夢追いのガーネット
Episode 12

紅は先程ボールコントロールの結果を教えに来た少年二人を見つめていた。
5点以下の場合は罰としてグラウンド5周が言い渡されており、彼らはそれに従っている。
報告してきた時の片方の様子が、彼女の気がかりだった。

「8点っと。…はい、次」
「風祭将です。点数は………5点」

少し言いにくそうに彼はそう言った。
記入用紙に落としたままだった視線を持ち上げれば、桜上水戦で活躍していた彼が苦笑気味に笑っている。
紅はそのまま記入欄に5と数字を書き入れ、彼に向かって微笑んだ。

「…頑張って」

そう言って彼の背中を押してやる。
その次に並んでいた少年も同様に5点以下で、彼らは並んでグラウンドを駆け出した。
風祭の表情にどこか陰があったことが、彼女の心の中にしこりを残しているのだ。

「何呆けてんの?」

彼の背中を見つめたまま動きを止めていた紅に、そんな声が掛かる。
振り向くまでも無いが、彼女はゆっくりとその人物を振り向いた。

「ごめん。報告?」
「ん。椎名翼、10点」
「10点ね」

慌てるでもなく彼の名前を探し出し、その隣の枠に10と書き込む。
まぁ、普段の彼の様子や自身を『天才』だと言いきるその言動からしてこの程度は当然だろう。

「将が気になる?」

ビブス番号を確認していた紅に、彼はそう問いかけた。
彼女は驚いたように顔を上げるが、気付かれて当然か…と考え直す。

「焦ってる、ように見えるから」
「ま、当然だろ。そんな事気にしてて、サポートなんて出来るの?」
「…そうだね。気持ちは切り替えないと」

一人を気にしている余裕など自分には無い。
顔を俯け、瞼を落とし、そして長い深呼吸を一つ。
次に顔を上げた彼女の表情に心配の色は欠片も見当たらなかった。

「翼、テストはどう?」
「悪くはないよ」

他の人の言葉ならば「良くもないのだな」と受け取るところだ。
しかし、相手は翼で、口元に笑みすら浮かべているのだから…意味するところなど、考えるまでも無い。

「心配はしてないけど、本人の口から聞けると安心するね。残りも頑張って」
「もちろん」
「ところで…翼と話してると、妙に痛い視線で穴が開きそうなんだけど…何で?」

紅の言葉に、彼は彼女が目線の動きで示した方を見る。
そして小さく「あの女か…」と呟いた。
そのまま射抜かれてしまいそうな鋭い視線に、紅は覚えがある。
そう、部活中に幾度と無く女子生徒から向けられるアレと同じなのだ。

「…つまるところ、気に入られたわけだ」
「迷惑この上ない事にね」

一瞬の迷いも躊躇いも無い言葉に、紅は思わず口元を緩める。
自惚れと理解しながらも、ここに居られるのは自分だけと言う事実が心地よく思えてしまう。

「そろそろ次のテストに向かった方がいいよ。最後のは全体纏めてだから」
「そうするよ。あぁ、忘れるところだったけど…夜、ちゃんと話聞くからな」

じゃ、紅も頑張れよ。そういい残して彼は次なるテストに向かって歩き出した。
彼が離れた事で一時感じなくなった視線だが、再び紅へと向けられる。

「…佐倉…さんだっけね」

自分を睨みつけるその眼差しに、紅はわからないように苦笑を浮かべた。
『ストップウォッチ、止めるの忘れてるよ』と心の中で告げる。
慌てた彼女がかなり適当に数字を読み上げる声を聞きながら、紅は次の報告者に向き直った。














45名分のボールコントロールの結果を集計していた紅の手元に影が落ちる。
来たか…とは思いつつも、面倒そうにならないように出来るだけ自然な表情で顔を上げた。
彼女の反応に、満足げに口元を吊り上げたのは佐倉有希。
染めているのか、少し明るすぎる茶髪でツインテールを作った少女だ。

「雪耶さんだったっけ?少しいい?」
「悪いけど、仕事が押してるから」

反論の余地すら与えないほどの素早さで答える。
今まではこの言葉だけで呼び出しを成功させてきたんだろうな、とどこか人事のように考えた。
引きつった彼女の笑みがそれを物語っているようだ。

「あぁ、忘れるところだったけど…あなたもちゃんと仕事しないと、コーチに帰らされるよ」

あえて監督、と言わないのは、あの尾花沢は役に立たないと言う考えが紅の中に定着しているからだ。
すでに彼は除外どころか初めから同じ土俵にすら立っていない、と言うわけである。
紅にとっては一も二も無く玲に従うのでさして問題は無い。

「ちょっと!人の話は最後まで聞きなさいよ!」

結果をバインダーに閉じると、そのままそれを片手に立ち上がって歩き出す紅。
そんな彼女の腕を強すぎる力で引きとめ、佐倉は声を荒らげた。
どの道こうなるのか…と思いながらも紅は振り返る。
敬えと言うつもりは無いが、仮にも年上に向かって命令口調とは呆れたものだ。
気付いていないのか、気付かないようにしているのか…どちらなのかは知らないが。

「3分だけ」
「は?」
「3分しか時間は取らないって言ってるの。早くして」

今は全体休憩に入っているので問題は無いが、5分もすればテストは再開されるのだ。
それまでに玲から次の指示を仰ぎたい紅にとって、彼女の引きとめは邪魔以外の何ものでもない。
翼でなくとも、飛葉中の連中が見れば、彼女が不機嫌だと言う事を理解できただろう。
それはもう、彼らならば裸足で逃げ出したくなる程に。

「………後2分」

苛立ちを隠すのも面倒になってきているのか、紅は腕を組んで彼女の言葉を待つ。
彼女とて聖人ではないのだから、どんな時でも万人に笑顔で対応、などという芸当が出来る筈はない。
ただ、ここまで負の感情を露にするのは珍しい事だった。

「私、椎名くんを狙ってるの。だから邪魔しないで」
「………私には関係ない。話はそれだけ?」

まさかこう返されるとは思っていなかったらしく、佐倉は口を間抜けに開いたまま動きを止める。
これ以上付き合っていても仕方が無いと判断した紅は彼女を放置してその場から歩き出す。
今度こそ、引き止められる事無く立ち去る事に成功する。
訂正しておくならば、紅の言葉の本意はこうだ。

『私には(あなたの気持ちなんて)関係ない』

明らかに違う意味として伝わっただろうが、紅にしてみればそれを狙っての言葉なのだろう。

「…翼があの子の方を選ぶ、って言うなら考えてもいいけどね」

そう呟き、紅は口角を持ち上げる。
ありえないと断言できるからこそ、こんな軽口も叩けるのだ。
想われている自信はあるし、彼女よりも想っていると言う自信もある。
それだけの月日を共に過ごしてきたのだから。

「しっかし…展開が予想通り過ぎて逆に笑えないね」
「何が?」
「だから、あの子達の………って。急に独り言に乗らないでくださいよ、玲姉さん」
「あら、紅。合宿中は西園寺コーチでしょう?」
「そういう姉さんも、名前呼びになってますよ」

くるりと振り向き、いつの間にか後ろにつき従うように歩いていた玲を見上げる。
彼女は嬉しそうに笑ってこう言った。

「だって、紅の名前が気に入ってるんですもの。それに、苗字だと暁斗と同じでしょう?」
「まぁ、確かに。でも、兄さんは今この場には居ないんですから…」
「わかってるわ。休憩中だけよ」

悪戯な笑みを浮かべる彼女に、それならば…と紅が折れる。
名前が気に入っている、と言われた事は密かに嬉しかった。
そんな紅の感情など、玲にはお見通しであろうが。

「で、あの子達と一悶着あった?」
「いえ、別に。ただ単に翼に手を出すので邪魔をするなと言われただけです」
「あらあら…あの子も気の毒ね。これだけ人数が居る中で、何も0%の子を好きにならなくてもいいのに…」

哀れみすら含まれた視線を向ける玲。
そんな彼女の言動に、紅は苦笑を浮かべた。
こんな反応をされるならいっそ笑われた方がマシだな…と思う。
哀れまれて、同情されて…自分ならば堪った物ではない。

「どうなると思います?」
「紅はどうなって欲しいの?」
「………まぁ、話のネタ程度になってくれれば満足ですが」

それも望めない程度に返り討ちにされるだろうと言う事は、容易に想像出来る。
とばっちりはご免なので、彼女が翼の機嫌が悪い時に手を出さない事を祈るばかりだ。

「先に牽制したりはしないのね」
「嫌ですよ、面倒な。仕事だってあの子達の分まで回ってくる事必至なんですから」
「それもそうね」
「っと。記入用紙が不足気味ですから取りに行ってきます」

ぺらぺらとめくっていたそれの枚数に不安を感じた紅は、すぐさま建物の方へと駆けていく。
その背中を見つめながら玲は笑みを深めた。

「どの道、翼の目に映っているのはたった一人だけだものね」

玲の視線の先には、身体を休めつつも紅の背中を見ている翼の姿があった。
初めから、全く勝ち目の無い試合なのだと言う事に、あの少女は気付いていないのだろう。

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06.05.10