夢追いのガーネット
Episode 13
午前は全て技能テストに費やされた。
最後の組のコンビネーションテストが終了すると、玲が全員に聞こえるよう声を上げる。
「技能テスト終了!昼食をとった後、午後練習を始めます」
そう言い終えると、解散を宣言する前に紅の方を振り向く。
何か言っておくことはあるかという視線に、彼女は頷いて一歩前に出た。
「午後の分のドリンクは此方で用意してあります。
必要な人はボトルを各自で洗浄してから食堂に用意してある籠に入れておいてください」
流石に三日分のドリンクを用意している者は居ないだろう。
それを見越して、参加者には必ずボトルを用意するように事前に連絡が入っている。
各自に持ってきてもらえば、45個も無駄にボトルを用意する必要が無いので経費が削減できる。
それが部活で手馴れている紅の提案だった。
「皆、わかったわね?練習は1時半開始。時間厳守で練習場に集合するように。それでは解散!」
玲の声に、それぞれの歩調で建物の方へと歩き出す参加者達。
それを見送る事無く、紅はすぐに後の片付けに入った。
「紅、あの子達は?」
「あの子達…あぁ、佐倉さんと尾花沢さんですか?彼女達なら何を気にする様子も無く彼らと一緒に行きましたよ」
「…まったく…」
「本来見えるべきでないものが見える眼を持っていたとしたら…
きっと、彼女らの背中には尻尾が見えていたと思います。………小悪魔の」
そう言って紅は肩を竦める。
後半と最後の語句の前の沈黙で玲が想像したのは、嬉しそうに尾を揺らす犬。
似合わないな、と瞬時におもったわけだが…紅の言葉に思わず噴出してしまった。
的を射ているその言葉は、玲の呼吸を乱すには十分だ。
「…珍しく過呼吸で苦しそうですね、玲姉さん…」
一向に笑いの止まらない様子の玲の背を押して、紅も荷物を持つと建物の方へと歩き出した。
行儀悪くも食事の合間に打ち合わせを済ませ、紅は朝頼んでいたように厨房を借りる。
「そんなに楽しいかい?」
自分の好きな洋楽を口ずさみながら家庭では明らかに大きすぎる鍋の前を行ったり来たりする紅。
そんな彼女の背後の調理台で夕食の下ごしらえに掛かっている調理師らがこう口を開いた。
作業の手を止めるでもなく、切ったレモンを絞りながら彼女は振り向く。
「楽しいですよ。それに、何でも楽しまないと損だと思いません?」
監督やコーチの分も合わせ、更に余裕を持って…となると、優に50人分以上に作っておかなければならない。
作業の手を止める時間は10秒でも惜しかった。
すぐに視線を鍋の方へと戻し、けれども意識はちゃんと話をしている人へと向ける。
器用にも二つ三つと作業を平行させながら彼女は調理師との会話も楽しんだ。
「雪耶」
不意に、カウンターの前に鍋を構えていた紅に男物の声が掛かる。
火にかけているわけではないので目を離しても何ら問題は無い。
顔を上げた紅の視界に、人の無い食堂と柾輝の姿が映った。
「どうかしたの?」
声を掛けることが珍しいわけではなく、彼らが分かれて行動していると言う事が珍しく思った。
それも含めての問いかけに、彼は苦笑を浮かべる。
「今五助や六助も探してんだけど…翼知らねぇ?」
彼一人が見つからないとあれば、行く場所は彼女の元しかないだろう。
そう思って態々玲に彼女の居場所を聞き、食堂へとやってきたのだが…。
残念ながら、その姿を見つける事は出来なかった。
「翼?来てないけど…。ちょっと待ってね」
そう言って紅は後ろを振り向き、調理師のおばさん方に声を掛ける。
彼女らは紅の声にすぐに反応を返してくれた。
「私と同じくらいの身長の可愛い男の子って来ました?私が離れてる間とかに」
至極的確な質問だ。
だが、翼が聞けば笑顔を凍らせるだろうな、と柾輝は苦笑を浮かべる。
彼女だから頬を引っ張られる程度で許されるであろうが。
「合宿に参加してる子は皆、あたしらからすれば可愛らしいけど…紅ちゃんくらいの身長の子は来てないねぇ」
「そうですか…ありがとうございます」
彼女らの返答に頷き、紅は柾輝の方に向き直った。
何かを言う前に、彼はわかっているとばかりに頷く。
「…ま、翼だって子供じゃないんだし…まさか迷子って事もないと思うから、放っておいてもいいと思うよ」
「あぁ、そうする」
「畑兄弟にも伝えてあげてね。彼らは見つけるまで探しそうだから」
宜しく、と手をひらひらと揺らす。
彼はすでに扉の方へと歩き出しながらポケットに突っ込んでいない右手を軽く持ち上げた。
その了解の合図に紅が口元を緩めた頃、彼が去った食堂の扉がパタンと閉じられる。
「同じ学校の子かい?」
「はい。部活仲間です。どうやらキャプテンが行方不明らしいですね」
肩を竦めつつ、柾輝が居た間は放置してあった手製ドリンクの方へと歩き出す。
連絡しておいた通りに、参加者はちゃんとボトルを所定の場所に置いていったようだ。
大量のボトルを一度に運ぶ事は出来ないので、鍋の方を食堂へと運んでくる。
そして中身を注いでは籠に戻し、籠に戻しては次のボトルに手を伸ばす。
それを繰り返していると、量の多さに呆れたおばさんの一人が手伝ってくれた。
初めこそ断ったものの「手を出さないのはこちらの気分が悪い」と言われてしまえばそれ以上二の句を告げない。
「ありがとうございます」そして「宜しくお願いします」と頭を下げ、彼女自身もせっせと準備を進めた。
手伝ってもらった甲斐あって、作業は思っていた時間の半分以下で終わる。
今のうちに練習場の方に運んでおこうと、紅はそれを食堂から持ち出した。
流石に50本以上もあるボトルを手で持っていくほど彼女は馬鹿ではない。
準備室から借りた台車の上に、並んだそれを籠ごと積み上げて運ぶ。
建物自体は割と新しいらしく、バリアフリーが充実していることはすでに確認済み。
階段を通らずにスロープを通り、紅は練習場へと進んだ。
まだ40分ほど時間があるにも拘らず、すでに練習場には人影が見られる。
戯れに仲間とボールを追いかけたり、身体を慣らすように自身の周囲をめぐらせてみたり。
その中に風祭の姿を見つけ、紅はドリンクボトルをベンチの脇に置くと彼の方へと歩き出した。
「熱心だね」
「!!」
背後からそっと近づいて声を掛ければ、リフティングをしていた彼の足はボールを取り損ねる。
そのままトン、トン、と芝生の上を跳ねたボールは、彼の背後の人物…つまりは紅の足元にぴたりと止まった。
足首のバネを生かして高く蹴り上げ、風祭に倣って身体の様々な箇所を使って何度もボールを空へと持ち上げる。
「はい、ありがとね」
最後とばかりにトンと高めに蹴り上げたそれを、真上ではなく向かいに立つ彼の元に返すよう蹴る。
綺麗な弧を描いたそれは、寸分狂う事無く風祭の足元にピンポイントで落ちた。
「上手いね」
「ありがとう」
純粋な褒め言葉に、紅は笑みを浮かべてそう答える。
そして、思い出したように彼女に近づいた。
「僕、風祭将」
「雪耶紅だよ。何か変な感じだね。何度も顔を合わせてるのに、名乗るのはこれが初めてなんて」
そう言って紅はクスクスと笑う。
初対面の時はとても自己紹介出来るような場ではなかったし、二度目も然り。
三度目は試合ということで準備に忙しく走り回っていた紅を捕まえるのは難しかった。
そして、四度目はボールコントロールの結果報告の時。
あの時は今以上に自分に余裕がなく焦っていたと言う自覚を持っている風祭。
五度目にして、漸く互いの名前を明かすことが出来たという訳だ。
尤も、お互い意識せずしてその名前を知ってはいたのだが…やはり、本人から聞くのとは訳が違う。
「君の事は有希から色々と聞いてるよ。彼女も一目置いてる選手ってね」
「え?小島さんが…?」
部活仲間にそう言ってもらえるのは嬉しいらしく、その感情を素直に顔に出す彼。
幼子のように純粋な彼だからこそ、今この場に立てているのだろうな、と紅は考えた。
中学も半ばに差し掛かろうというこの時期、照れやちょっとした意地が感情を制限すると言うのは良くある事。
不必要に大きすぎない彼のプライドは、持って生まれた才だと思う。
「吹っ切れたみたいだね?」
「何の事?」
「結果報告の時は、随分思いつめた様子だったから」
心配してたんだよ、と紅は悪戯な笑みを浮かべる。
途端にワタワタと身振り手振りを大きくして焦る風祭。
まるで自分で操っているかのように読み通りの反応を見せる彼に、紅は思わず声を上げて笑いそうになった。
「これから、本領が発揮出来るといいね」
「う、うん!ありがとう!」
「じゃ、準備に戻るから…練習の邪魔してごめんね」
そう言ってドリンクボトルと共に持ってきた荷物の方へと歩き出す紅。
彼女の背中に、風祭は「僕の方こそごめんね!」と慌てた様子で付け足す。
柾輝に倣って紅は返事の代わりに片手を持ち上げた。