夢追いのガーネット
Episode 06
楽しい。
心に浮かぶ思いは素直に自身の中に浸透した。
目まぐるしく変化する試合状況に、紅はシャーペンを片手にそれに魅入る。
そんな彼女の耳に、クスクスという笑い声が届いた。
「楽しくて仕方が無いって顔してるわよ」
玲はパイプ椅子に腰掛けたまま紅に向かってそう言った。
紅は彼女の言葉に困ったように微笑むが、すぐに視線を元に戻す。
「…楽しいです。彼らが、本当に楽しそうな表情でサッカーをしているから」
自分が参加しているわけではないけれど、素直にそう思える。
純粋に取り組む者の纏う空気が好きだった。
「私も似たようなものだから…」
今となっては、満足したという理由で引退しているが、元々は彼らのように部活に精を尽くしていた時期もあった。
それだけに、彼らの熱心さや喜びが少しなりともわかるのだろう。
立つ場所は違えど、好きな事を楽しんでいると言う事に違いは無い。
紅の言葉に玲はサングラスの下で満足げに微笑んだ。
「所で、あなたの“気になる子”はどの子かしら?」
熱戦を繰り広げる桜上水と飛葉。
どちらも譲らない攻防を繰り返していた。
そんな中、不意に玲が紅に向かって問いかける。
「10番と9番。11番も…かな。プレーを見るのは初めてだけど、動きは悪くない」
紅はサッカーが本業ではない。
彼女の知識は部員には劣るであろうが、それ故に常識に囚われないという利点があった。
自分の眼を信じて、洞察する力。
鍛えて鍛えられるものではない彼女のそれを、玲は高く評価している。
「そう。ありがとう」
彼女の言った10、9、11番に視線を巡らせ、玲は礼の言葉を口にする。
丁度、例の9番がパスを求める味方の声を無視する形でボールを保持した所だった。
彼の前には飛葉の要とも言える彼。
「…翼を抜けるかな?」
一度翼に背を向けた風祭は、そのままぐるりと身体を一回転させる。
パスするかと思わせた彼の行動はドリブルへと繋げるためのフェイントだった。
即座に読みを切り替えた翼によってボールは止められる。
彼らの一瞬の表情は、心底相手との対峙を楽しんでいるものだった。
「おもしろいわ、あの子!」
翼との攻防を見た玲はサングラスを外しながらそう言った。
彼女の素顔が露になるなり、玲の隣に座っていた紅の耳に「思い出した!」と言う声が届く。
紅がその声の方を向けば、見覚えのある桜上水のマネージャーが慌てて顔を逸らした。
別に咎めるつもりは無いんだけど…と思う紅だが、今は試合の方を見ていたいとばかりに視線を戻す。
一瞬見逃しただけでも大きく変化してしまいそうな試合模様に、彼女は言い知れぬ興奮を感じた。
激しい攻防の中、得点が入らないままにハーフタイムを迎える。
紅は用意していたドリンクとタオルを配り終え、椅子に腰を下ろしていた。
先程まで試合に集中していた所為で完全にサボっていたノートをせっせと纏める。
そんな中、紅は隣に誰かが座ったのを横目で捉えた。
「…随分荒っぽかったね」
彼の方に視線を向けないままに、紅は口を開く。
彼女は『何が』とは言わなかったが、恐らく彼は気付いているだろう。
翼はチラリと桜上水側で足を冷やしている12番を一瞥した。
「まぁね」
「あの子の影響かな。決して大きくはない芽だけど…根深いだけにやりにくそうだね」
技力の点からすればまだ要努力と言った所だが、諦める事のないその直向さがチームを引っ張っている。
目の前で対峙した翼は自分以上に肌でそれを感じているだろう。
「技力が揃えば、向かうところ敵無し…だね」
そう呟き、紅は『9番 風祭将』と書かれた隣にピンッとチェックを入れる。
その後漸くノートを閉じた。
丁度それを見計らったかのようなタイミングで直樹が翼の前に立つ。
紅はそれを見上げるが何を問うわけでもなく彼が口を開くのを黙ってみていた。
「頼む!俺のポジション代えてくれ!右ウイングに」
真剣に直樹はそう言った。
だが、そんな彼に翼は即答する。
「ダメ!」
彼の答えを聞くと、紅は右ウイングと対することになるポジションの人物を思い浮かべ、その人物を見た。
一際目立つ金髪は思いのほかすぐに目に入る。
翼と一騎打ちになった時の彼の動きを思い出し、紅はその実力を垣間見た気がした。
直樹と翼の遣り取りを横で聞きながら彼を見つめていた紅だが、ふとその動きに不自然さを感じる。
よく見ていなければ気付けないような些細な動きではあるが、それは右肩を庇っている様に見えた。
「…あの時…?」
彼が肩を痛める原因となるような事は一つしか浮かばなかった。
小さな怪我であれ、それがどのような結果を招くかはわからない。
話すべきなのかと一瞬悩んだ紅だが、彼が誰にも話していないことに気付くとその口を閉ざすと決める。
彼自身が話さないと決めた事を自分が口にして良い筈が無い。
「ったく。わかったわかった。後半柾輝は左ウイング、直樹は右でいく」
チームメイトの説得により、実力差から直樹を右に代える事を拒んだ翼の方が折れた。
喜び拳を握る直樹を前に、翼は続ける。
「その代わり!お前らの最高のパフォーマンスを俺に見せろ。がっかりさせんなよ?」
彼の言葉と、それに対する返事の良さに紅はクスリと笑う。
本当に、自分の幼馴染は素晴らしいリーダーシップの持ち主だな、と認めずには居られない。
そろそろ後半の準備を始めなければならないと悟ると、紅は脇においていた籠を持ち上げる。
その中に渡していたタオルを回収しながら翼の言葉を聞いていた。
「紅、15番だけど…」
「翼の思う通りだよ。一度もボールに絡んでない」
確認のように自身に降ってきた声に即座に応対する。
彼女の言葉に、翼は満足そうに口元を吊り上げた。
そして彼は柾輝に何やら指示を出す。
大方、先程言っていた『桜上水を切りくずすポイント』とやらを教えているのだろう。
「今までの試合より楽しそうだね」
翼からタオルを受け取り、紅はそう言った。
彼は驚くでもなく笑う。
「まぁな。枠内にシュートを打たれたのも初めてだし…楽しませてくれるよ、あいつ」
「後半が見物だね。動きすぎてスタミナ切れとか洒落にならない事しないでね」
「当然。後半はちゃんと得点してやるよ」
見惚れるような笑顔と共に、彼はそう言った。
その背中を見送りながら、受け取ったタオルを一瞥して籠の一番上に乗せる。
各自がポジションに着き、後半戦がホイッスルと共に開始された。
途中交代で入った15番の動きが悪い事を見逃さなかった飛葉中は、後半開始早々に得点を入れる。
1-0になってからの攻守の切り替わりは激しかったが、どちらも得点には結びつかなかった。
後半25分と言うところで試合が動きを見せる。
桜上水10番からのバックパスをトラップした11番のボールがゴールネットを揺らした。
同点ゴールに沸く中、副審の声が上がる。
「ハンド!!」
主審から死角となる部分で行われた腕によるボールの軌道調整は、副審の目に入っていた。
そのゴールが無効となって以来、桜上水の9番の動きが目に見えて鈍る。
「…良くも悪くも真っ直ぐだね、君は」
初めて出逢った時もそうだった。
数人の男子に囲まれて尚、『サッカーは子供の遊びじゃありません』と言い切った彼。
その声が届いたからこそ、自分は彼を助けたのだ。
どの様な状況であれ曲がった事を許す事の出来ないその純粋さは、今回の場合は悪影響を及ぼしている。
少なくとも、その時紅はそう思っていた。
迷いを抱いたままプレーできるほどサッカーは簡単なものではない。
そんな中、残り3分と言う所で桜上水の11番の誘いによるペナルティエリア内でのファール。
ギリギリでのPKに、飛葉側が延長戦を覚悟する。
しかし―――
「ねぇ、紅。私は彼なら何か仕出かしてくれると思ったんだけど…」
期待外れだったかしら、と玲は視線を紅に向ける事無く言った。
彼女の言葉に紅は軽く肩を寄せる。
試合終了後のタオルやドリンクの準備に掛かりながら、紅は口を開いた。
「その勘は間違ってないと思いますよ。彼の眼はまだ生きてる」
そう言った後で、紅は玲の視線を感じて彼女の方を向く。
そして「それに」と言葉を続けた。
「私、自分の人を見る眼には自信ありますから」
迷いの無い言葉を紡ぐ事が出来たのは、自分が彼に期待しているからなのだろう。