夢追いのガーネット
Episode 04
確かに出遅れた自分にも改善すべきところはあるだろう。
しかし、と紅は思う。
「雪耶もいい加減にあいつらと付き合うのは止すんだ」
「(何も置いていかなくても…)」
愛想笑いを浮かべながらも、内心で口元を引きつらせる紅だった。
事の始まりはいたってシンプル。
後半、初めて桜上水のチームが点をとった。
彼らが喜ぶに沸く中、試合はこれからだと両チーム気合が入る。
そんな時、何も今通らなくても…と思うほどにタイミングよく登場したのは、飛葉中学の生徒指導。
通称キューピー下山である。
フットサル場中央の敷居を越え、脱兎の如く逃げ出したメンバーに、ノートを開いていた紅は一瞬出遅れた。
そしてコートの外に居た紅はしっかり下山に捕まってしまったと言うわけである。
「先生、学力さえ落とさなければとマネージャーを認めていただいたはずでは?」
「それはそうだが…椎名同様、お前もT大を目指せるんだから、今が頑張り時…」
「目指す目指さないは私の自由ですから」
「それに!今は試験期間中で部活動が禁止されとる事くらい生徒会長のお前はよくわかっとるだろう」
「これは彼らの趣味の範囲です。そこまで制限する規則はありませんよ、先生」
淀みなく笑顔で下山に応対する紅に、桜上水メンバーは呆気に取られていた。
調子に乗って語りだす彼に呆れていた彼女だが、不意に近づいてくる足音に気づく。
それが自身の背後からのものであると悟ると、相槌を打ちながら荷物を整えた。
そして耳に届いた風を切る音と共に、紅は身体を横にずらす。
鈍い音と共に、サッカーボールが彼女の向かいに立っていた下山の顔へとめり込んだ。
「おしゃべりがすぎんだよ。ば――か。紅!そのボール拾ってさっさと来いよ!」
「了解、キャプテン」
トンッとつま先でそれを持ち上げると腕の中に落とし、紅は鞄を肩にかけて走り出した。
五人とも戻ってきていたらしく、少し離れたところで待ってくれている彼らに追いつく。
そんな彼女の背中を見ていた風祭が「あ!」と声を上げた。
「日曜の決勝、せいぜいがんばってくれよ、桜上水」
「ちょ、待って!」
「は?」
言葉と共に歩き出した翼が風祭の言葉に間の抜けた返事を返す。
しかし、彼の視線は翼の隣に並んだ紅へと向けられていた。
「あの時はありがとうございました!」
「…覚えてたんだ?」
「もちろんです!」
先程まで同じコートでフットサルをしていただけに、酷く今更のように感じる。
覚えていないのだろうと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
頭を下げる風祭に、紅は微笑んで首を振った。
「何。知り合い?」
「絡まれてたのを助けてあげただけ。丁度雨上がりだったから」
騒がしいと思って行ってみれば、明らかに不良とわかる二人組みに絡まれている風祭がいたらしい。
聞けば、的を大きく外れたボールが彼らの足元に転がってしまっただけとか。
それでも足が痛むやらどうしてくれるんだと煩く迫る不良に困っていたところだったのだ。
呆れた紅は自分にまで絡んできた彼らをものの10秒でねじ伏せ、そのまま去ったらしい。
「…傘でやったの?」
「あの場合は立派に正当防衛。ビビッて後ろに下がった拍子にゴミ箱と絡まりあって昏倒した馬鹿だったの」
実際のところ、彼らは傘には一切触れていない。
勝手に転がった彼らの上に更にゴミ箱をぶつけたのは他でもない紅だが。
「あの時お礼言えなかったから…」
「別にいいよ。何をどうしたわけでもなかったし、私もあの時機嫌悪かったし…」
虫の居所が悪いところに見たくもないような光景を見たから、と言う事らしい。
それでも何度もお礼を言う彼に、紅は苦笑を浮かべてその頭を撫でた。
必死な様子が妙に可愛く見えてしまったのだ。
「…もういいだろ、帰るよ」
「あ、うん。じゃあ、日曜にまたね」
ひらひらと手を振ると、紅は歩き出していた一行に走っていった。
それを見送っていた風祭に水野たちが声を掛ける。
「あの子上手かったな」
「そうね。私、自分と同じくらいの女子って初めてだわ」
同じ学校だったらよかったのに…と小島が残念そうに紡ぐ。
女子サッカー部を作ったばかりの彼女からすれば、紅ほどの実力者は喉から手が出るほど欲しいようだ。
実力がなくとも、サッカーが出来ると言うだけで友達になりたいと思っているだろう。
「ねぇ、風祭。あの人の名前は?」
「え…名前………あぁ!聞くの忘れてた!!今度は絶対に聞こうと思ってたのに…っ」
「多分雪耶だろう。仲間がそう呼んでた」
慌てる風祭の隣で水野が答える。
彼女も水野の答えにそう言えば…とフットサル中を思い出していた。
声を掛け合うシーンでは「雪耶」と呼ばれていたような気がする。
ゴールキーパーの彼だけは別で呼んでいたように思うが、それが名前なのだろう。
「次の試合の飛葉中マネージャーなら話す機会くらいはあるんじゃないか?」
「そうよね!今度こそ話してみるわ!」
そう言って笑った小島の表情は嬉しそうで、本当にサッカーが好きなのだと納得させるものだった。
やはり女性がサッカーをすると言うことが世間一般でない故に、興味を持っているというだけで嬉しいのだろう。
期待に胸躍らせる彼女を見つめ、水野は去っていった飛葉中を思い出していた。
「苦戦しそうだな…」
フットサルから得た、率直な感想を紡ぎながら練習しなければと意気込みを新たにする。
「しっかし、雪耶もまめなやっちゃなぁ。下山なんか適当に交わしてしまえばええのに」
「置いてった奴が言うな」
不貞腐れた様子の紅に、畑兄弟が両側から彼女の肩を叩く。
ある程度離れた所に来るまで彼女が居ない事に気づいた自分達としては、言い返す言葉が無かった。
しかし、それでも言い返すのがこの男である。
「置いていかれるような鈍い奴じゃないはずなんだけどな」
「…失礼な。ノートを纏めてて集中してたんだからしょうがないでしょ」
「ったく…変なところで抜けてるよな」
呆れたように溜め息をつく翼。
十年を越す付き合いとなれば、すでにこれにも慣れてしまっていた。
慣れと言うのは恐ろしいな…と思いつつも、傷つかないのだから良しなのだろうか。
「あ、んじゃ俺らはこっちから帰るわ」
「じゃあな。また明日」
曲がり角で畑兄弟が右の道を指差して声を上げる。
そう言えば、彼らの家はあの方角だったな、と思い出した。
「しっかり勉強してね」
そう言ってまた明日、と笑顔を返せば、努力すると言う何とも頼りない返事。
彼らと別れて次の交差点、柾輝と直樹が共に別の道を帰っていった。
「で?」
「“で”?」
「どうだったの、桜上水」
並んで歩きながら、翼は紅に問いかける。
今までは偵察などと言うことは殆ど行わずに勝ち進めてきた。
しかし、予選とは言え決勝戦。
決して弱い相手ではないはずだと、彼自身も感じていたようだ。
「二人しか見てないからわからないけど…あの二人は鍵だね。特に、あの小さい方の子」
「茶髪の方は上手かったよな」
「うん。だけど、ここって所であの子の動きが良かった。あの直向さはかなりチームメイトに影響を与えるよ」
紅の言葉に真剣に耳を傾ける翼。
彼女自身も言うように、彼女は人を見極める事に長けている。
とりわけ、隠れた実力者を探すのは上手かった。
「じゃあ、要注意人物か」
「そうなるかな。まぁ、勘だけど」
「その勘だけは当てになるだろ」
だから大丈夫だと言う彼に、紅は僅かに笑みを深めた。
ここまで手放しに信頼してもらえると言うのは、責任が重いと感じるがそれでもやはり嬉しい。
サッカー部をここまで引っ張ってきたのは翼だと思っているが、それでも自分の役目はまだあるのだと。
そう安心できるものに思えるのだ。
「サッカー部を作った時点でお役御免かと思ったけど…」
「そんなわけ無いだろ?優秀なマネージャーが居ないと煩い女が鬱陶しいからね」
「…知ってたの?」
驚いたように彼に視線を向ければ、当然とでも言うように彼は口角を持ち上げる。
初めの頃は試合中も煩かったギャラリーがある日を境に突然静まるようになったのだ。
無論、応援と呼べる範囲のものはあるが、それでも集中力を削がれるような邪魔なものは無い。
その原因が、紅にあることを彼はわかっていたようだ。
「…ありがとな。俺達の事、サポートしてくれて」
「……どうしたの、珍しい」
「別に。思いっきりサッカーが出来るのは紅のおかげだから、一応な」
照れたように顔を逸らすが、僅かに赤くなったその耳がそれを示している。
それを追求する事無く紅は前を向いて口を開いた。
「都大会まで連れて行ってくれるんでしょ?」
「まさか!俺が世界まで連れて行ってやるよ」
言葉は自信に満ちていて、決して不可能など感じさせない。
真っ直ぐ見据えた先にあるのは、まだ見ぬ未来。
「…期待してる」
言い落とした言葉は空へと溶け込むが、きっと彼には届いていただろう。