り立てられるように、子供のような無邪気さを垣間見せるその眼差し。
右へ左へとボールを追ってみたり、ボールを持たない選手の動きに着目したりと眼は忙しなく動く。
その中でも彼女の視線を一番長く集めている人物に気付き、暁斗は口元を持ち上げた。
「ホント好きだよなぁ…サッカーしてる時のアイツ」
「兄さん、何か言った?」
丁度一点目のゴールの声に掻き消された暁斗の声。
紅の問いかけに対して彼は何でもない、と首を振った。
「水野!上がってよし!交代だ!」
尾花沢の声が飛び、選手の中にざわめきが広がる。
紅はその言葉を聞くなりベンチに用意してあったタオルとドリンクを1セット抱えて来た。
交代、と言えば通常の試合ならば何か不備があった、或いは作戦によって行うもの。
だが、今は選抜である。
作戦として交代させると考えるのは妥当ではなく、よって前者の可能性の方が高い。
選手の中では『交代=不合格』に近い方程式が成り立っていた。
「玲姉さんも、それを許可した兄さんも意地悪だ…」
「紅、言いたい事があるならはっきり言え?」
「………何でもありません」
ビブスを投げつける形で渡してこちらへと歩いてくる水野。
そんな彼に心の中で同情した。
事実を知る紅からすれば喜ぶべき現状は、彼の中では苛立ちでしかないようだ。
溜め息一つと一緒にそんな考えを捨て、紅は腕にタオルと彼のドリンクボトルを抱えて歩み寄った。
「お疲れ様」
その一言と共に、紅はそれらを彼に手渡す。
一度紅の方を向くも、彼は何も言わずにそれを受け取り、視線を尾花沢へと向けた。
つき返されなかっただけマシか…と思いつつ、肩を竦めて暁斗の隣に戻る紅。
今はまだ「おめでとう」と言うのは早いだろう。
「意地悪だよね、兄さん達」
「何だ?やっぱり言う事にしたのか」
紅の言葉など全く気にしていない様子で暁斗は笑う。
彼の様子にがっくりと肩を落としつつ、視線を試合に戻した。
「あのな、紅。実力世界で生き抜くには、メンタル面も大事なんだ」
「今回のは兄さんと姉さんの遊びも何割かは入ってるよね」
「…まぁ、否定はしない。あいつらの成長を思えば十分すぎる配慮だと思うけどな。それに―――って、紅。聞いて……」
聞いてんのか?と言う言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
今まではチラリと話の要所では向けられていた視線が、試合に釘付けになっているのだ。
彼女の目線の先を辿り、彼はやれやれと肩を竦める。
「ウチの姫さんはサッカー少年に夢中…か」
彼女の視線を独占している少年を見つめ、そう呟く。
集中している彼女の耳にその声が拾われる事はなかった。
彼の足を離れたボールは一直線にゴール左隅を目指す。
だが、武蔵森を率いる渋沢によって、そのシュートがゴールネットを揺らす事はなかった。
「紅紅」
「何?」
「外面が崩れてるぞ」
暁斗の溜め息交じりの言葉に、紅はハッと我に返る。
彼女は猫かぶりなわけではない。
ただ、出るところに出れば自身を取り繕う術を知っている、と言ったところか。
相手を騙すわけではなく、出来る限り人当たりの良い接し方になるように。
それが、大人を相手にする機会の多い彼女が生み出した、彼女なりの世渡りの方法だ。
今現在―――その表情が、崩れている。
「あー…駄目だ…」
腕に提げていたタオルに顔を埋め、紅は小さく呟いた。
どうしようもなく好きな人が目の前に居て、素晴らしく格好の良い姿を見せられて。
平然と外面を保てる女がどこに居るだろうか。
「紅は気分でも悪いの?」
「ん?まさか。照れまくってるだけだろ」
「………あぁ、翼ね」
「ほんとに微笑ましい奴らだよ、まったく…」