夢追いのガーネット
Episode 08

荷物を車の後部座席に載せると、バンッと少しきつめにドアを閉める。
暁斗は慣れた様子で運転席へと移動し、そのドアを開いたところでふと手を止めた。

「本当に乗って帰らないんだな?」
「ん。荷物の方だけよろしく」

自身の小さな鞄だけを肩から提げた紅は手を振って答えた。
まだ暗くなるには随分早い時間だし、問題は無いだろう。
紅の隣には自分もある程度信頼している翼も居る事だし…。
そんな事を考え、暁斗は頷くと運転席へと滑り込んだ。
車で帰れば半時間も掛からない道のりなのだが、どうやら彼女は「歩きたい気分」と言う奴らしい。
言い出せば譲らない妹の性格を熟知している彼はそれ以上何も言わず、ただウインドウを下ろす。

「まだ暗くならないとは言え、気をつけろよ」
「うん。大丈夫だよ。暁斗兄も安全運転で帰ってね」
「おう。んじゃな」

そう言ってひらひらと手を揺らすと、彼は助手席に放り投げてあったサングラスを手に取った。
丁度時間的に傾いた太陽が眩しい頃だろうと、それをかける。
駐車場から滑り出した車を見送ると、紅は軽く伸びをした。
現地解散でいいだろうと言う事で、もうすでに部員は残っていない。
キャプテンが我先にと帰るわけには行かないので当然と言えば当然だが。

「さて…帰ろっか」

いつもよりも数倍静かな翼を振り向き、彼女は笑みと共に彼に声を掛ける。








「お疲れ様」

どれくらい歩いただろうか。
時折どこかの家から漏れる子供の声以外に音はないような静かな道を、二人は並んで進んでいた。
二人が今進んでいる閑静な住宅街は、すでに見覚えのある場所だった。

「ああ。紅も」
「うん。これからが頑張り時だね」

桜上水には敗れたものの、予選決勝まで進んだ飛葉は2位枠で本選へと駒を進める事が出来る。
今日の敗退だけが頭を溢れさせている他のメンバーは忘れているかもしれないけれど。

「一人の選手が試合の流れを変えるなんて事、本当にあるんだね」

目の前でそれを実感した一日だった。
どうにも止められない興奮を覚えたのはまだまだ記憶に新しい。
こう言う楽しみがあるから、彼らのサポートはやめられない。
そんな事を考えて口元を緩めた紅。
ふと、彼女の脳裏を思い出したように過ぎった出来事があった。

「あ。忘れてたんだけどね。桜上水に友達が出来たの」
「へぇ、どれ?」
「どれって…物じゃあるまいし。えっと…女子部のキャプテンって言ってたかな」
「女子部ね…。大方紅のプレーに惹かれたんだろうね」

徐々に口数も増えてきた翼。
調子を取り戻しつつある彼の言葉は的を射ていた。
サッカーをしようと目を輝かせた彼女を思い出し、紅はクスクスと笑う。

「そうだろうね。あんまりサッカーをする女の子って居ないし」
「そこらの部員より上手いしね」
「…いい先生を持ってますから」

にっと口角を持ち上げた彼女の表情に、漸く翼の口元に笑みが戻る。
先程まで彼に合わせるように沈黙を保っていたのは、心の整理をする時間を作るため。
彼の表情の変化を読み取っていた紅は、それが終わっている事を悟った。

「で、その友達って言うのは?」
「あぁ、そうだったね。小島さん……じゃなくて、有希」

名前で呼んでと言われていた事を思い出した彼女は言い直す。
紅は顔が浮かばないらしい彼に「フットサルでゲームに参加した女の子」と助言をしてやった。
漸く顔と名前を一致させた彼が頷く横で、紅の携帯がメロディを奏でる。

「ごめん。メールだ」

きっと小島からだろう。
見知らぬアルファベットの羅列を見た彼女はそう思った。
しかし―――

「…紅?」

不意に足を止めた彼女を振り向き、翼も同じくその歩みを止める。
携帯の画面を睨みつけるように視線を落として固まる彼女に首を傾げた。

「何かあったの?」
「んー…無駄に素晴らしい記憶力に拍手したい心境を噛み締めてるの」
「は?」

どう返事をしようか…と悩む紅。
そんな彼女の答えに翼は訳がわからない、と彼女の携帯を横から覗き込んだ。

「……………めちゃめちゃ男前な11番って…佐藤?」
「あ、あの人佐藤って言うんだ?」

皆がシゲと呼ぶから、あだ名しか覚えていなかったらしい。

『シゲちゃんの記憶力を侮ったらアカンで。めちゃめちゃ男前な11番より』

アドレスと電話番号の後に、そう書かれただけのメール。
からかう事が目的なのか、アドレスを送る事が目的なのか。
判断の難しい内容ではあるが、とりあえずそれを閉じる紅。
落ち着いて返信するかどうかを決めようと言うのが彼女の判断のようだ。

「うーん…有希にアドレスを渡した時に横から覗き込んではいたけど、ほんの数秒だったのになぁ」

確かに侮りがたし、と紅は妙なところに納得する。
いつの間にか歩き出していたおかげで、気がついた時にはすでに家の前だった。
先に紅の家が目に入り、その向こうに翼の家も見える。
彼女の家の前で一旦足を止めた翼に紅も同じく門を開かずに立ち止まる。

「忘れてたけど、来週末合宿だから」
「…あ、そう言えば前にそんな事を言ってたね。(本当は私も参加するんだけど)」

翼には内緒。と玲から釘を刺されているので、本音を話すことは出来ない。
何だか騙しているみたいだと紅は思った。
そんな彼女の心中を知らずに、翼は彼女の顔を覗きこんで笑みを浮かべる。

「寂しい?」
「…どうだろうね。(本当に)三日間会えないなら…寂しいのかな。(すぐに会うってわかってると想像出来ないけど)」

所々に本音の隠れた言葉。
それを隠したまま、紅は笑顔を浮かべて「でも」と続ける。

「大丈夫だよ。頑張る翼の背中を押したいからね」

向こうで会えるし、と心の中で付け足す。
寂しいと思う暇があるなら、それを応援する時間に使いたい。
たとえ離れていたとしても、想い、励ます事は自由だから。
紅の返事に翼はふいと顔を逸らす。

「…あらま。照れるなんて珍しいね?」

いつも強気な彼だからこそ、こうして珍しい反応を見せた時は酷く優越感に浸ってしまう。
ぬるま湯のような優しいそれから慌てて抜け出すと、紅は「さて」と話を切り出す。

「そろそろお開きにしようか。試合で疲れた身体を休めてもらわないとね」

そう言って紅は門に手をかける。
キィ…と少し耳障りな音を立ててそれが中途半端に開かれた所で、紅はふと聞こえた声に動きを止めた。

「…ありがとう、な」

小さいけれども確かに届いた彼の言葉。
口元が緩むのを隠す事無く、紅は彼を振り向いた。

「どういたしまして」

その言葉を最後に彼は漸く自身の家へと足を運ぶ。
彼が門のところに辿り着くまで背中を見送り、紅も自身の家の中へと入っていった。












廊下を歩いていた兄の背中が、玄関の開く音に反応して振り向く。

「おー。やっと帰ったか。おかえり」
「ただいま。荷物は?」
「今リビングに運び終えたところ。洗濯物だけ脱衣所に運んでおいたぞ」

暁斗の言葉に紅はありがとうと答えて靴を脱ぐ。
幼い頃からの習性で、振り向いて靴を揃えるとリビングへと歩いていった。
そして自身の荷物を置いて手ぶらのまま廊下に戻ってくると今度は奥の脱衣所へと向かう。
彼女の背中を見送っていた暁斗。
数秒後、洗濯機の動き出す音の後に彼女が再び姿を見せた。
まだその場に立っていた彼を見て、少し驚いたように目を見開く。

「暁斗兄?どうしたの?」
「お前がどうした、だな」
「??」

首を傾げた彼女の頭をぽんぽんと撫でると、彼はキッチンの方へと歩いていった。
二階へ上がろうとした紅の背中にキッチンから彼の声が追う。

「着替えたら降りて来いよ」
「…わかった」

再び疑問符を浮かべつつも紅は素直に了承の声を返す。
自室で着替えを済ませるとリビングへと入った。
ふわりと鼻腔を擽る柔らかい香りに、紅は自然とソファーの方へと足を運ぶ。
新聞を広げていた暁斗の前には二つの湯気立つカップ。
彼は紅が近づいてきたことに気付くとポンと自身の隣を叩いた。
3人掛けのソファーに座っていた彼の隣に腰を下ろすと、すぐにカップの一つが彼女の前に移される。
飲めと目で語る彼に従い、紅はそれを手にとって少し冷ますと口へと運ぶ。
彼の手は優しく黒髪を撫でた。

「…暁斗兄?」
「お疲れさん。よく頑張ったよ、お前ら飛葉中は」

口内に広がる大好きな味と、頭を撫でられる安心感。
じわりと内から込み上げてきたものは、形となって頬を流れ落ちた。
そっと目元に当てられた濡れタオルを手に受け取り、声もなく涙を流す。
翼とはまた違う、家族の優しさ。
全てわかってくれている暁斗の手は、止まる事無く彼女の頭を撫で続けた。

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06.04.30