夢追いのガーネット
Episode 19
家庭の事情とやらで遅れていた鳴海が合宿に合流した。
それをきっかけに、と言うわけではないが、予定通りにAB混合の練習が始まる。
今日はBのマネージメントのみ、とされている紅は、玲の傍らでバインダーを片手に佇んでいた。
「ボールに触った回数のカウントをお願いするわね」
「わかりました。ワンタッチも含めますか?」
「そうね。取りこぼしであっても全部。それと、ミス、シュートの回数も」
出来る?と言う玲の言葉に、紅は力強く頷いてみせる。
彼女の行動に満足げに微笑んだ玲は、ストップウォッチ片手に一瞬行動を止めた。
何を考えているのかと首を傾げる紅に答える事無く、彼女は自身の行動を決めたらしい。
「佐倉さん。尾花沢さん。あなた達にはストップウォッチを持っていてもらいます。使い方はわかるわね?」
指名を受けた彼女らはビクリと肩を揺らし、躊躇いつつも玲の元へと歩いてきた。
朝の一件で、彼女は自分達に甘くしてくれる事は無いと悟ったのだろう。
お互いの失敗を補えるようにと、玲は各自にストップウォッチを手渡す。
「ミニゲームは15分。終了と同時に…そうね、尾花沢さんに渡しておくから、これを吹いて」
頼んだわよ、と言い残し、彼女らから離れて紅の隣へと戻ってくる玲。
そんな彼女を横目に、紅は問いかける。
「大丈夫なんですか?」
「あの程度なら武蔵森でもやってたでしょう。それに、一応緊張はしてるみたいだから…」
きっと大丈夫よ。
そう言って、彼女はミニゲーム開始を宣言。
スタッフの人のホイッスルと同時に、選手らがピッチを駆け出した。
紅は会話を中断させ、シャーペンを握る指に力を篭める。
蹴り上げられたボールを追って、彼女の目がフィールド内を動いた。
チームが二組目へと移る。
途中、鳴海の行動により空気は一変した。
同じチームである風祭を吹き飛ばし、代わりに彼に向けられていたパスを受け取り、ゴールネットを揺らす。
自分以外は皆敵だと言った彼の言葉は、参加者それぞれの考え方を変えた。
「…ふぅん…」
ペラペラと紙をめくり、目当てのページを見下ろす紅。
正直、苦手なタイプの人間だと思っていた。
無論それで差別するような彼女ではないのだが、やはり人間である以上得意不得意があっても可笑しくはない。
第一印象から、彼女の中ではかなり低い位置まで落ちていた彼だが、ここで平均程度には持ち上がった。
一見乱暴とも無謀とも取れ、チームに悪影響すら及ぼしかねない彼の発言。
しかし、彼の行動力やその存在の大きさは、チームを大きく左右させるだろう。
「…悪くは無い」
確実に増えていく、彼の欄のチェック。
誰もが、鳴海にボールが集い始めている事を感じていた。
シャーペンの先から顔を覗かせる芯が、カリカリと文章を書き綴っていく。
翌日の選考についての説明があり、一同は解散となった。
心配など全く見せていない者も居れば、青い顔で選考までの時間を数える者も居る。
明日までの自由時間―――今から何かをするには少し短いように思え、でも何もしないには少しばかり長い。
「紅。夕食前に会議を行うわ。参加して頂戴」
「わかりました」
「時間は5時厳守。ミーティングルームよ。今までの資料は全て持ち込んで」
手短に内容だけを説明し、それに対して紅が確かに頷くのを見届けると玲は建物の中へと消える。
腕時計で5時までの残りを確認し、汗を流す程度の時間はあるなと荷物を纏める。
「紅ー。今から将と遊んでくるけど、お前も来る?」
ボール片手に背後から声がかかり、紅は荷物を腕に抱えたまま振り向いた。
そこに居たのは予想通りの人物で、彼女は普段通りに表情を緩めながら首を振る。
どうやら彼は先程の玲との遣り取りを知らないらしい。
「誘ってくれたのにごめん。今から会議に参加するから無理なの」
「紅も会議に?」
「そのために来たんだしね」
そう言って彼女は腕に抱えていたそれを軽く持ち上げる。
そこに書かれているのが彼女なりの参加者に対する見解なのだと言う事は、想像するに容易い。
翼は「ふぅん」と呟き、その後口角をにっと持ち上げた。
「紅の目は確かだからね。今回も濁ってない事を期待するよ」
「あはは。ご期待に沿えるように頑張ります。じゃあね」
片腕に荷物を持って、空いた手をひらひらと振る。
手を振りかえす、という事はなかったが、翼も軽く片腕を持ち上げてそれに答えた。
激しい運動の後と言うわけではないが、サポートと言うのはそれなりに動く。
汗を流してすっきりした後、紅は時間厳守と言われた5時よりも10分ほど前にミーティングルームに姿を現した。
コンコンと扉をノックすれば、中からマルコが顔を出す。
『失礼してもよろしいですか?』
『あぁ、構わないよ。半分持とう』
咄嗟に彼の言葉に合わせるあたり、頭の回転の速さが窺える。
マルコは紅の腕に積んでいた十センチはあろうかと言うそれの半分を受け取った。
全てを受け取らなかったのは、責任感の強い彼女の性格を見越してのことだろう。
紅は彼の親切を素直に受け入れ、ありがとうございますと微笑んだ。
「早かったわね」
「ええ。時間厳守って聞きましたから」
玲の言葉ににこりと笑い、紅は持っていた資料を彼女に手渡す。
綺麗に纏め上げられた資料には、所々に彼女の字で詳細が記されている。
座りなさい、と勧められ、紅は彼女の隣に腰を下ろした。
シャワーの時に解いていた髪を後ろの低い位置で纏め上げ、掛けていなかった眼鏡を着用する。
そして、自分の持ってきた資料に自身もまた視線を落とした。
それから数分後、ガチャリと扉が開いて尾花沢監督が顔を出す。
「あぁ、もう揃っているな。ご苦労様」
「監督。資料です」
紅は自身の脇においてあった資料を纏めた冊子を、椅子に腰掛けた彼に手渡す。
それを受け取った後、彼はチラリと紅に視線を投げかけた。
「あー…君はマネージャーだ。この会議に呼んだ覚えはないが……」
尾花沢の言葉を遮るように、ノックの後すでに面子が揃っていたはずのミーティングルームの扉が開く。
返事を待たずに扉を開いて室内に足を踏み入れた人物に、紅はきょとんと目を見開いた。
全身を黒と赤で統一したセンスの良い着衣に身を包み、ダークブラウンのサングラスの人物。
「この子は実に優秀な子でしてね。私が直々に会議に参加してもらうよう西園寺コーチに頼みました」
サングラスを外し、それを襟元に提げながらその人物は口を開く。
そして、驚いた様子の紅に向けて笑みを零した。
「君は誰だね?ここは関係者以外立ち入り禁止だ。出て行きたまえ」
「あぁ、失礼。紹介が遅れましたね」
そう言って彼はポケットから名刺を取り出す。
尾花沢に向けて人の良い爽やかな笑みを浮かべ、続けた。
「雪耶暁斗。都選抜スポンサー代表兼最高責任者です」
以後お見知りおきを、と彼は笑い、そして未だ状況を把握できないで居る紅の肩に手を乗せた。
見上げる紅に心配するなと軽く片目を閉じてみせる。
「この子は私の妹です。身内の色眼鏡を差し引いても十分に有能ですのでご安心を」
「そ、それは安心ですな…」
「さて。では、会議に入っていただきましょう。時間も迫っていますしね」
何だか理解が追いつく前に話を進められてしまった。
詳しい話は後で問い詰めよう、と思うと、紅も会議の方に集中する。
明日の詳細説明の後、軽い選手選考に入った。
そこで初めて、尾花沢の声の合間に暁斗が声を発する。
「私は今までの合宿の様子を知りません。選考の前にそれをお聞きしたいのですが…」
「あぁ、確かに。では、説明を……」
「紅。出来るか?」
もう一人のスタッフに説明を頼もうと首を動かす尾花沢。
しかし、彼はその声を遮って紅を呼んだ。
突然話題に上げられて驚く彼女だが、すぐに持ち前の冷静さを取り戻して「はい」と頷く。
彼女の返事に満足げに目を細め、資料冊子を開きつつ暁斗は言葉を待った。
「全員の技力に関してはその資料に全て記載してありますので詳細は省きます」
「あぁ、それで構わない。お前の見解を聞かせてもらおう」
「…まず、上をランクAと見た場合のAからCまでの選手を」
つらつらと選手の名前を並べ、それに自身の考えを一言ずつ添える。
AからBへと移り、そしてCまでの説明を終えた。
B、Cに関しては克服すべき課題、及びその方法まで事細かに説明する。
先程はマネージャーとして退席させようとした尾花沢も、彼女の意見には内心舌を巻いた。
下手をすれば、そこらの監督よりも遥かに見るべきものを見ている。
大人の中で一人中学生と言う不安定な立場でありながら、彼女はそれに臆する事無く自信を持っていた。
「――これに関してはまだ実力不足と言えます。…以上です」
「ご苦労。大体わかった。他に何か補足事項はありますか?」
そう言って暁斗が一同を見回すが、それに声が上がる事はない。
それほどに、紅の説明は簡略且つ的確に物事を捉えていた。
人選は正しかった、玲は内心でそう思い、そっと笑みを深める。