夢追いのガーネット
Episode 14
午後、AとBに分かれての練習が始まる。
もちろんAは本格的な試合を見越してのフォーメーションの練習やミニゲーム。
対してBは基礎練習と呼べるような…所謂、パス練習だった。
マネージャー三人もそれぞれABに分かれて補佐的作業を担う。
そうして練習が始まったわけだが、紅には予想外の出来事があった。
「宣言してきたからには絶対にBに来ると思ったんだけど…」
そう、紅が言っているのは、彼女らがAの補助に回った事だ。
佐倉が『翼に手を出す』宣言をしてきたのはまだ記憶に新しい。
言うからには無論彼の傍に居られる方を選ぶと思われたが、彼女らは考える暇すらなくAの方へと移動したのだ。
仕事というよりは寧ろ声援に精を出している二人を横目に、紅は首を傾げる。
「何かよくわかんないけど…まぁ、いいか」
別に私に被害はないし。
そう考えると、紅はパス練をしているBの方を見た。
やる気のある者とない者の差は歴然。
苦笑を浮かべつつ、手元に用意してあった資料の名前欄に彼女なりの記録を書き連ねていく。
「雪耶、こっちに来てくれる?」
不意に、玲の声を聞いて彼女は手元の資料から顔を上げる。
どこから呼ばれたのか、とキョロキョロと左右を見回し、彼女の姿を見つけた。
今しがた手を止めた文章だけを最後まで書き上げ、紅は足早に玲の元へと走る。
「暫くこの練習を続けるから、さっき頼んだ分をしてもらっても構わない?」
「さっき…あぁ、お昼の時の分ですね。わかりました」
「ミーティングルームを使えばいいわ。鍵は受付よ」
すぐに建物の方へと足を向ける紅だが、二・三歩進んで再び玲を振り向く。
西園寺コーチ、と呼べば玲はすぐに紅に視線を寄せた。
「この練習は2時間でしたよね?」
確認の言葉に頷く玲を見て、紅はお礼を述べるとそのまま建物へと入っていった。
腕に分厚い資料やら何やらを抱え、階段を二段飛ばしで駆け下りる。
ミーティングルームと書かれたネームプレートを見上げ、両手で抱えていたそれを片腕に移す。
そしてポケットから今しがた借りてきたばかりの鍵を取り出し、扉の開錠を行った。
その足で一番近くのテーブルへと向かい、ドサリと資料を下ろす。
意外と重かったな、などと考えながら開けっ放してあった扉に逆戻り。
その前に立ち、鍵に手を伸ばして…彼女はふと思い悩む。
「…誰か尋ねてきてもまずいし…開けたままでいいか」
誰に言うでもなくそう呟くと、彼女はそのまま施錠はせずに扉だけをきちんと閉める。
荷物を置いたテーブルへと戻り、資料の山の前ではなくその隣に立った。
そして、資料の上に乗せてあったノートパソコンを自身の前に置く。
手際よく接続を進めると、コンセントを探して部屋を見回した。
都合のいい事に、自身の座った席のすぐ後ろの壁にあったコンセントにそれを差し込み、漸く腰を落ち着ける。
起動中のパソコンには触れず、隣に置いた資料を上からとって目を通していく。
「…さて、と。2時間で仕上げないとね」
使い慣れた自身のパソコンに向き直ると、彼女はキーボードに指を滑らせた。
時折、右手はマウスを動かすためにキーを離れるが、すぐにまた両手がそれの上に下ろされる。
流れるように打ち込まれていく文章を見れば、普段から彼女がパソコンを使いこんでいる事は明らか。
紅以外に人のないミーティングルームに、カタカタと言う作業音だけが休む事無く響いていた。
ふぅ、と息を吐き出した。
かなり集中していたのでどのくらい時間が経っているのかわからないが、兎に角無事に終わった。
何時だろうと、手を伸ばして携帯を持ち上げるなり鳴り響いたアラーム音に紅がビクリと肩を揺らす。
「時間配分完璧」
我ながら凄い、と自画自賛と取れる声を漏らす。
片付けの時間を取るために、アラーム自体は10分前にあわせてあった。
のんびりしている時間はない、と自身に心中で告げると、さっそく片付けに取り掛かる。
集中していたとは言え、さほど散乱させていなかった所為か作業は予想の半分ほどで終了。
軽く伸びをすると、紅は来た時と同じように荷物を持ってミーティングルームを後にした。
「ミーティングルームの鍵、ありがとうございました。それと…プリンタを貸していただけませんか?」
「あぁ、雪耶さんね。西園寺さんから話は聞いてますよ。こっちにあるから、好きに使って頂戴」
20代後半と思しき容姿の女性が柔らかい笑みを浮かべて紅から鍵を受け取る。
紅はすぐに電源を入れようとしてくれる彼女に慌てて制止の声を掛ける。
「すみません、時間がないんで後で来ます」
「そう?じゃあ、私がしておいてあげるわ。丁度手が空いて困ってたの。どれをプリントアウトするの?」
一度は断るも、気にしなくてもいいからと引く様子を見せない女性。
紅は苦笑を浮かべながらも「じゃあ…」とパソコンの画面を見せ、頼みたいファイルを示す。
しっかりと頷く女性にパソコンを預け、紅はグラウンドへと足を向けた。
ランニングしているAの脇をすり抜け、紅は移動していたBの元へと向かう。
恐らくAの方はこれが終われば休憩なのだろう。
少し早めにゴールしていた数名が芝生に腰を下ろして寛いでいた。
「あ、雪耶!」
「お疲れ様」
足早に去ろうと思っていたのだが、横から掛かった声に反応せずには居られない。
速度を落としてそちらに視線を向ければ、大げさすぎるほど元気に手を振る彼が駆けてくる。
「早いね」
「そりゃ、エースだからな!」
自信満々に答えているのに、悪い印象を与えないのは彼の持って生まれた空気ゆえの事だろう。
ドリンクボトル片手に近寄ってきた藤代の向こうには、彼と同じ学校の数名が歩いてきていた。
どうやら武蔵森一行は全員ランニング終了済みのようだ。
流石、と言うべきところだろう。
「これ、作ったのって雪耶だろ?」
不意に、藤代が紅に向かって問いかける。
彼の手には恐らく飲みかけのボトル。
紅は迷う様子も見せずに「うん」と答えた。
彼女の返答に、彼はやっぱりと言った笑みを見せる。
「いつもの味とは違ったから、あいつらじゃないと思ったんだよな」
「“いつもの”…?」
「佐倉と尾花沢って武蔵森なんだぜ」
彼女の疑問に答えたのは藤代ではなく、その後ろから漸く彼に追いついた三上だった。
紅は彼の答えに驚いたように軽く目を見開く。
「二人にはサッカー部のマネージャーをしてもらってるんだ」
「…へぇ…それは何とも…」
ご愁傷様、とあとに続ける事は無いが心の中で付け足しておく。
だが、彼らの様子から見て歓迎出来る程ではないにしろ、ドリンクを作る程度はこなしているようだ。
「雪耶も作りなれてる?」
「あぁ、部活で作ってるから…それと同じにしてあるんだけど、どう?」
「俺好み!」
勢いあまって抱きつきそうだった藤代だが後ろから襟元を引っ張られる。
グエッと言う奇声と共に数歩後退し、原因の先輩をにらみつけた。
「三上先輩!」
「誰彼構わず抱きつくなっての」
「先輩、ヤキモチ?」
「んなわけがあるか!」
中々見ていて面白い遣り取りだ、と紅は思った。
そんな中クスクスと笑いを押し殺す声が届く。
「うちの部員がすまないな」
「いえ。慣れてますから大丈夫ですよ」
スキンシップが激しいのは別に藤代だけではない。
同じ学校の金髪も、感極まったりすると似たような行動を起こすのだ。
その度にキャプテンによって地面と仲良くなるため、未だに成功はしていないが。
「こいつらもだが…彼女達も」
渋沢は苦笑を浮かべ、後片付けすらしようとしていないマネージャーを見る。
彼の言葉に紅も似たような笑みを零した。
「迷惑かけると思うが…」
「構いませんよ。三日だけですし…私一人でも何とかなりますし」
寧ろ邪魔なだけだ、とは言わないが。
このまま行けば自分が邪魔すると言うよりは彼女らが邪魔だなと思う。
まぁ、あんな風に参加者と談笑している分には別段問題もないだろう。
変に掻きまわされない方が、紅にとっては有難かった。
「彼女らが何かしてきたら、遠慮なく話してくれ」
「何か…?」
引っ掛かりを覚える言葉に、紅は思わずそれを復唱する。
だが、彼ははっきりとその内容を明かす事無く、ただ苦笑を深めた。
「一応、な。あぁ、もう戻ってくれていいよ。こいつらは放っておけばいいから」
その言葉に背中を押され、釈然としないながらも紅は軽く頭を下げた後歩き出す。
少し遅れてしまったけれど、時間的に休憩を挟んでいる頃だから恐らく問題はないだろう。
渋沢の言葉は、午後の忙しさによって脇へと追いやられた。