夢追いのガーネット
Episode 21
紅を部屋まで送ってきた翼を見るなり、玲は何かを察したらしく鍵を持って部屋を後にした。
彼女の気遣いに感謝したのは翼で、紅の方はと言うと彼女が居なくなってしまった事に対して内心顔を青くする。
救急箱から湿布を取り出し、彼は有無を言わせず彼女をベッドに座らせた。
向かい合うように膝を着くと、少しばかり赤くなっている彼女の足首を掴む。
確かに彼女自身が言っていたように症状事態は軽そうだ。
寝ている間に剥がれないようにとテープで固定されるそれを見ながら、紅はこれからどうしようかと頭を悩ませる。
マシンガントークが飛んできても可笑しくはないこの状況で、貝の如く口を噤んだままの彼。
幼馴染としての勘が告げていた。
―――彼は怒っている、と。
バチンと救急箱の止め具を閉じると、翼は沈黙のままそれを元の場所に戻すべく立ち上がる。
「あの………ありがとう」
これだけは言わなければと、半ば反射的にその背中を呼び止める。
彼は荷物が纏めてある方へと歩き出そうとしていた足を止め、身体を振り向かせた。
そして、その場に救急箱を置き、紅の隣に腰掛ける。
「いつから?」
「へ?な、何が…?」
「いつから、あの二人に目を付けられてたの?」
並んで窓の方を向いている二人の視線は絡む事無く平行に伸びている。
カーテンを閉めなければ、と半ば回らない頭の片隅で思った。
「初め…じゃないかな。テストの前半…」
「…昼食前?」
「………うん。確か、翼がボールコントロールのテストを終えたくらいだから」
「って事は…俺の前に紅の所に行ってたってわけか…」
小さく呟いた声は、それでも隣に座る紅には十分聞こえるものだった。
首を傾げた彼女に気付いたのか、彼は少し躊躇った後口を開く。
「言う必要ないと思ってたけど…昼食の時、佐倉に掴まったんだよ」
「あぁ、だから柾輝が探してたのね」
“掴まった”と言う彼の言い方だけで察してしまう。
学校でも、未だによくある呼び出しと言うものだ。
無論、この場合は気に入らない人を呼び出すのではなく、告白の為に呼び出す方である。
思ったよりも手が早かったんだなと場違いな感想を抱くが、何とか喉に飲み込んでしまう事に成功する。
「俺が突き放してれば、紅に被害が及ぶ事はなかったかな…」
「は?」
予想外の彼の呟きに、紅は思わず眉を潜めてそんな声を上げた。
怪我を彼の所為にするつもりはないし、告白自体知らなかったのだから突き放していればなんて思う筈もない。
心外だとばかりに表情を歪める彼女を察してか、彼は苦笑を浮かべた。
「ごめん」
「笑えない冗談だったって思っとく」
そう言うと紅はそのまま上半身を後ろに倒す。
シーツがばふんと彼女の背中を優しく受け止めた。
チラリと翼の視線が向けられた事に気付いたが、彼女は視線を合わせる事無く天井を見つめる。
「…実を言うと…避けられたけど、避けなかった」
呟くような音量でそういえば、今度は翼が「は?」と納得がいかないと言う声を発する。
窓に戻そうとしていた視線は驚くような速さで彼女へと逆戻り。
その様子を眺めていた紅は、今度こそしっかりと視線を絡めた。
「何で?」
「彼女が、本気だったから」
視界の端に流れている髪を一筋拾い上げ、自身の指に絡める。
例えようのない罪悪感のようなものを与えるその眼差しから逃れるように。
「こうして翼が隣に居てくれるのが当然みたいに思ってるけど…実際は違うんだなって。
私も…もし幼馴染じゃなかったら、あの子と同じように遠くから見てる事しか出来なかったのかなって…
そんな事考えてたら、避けちゃいけないような気がしたの」
「そんなの…紅が考える事じゃないだろ」
「うん。でも…らしくも無く、そう言う事考えちゃったんだよね…」
気を悪くさせてごめん。
そう言うと彼女は自身の腕を目の上に載せ、光を遮ってしまう。
暗闇の中で思い出したのは、薄く涙を溜めた彼女の眼。
思わず息を呑んだ次の瞬間。
紅は自身の唇に温もりを感じた。
そしてそっと腕を退けられたかと思えば、そのまま頬を挟みこまれる。
開いた視界に、翼の真剣な表情が映り込んだ。
「俺は紅が好きだよ」
「つ、ばさ…?」
「そう言う馬鹿みたいなことで悩んだりして、勝手に突っ走って。
挙句の果てに怪我までするような奴だけど…俺が好きなのは、そう言う紅だから」
その眼差しの強さに、頬を染め上げる事すら忘れてしまう。
近い距離から覗き込まれ、自身の何とも言えない表情が彼の眼に映っているのを見る。
「幼馴染じゃなかったら…そんな事、考えたって仕方ないだろ。俺達が幼馴染だって言う事実は悩んだって変わらないよ」
「わかってるけど…」
「なら、もっと自信を持ったら?」
そう言って、優しく添えられていた手が彼女の頬をぐいと引っ張る。
びよんと伸ばされた事に彼女が眉を寄せれば、彼はふっと口元に笑みを浮かべた。
そして指先を緩めると、先程引っ張った頬に唇を落とす。
「俺達まだガキだし、これからの事なんて決めるべきじゃないと思う」
「うん」
「でも、俺はずっと一緒に居るつもりだよ。これから先、紅以上に誰かを好きになるなんて、想像出来ない」
「………い、いつになく積極的ですね…翼さん」
今頃になって体勢や彼の行動、言動を理解したのか、紅はさっと頬を染める。
いよいよ視線を合わせられなくなった彼女に、彼は得意の笑みを浮かべた。
「誰かさんははっきり言わないと自信が持てないみたいだから。今後の防止策として口に出しておくよ」
「………ごめん」
「謝るなら理解したって事だよね?次は無いよ」
翼はそう言うと漸く身体を離す。
彼女を跨ぐのをやめ、再び隣に腰を下ろした。
また同じ姿勢に戻られては堪らない、と紅はいそいそと身体を起こす。
未だに頬は赤く、熱を孕んだ顔は暫く戻りそうに無い。
そんな彼女の様子を、翼は頬杖をつきつつ楽しそうに眺めていた。
「えっと…ごめん、ね?」
「今度は何に対する謝罪?」
「明日、大事な日なのに………こんな事になって」
そう、忘れてはならないはずだった。
それなのに、こうして迷惑をかけてしまったことが彼女の中で悔やまれる。
眉尻を下げた彼女に、彼は短い溜め息を吐き出した。
「何?紅は俺が落ちると思ってるの?」
「まさか!翼なら大丈夫だと思ってるけど…」
「けど、何?こんな事くらいで動揺して落ちるようなら、世界になんていけるわけないだろ」
馬鹿じゃないの?と肩を竦める彼は、すでにいつもの調子を取り戻したようだ。
彼の返答に、紅は「そっか」と安心したように表情を緩め、脇に置いてあった枕を抱く。
そんな彼女を一瞥すると、彼はふいっと顔を逸らし、立ち上がる。
心なしか顔が赤い気がするのは気のせいだろうか?と紅は内心首をかしげた。
「…じゃあ、俺もう戻るから」
「あ…うん」
「…………………あのな…。そんな残念そうな顔しないでくれる?戻れないだろ」
前髪を掻き揚げつつ、彼は肩を落とす。
そして、紅が慌てて取り繕うように言葉を発するのを、眺めた。
大丈夫だから、としきりに訴える彼女の様子に思わず笑みが零れてしまう辺り、自分も大概だなと思う。
何のための合宿かを考えれば、こうして彼女と馴れ合うのは間違っているのだとは理解している。
それでも、彼にとってはサッカーと比べられないほどに大切な存在なのだから仕方が無かった。
「本当に、大丈夫だから!もう戻って」
いよいよ実力行使に出た紅は、抱えていた枕を放り投げて翼の背中をドアの方へと押していく。
流石に戻るつもりだった彼は大人しくそれに従った。
そして、ドアから彼を廊下に放り出すと、彼女はそこから顔を覗かせる。
何やら思案顔の彼女に、翼が首を傾げてその名前を呼んだ。
「…翼」
「何?」
「………私も、好きだから」
言葉に答える暇も用意されず、扉はバタンと閉じられる。
翼は閉じたドアを凝視したままその場に佇んだ。
「……………言い逃げ…」
そんな呟きと共に、そっと口元を手で覆う。
数秒後、彼は玲に部屋に戻ってもいいとメールしながら、自身の部屋に向けて足を運んだ。