文化祭 6
行動一つが紅を明るみに放り出してしまうような気がして、酷く恐い。
今はまだ紅に戻る事は出来ない。
そんな中途半端なことをすれば、必死に頭を下げて納得してもらった人たちに失礼だから。
結局は自分の保身のためなのだけれど…それでも、彼らへの感謝の心も大切にしたいんだ。
そんな事を思う暁斗の前にはすでに完成してしまった衣装。
後は袖を通すだけ、と言う状況のそれを前に、彼女は深々と溜め息を吐き出した。
逃げれるものなら逃げたいけれど…。
どうせなら、学校自体を休めばよかったか…いつものように家を出てしまった事を少しだけ後悔する。
「諦めるか…」
スカートじゃないだけマシだろ。
そう思いながら、漸くハンガーにかけられたそれに手を伸ばした。
「雪耶……」
「何だ」
普段、不機嫌のきわみである暁斗には成樹以外は近づこうとしない。
けれど、今はクラスメイトが四方八方を取り囲んでいる。
じろりと睨みつけられても逃げない理由は、彼女の表情にいつもの鋭さがないからだ。
軽く頬を染めた状態で睨まれたとして、誰が恐怖など感じられようか。
「お前……男にしとくの勿体無いな」
「真顔で言うな。っつーか、男がそんな風に言われて嬉しいと思うなよ」
「いや、だって綺麗だし」
「…それも褒め言葉じゃねぇな」
きっぱりとそう言い放つも、効果は見られない。
正直なところ、男として生活しているのに男に頬を染められるのは気色悪い以外の何物でもなかった。
たとえそれがクラスメイトだったとしても。
「やっぱ脱ぎてぇ」
「あら、駄目よ。あっちと違って、雪耶君は目の保養なんだから」
そう言った女子生徒がチラリと教室の隅へと目を向ける。
流石に暁斗一人に女装させるという事はなく、クラスの男子の中から5名ほど暁斗と同じく女装させられる事になっていた。
そして、それは現時点で実行されている。
教室の隅に固まっているのは、お世辞にも綺麗とも可愛いとも言えない―――ごついウエイトレス。
「………あれと比べるな」
「や、だって比べるでしょ、普通」
確かに、意図せずして比べてしまうのは仕方がないのかもしれない。
仕方がないのかもしれないが…嫌だ。
あれを見ていれば、暁斗の女装姿は女子生徒と何ら変わりないように見えるだろう。
彼らもすでに諦めているのか、何とか見れるように頑張ろうとしているクラスメイトにされるがまま。
可愛さを出してみたらどうだ!?と言うことで頭に付けられたリボンが何とも可哀想だ。
「大体、昨日で大方稼いだんだし、今日は頑張る必要ねぇじゃん」
「そうね。全学年でトップなんだけど…それじゃ、駄目よ。女子の客数はトップだったけれど、男子は5位なの」
こうなったら何が何でも両方でトップを取る!
そんな方向にクラスが一致団結しているらしい。
「………………………」
暁斗のお蔭でそれが叶いそうだと盛り上がる彼女らを前に、暁斗はもう一度溜め息を吐いた。
本当に、諦めるしかないらしい。
「なぁー……」
「暁斗、どないしたん?」
「何で昨日よりも長蛇の列が長いんだ…?」
廊下を三つ先の教室まで続く列に暁斗がウンザリとした表情を浮かべる。
それに苦笑を漏らす成樹。
「そりゃー……暁斗がおるからやろ?」
「いや、あいつらも十分客引きしてるだろ」
「あれは面白いもん見たさっちゅー奴や。現に、今の男子は見るなり逃げ出しとるやん」
そう言って成樹が指した方を見れば、テーブルに着いたばかりの男子生徒が口元を引きつらせて席を立っているのが見えた。
どうやら、面白いもの見たさで見たウエイトレスの姿は、予想以上にショックが大きかったらしい。
ここまで来ると気の毒なのだが…救われるとすれば、女装したメンバーがそれなりにノリの良い連中だったという事だろう。
ナイーブな奴だったならば、恐らく今頃教室の隅で蹲ってキノコでも栽培しているに違いない。
「雪耶くん。3番に超可愛い男の子のご指名よ」
「超可愛い…男?」
そう言われて3番と記されたそれを立てるテーブルの方を見る。
そこに居たのは、暁斗の口元を引きつらせるには十分な人物だ。
「げ…マジで来やがった」
彼が冗談を言うとは思っていなかったけれど、それでも冗談だったと思いたいのが暁斗の心情。
しかしお呼びとあれば行かないわけにもいかず…文化委員の目が「早く行け」と訴えている。
強制的に放り出される前に自分から向かうのが得策だろう。
そう判断して、重い足を動かした。
「イラッシャイマセ」
「…思ったより化けたね」
「やるからにはとことんやらねーとな。これ、俺の鉄則」
嫌々ながらも営業スマイルを浮かべた暁斗に、彼、翼は「暁斗らしい」と肩を竦めた。
それから、一緒に来た柾輝たちに声を掛ける彼女を見る。
いつもの銀髪ではなく自分の色に近い茶の髪は長く、頭の高い位置で一つに束ねている。
ウイッグなのだと想像するに難しくはないが、どこか自然にも感じた。
髪一つでそこまで雰囲気が変わるとは思えないが…兎に角、暁斗の今の姿は、一見しただけでは女装には見えないのだ。
それが不自然のようで、それで居て酷く自然だった。
「暁斗って兄弟いる?」
「俺には妹が一人居るだけだけど?前に言わなかったか?」
「姉っていないよね?」
翼の問いに暁斗は間をおかず「ああ」と答える。
彼が何を言わんとしているのか、分かっていた。
だからこそ、不審な行動を取るわけには行かない。
冷静すぎるほどにそう心を改め、じっと自分を見つめている翼に向き直った。
「………紅にそっくりだね」
「紅って誰だよ?」
茶色のウイッグを使いまわしたのは問題だったか…。
暁斗は心中でそんな事を考えつつ、翼に問う。
「あの金髪……直樹じゃないからね。が祭りに連れて来てた」
「へぇー。祭りに言った事は本人から聞いたけど…女を連れてたんだ?」
成樹もやるなぁ、などと茶化すように言うけれど、それを真に受けた様子はない。
寧ろこちらを探るようにじーっと見つめてくる彼に、暁斗は心中で苦笑した。
「んで、それがすごーく暁斗に似てるんだけど?」
「俺が女装して成樹と祭りに行ったとでも?女装なんて、今回だけで十分だよ」
「他人の空似…にしては似すぎ「ちょっと!!!!」」
翼の言葉はクラスの女子生徒によって遮られる。
腰に手を当てて肩を怒らせる女子生徒に詰め寄られ、暁斗は思わず仰け反った。
「雪耶くんは指名殺到中なのよ!一つのテーブルにそんなに時間かけてたら後が閊えるでしょ!!」
「ご、ごめん。ちょっと知り合いだったから…」
忙しさという物は人の性格を変えてしまうらしい。
普段は大人しい子だったんだけどなぁ、などと思いつつ、足音荒く去っていく彼女を見送った。
「ってことで、お客さんご注文は?」
「はぁ…この話は次の機会にしておくよ。俺は用が済んだから…柾輝はどうする?」
「俺も退散。ここは人が多すぎだろ」
「ってことで。んじゃ、今度の週末にはフットサルに来るんでしょ?」
「ああ。暇だから多分いけると思う」
「じゃ、また今度」
二人はがたりと席を立ち、入り口のところでテイクアウト用のジュースを買ってから教室を出て行く。
そんな彼らの背中が見えなくなった所で、暁斗はやれやれと肩を竦めた。
「雪耶くん!次の指名が入ってるってば!!」
「はいはい」
「全く…!シゲちゃんが教えてくれなかったら雪耶くんがお客に捕まってるのなんて気づかなかったわ!」
そう言いながら暁斗の元を離れる女子生徒。
彼女の残した言葉を聞いた暁斗は驚いたように目を見開いた。
「成樹が…?」
その呟きは店の喧騒に掻き消された。
「ありがとな。助かった」
「何の事ですやろ?」
「とぼけんのか…ま、それでもいいよ。危機は回避されたし」
「それは、よかったな」
すれ違った時に交わした会話。
それ以上の言葉は要らなかった。
Rewrite 07.09.16