夢追いのガーネット
Episode 16
玲から楽しんでいらっしゃいと言う了承の言葉を受け、紅はベッドに腰掛けて携帯を操作する。
部屋には簡素なものとは言えシャワールームが設置されていて、今は彼女と入れ替わって玲が使用している。
湿り気を帯びている髪を首にかけたタオルに押し当て、メール送信を終えた携帯をシーツの上に放り投げた。
参加者達ほど動いていないとは言え、やはり日中せかせかと動き回れば汗もかいている。
シャワーでそれを流し、心身共にすっきりしていた。
「お。もう返ってきた」
シーツにいくらか音を吸い取られ、少しばかり音量の下がった着信メロディ。
パカッと開き、指先で操作してメールの内容を確認し終えるとそれに返信を返す。
丁度画面に『送信しました』と表示されると同時に、玲がシャワールームから姿を見せた。
「丁度よかった。もう行くらしいので、今から夕食をとってきますね」
「あ、じゃあシャワールームの鍵を閉めておいてくれる?返しに行くのは食事の後でいいわ」
「了解です。鍵、これですよね」
「ええ。行ってらっしゃい。別に急がなくてもいいわよ」
そう言ってにこやかに微笑む湯上り美人。
その笑顔につられるように紅もにこりと笑い、携帯と鍵を別のポケットに押し込んでベッドから降りる。
行ってきますと玲に声を掛け、紅は部屋を出て行く。
自販機前に集合、と言うメールが届いたのは、ドアが完全に閉まりきるのとほぼ同時だった。
「ねぇ、あれって柾輝が原因?」
「原因って…他に言い方ないわけ?」
箸を片手に紅は隣の翼に問いかける。
彼女の言葉に呆れたような声を返すが、向かいに座る柾輝の様子が肯定を表していた。
三人の視線の先には、夕食を載せたトレーを両手で持ち、裸足の足元にボールを転がす風祭。
参加者達の視線を集めているにも拘らず、彼はそんな事は気にしていないようだった。
ただ足元からボールを放さないと言う一心にのみ集中する。
傍らを通り過ぎる彼を眺めながら、翼と柾輝が言葉を交わす。
「怖い奴だろ」
「ああ。ああ言うタイプが一番怖い。邪魔になるプライドがないからどこまでも貪欲に吸収しようとする」
柾輝の言葉に、紅がポンと手を叩く。
そしてにっこりと笑ってこう言った。
「翼みたいに無駄に高いプライドがないと成長も早いよね」
「…喧嘩売ってる?」
「ううん。褒めてるの」
翼の笑顔の追求をサラリと受け流し、紅は視線を素早く風祭の方へと向けてしまう。
扱いに慣れている分性質が悪い、と思いながらも翼は口を噤む。
暖簾に腕押し、こうなってしまっては何を言っても無駄だ。
「でもさー…TPOは考えるべきよね」
「何が?」
すでに食事を終え、雑談モードになっている三人。
紅がポツリと零した言葉に二人が首を傾げる。
彼女はそれに返事を返す代わりに、あっち、と指差す。
二人がその指先を辿り、振り向こうとした丁度その時。
――ガシャン カラカラ…――
「考えないからああなる。食堂にボールを持ち込むのは衛生面にも悪い」
「………雪耶、冷静だな」
「ああ言う子って自分で痛い目見ないとわかんないでしょ。言っても効果ないし」
そう言いながらも、目線は風祭の方を向いている。
説明を加えておくならば、先程の音は彼の手にしていたトレーに載っていた全てが落ちた音。
尤も、落ちただけならば勿体無い事に変わりは無いが大きな問題ではない。
不運な事に、落ちた先にはテーブルがあり、当然のことながら人が居た。
「いい加減にしろよ!!てめ――っ!!」
「風祭くんも運が無いねー…。何も一番怒りそうな真田くんに…」
胸倉を掴んで怒号を上げる真田と、そして心底申し訳なさそうに謝罪する風祭。
食堂の声を代表するかのように真田は言葉を続けている。
彼の友人二人も同じ気持ちなのか、止めるつもりは更々無いようだ。
責められる風祭を見ながらも動こうとはしない紅に、翼は不思議そうに首を傾げた。
「止めに行かないんだ?」
珍しい、とでも言いたげである。
紅は彼の言葉に肩を竦めて見せた。
「今回ばかりは風祭くんが悪いね。公共の場所だって事は考えないと」
やっぱりTPOは重要。そう言って紅はストローを咥える。
だが、口ではそう言ってもやはり気になるのは性分と言うところか。
視線を釘付けにさせている彼女に、翼と柾輝は顔を見合わせて密かに笑う。
彼女が立ち上がるのも時間の問題だろう。
騒ぎは紅の乱入を待たずして鎮静した。
二人を止めたのは、紅が食堂で仲良くなっていたおばさんの一人。
拳が出そうになった真田の代わりに風祭に拳骨を落とす事で事態を収拾した辺り、年の功だと感じる。
彼女からタオルを受け取った真田は、そのまま食堂を立ち去った。
「…ごめん。先に帰るね」
彼を見送った紅だが、少し考えるとガタンと椅子を引いて席を立つ。
自身の使った食器を返却口に返しつつ「ご馳走様でした」と言ってそのまま足早に食堂を去った。
「………いいのか?」
「何が?」
パタンと閉じた扉を見ていた柾輝が翼に問いかける。
彼はカップに残っていた飲み物を喉に通しつつ質問を重ねた。
「雪耶。明らかに真田を追いかけたぜ?」
「いいんじゃない?別に。…紅だし」
「あぁ、確かにな」
そう言って柾輝はククッと笑う。
紅だから。
それだけで理由になるのは、それなりに付き合いの長い自分達だからこそ出来る会話だろう。
「心配はしないのか?」
「愚問だよ。柾輝にしては野暮な事を聞くね」
心配のしの字も垣間見せないように、翼は口角を持ち上げて答える。
自信に満ちた笑みは彼だからこそ使いこなせるもののようにすら感じられた。
「…だな」
笑いつつ、柾輝は肩を竦めた。
彼女に限って心移りなど、天地がひっくり返っても有り得ないだろう。
一見すると翼からの想いの方が前面に立っていて気付かないが、紅も十分彼のことを好いている。
自分に向ける笑顔と翼に向けるそれは、似ているようで明らかに違うのだ。
その内に合流するんだろうな、などと考えつつ、トレーを片手に立ち上がった翼に続く柾輝だった。
食堂を出て、左右を見回す。
右の廊下に今まさに曲がった人物を見止め、紅はそちらに向かって駆け出した。
「真田くん!」
「…?あ、マネージャー」
「マネージャーじゃなくて雪耶」
声に反応して振り向いた真田の声に即座に返事のそれを上げる紅。
切り返しの速さは、翼の折り紙つきだ。
「タオルだけじゃ気持ち悪いでしょ?監督には私から話しておくから、シャワールームを使わせてもらいなよ」
玲から預かっていた鍵を取り出し、彼の手を引いてその上に落とす。
シャワールームと書かれたキープレートのついたそれと紅とを交互に見る彼。
「…さんきゅ」
「どういたしまして。使い終わったら携帯に連絡して―――…って、アドレス知らないよね」
ごめんごめん、とそう言って紅はポケットから携帯を取り出す。
そして、それをパカッと開き、彼に視線を向けた。
「携帯持ってるよね?」
「あ、ああ」
「…番号、教えても大丈夫?」
「いいけど……何で聞く必要があるんだよ?」
そう問いかける彼に、紅はきょとんとした目を向ける。
開いたままの携帯を片手に呆けた表情を見せる彼女は、傍からは少しばかり滑稽に見えただろう。
「彼女とかいたら困るでしょ。あ、使った後ですぐに消せば大丈夫か」
「や。そんなの居ないから」
「そう?じゃあ問題ない?」
そう言って首を傾げる紅に、真田は「おぅ」と小さく返した。
その答えに満足げに笑顔を浮かべ、彼の準備が出来るのを待って番号を読み上げる。
彼女の溢れんばかりの笑顔を間近で見た彼は、頬を赤くせずに平常心を保つのに必死だった。
番号をきちんと聞き遂げられたのは奇跡に近かった、と後になってから思う真田である。
「あ、電話会社一緒だね。好都合。メールでも電話でもどっちでもいいから」
「…あー…じゃあ、多分メールすると思う」
「………うん。真田くんはそんな感じだよね」
そう言って紅はクスクスと笑った。
笑われているのに、不思議と不快感を与えない彼女のそれは、性格ゆえのものなのだろう。
ここに来て、真田は自分が女子と普通に話せている事に気付く。
親友達が見れば彼の額に手を当てて「熱は?」とでも聞きそうなほどの快挙だ。
「…雪耶っていい奴なんだ…」
その後少しだけ言葉を交わし、別れてから真田はそう呟く。
いつの間にか、苛立ちは消え去っていた。