Soccer Life STAGE--49
『紅!』
呼ばれて、紅は振り向いた。
いくらか長くなった髪が動きに合わせて揺れる。
その顔には笑みが浮かべられていた。
『セザール?何か用事?』
紅がセザールと呼んだ男性は、三十代半ばと言った所だろう。
髭のよく似合った、おじ様風な男性。
3年間紅の専属のコーチを務めた男性である。
初めの頃に敬語を使う事を拒んだ彼に、紅も素直に頷いた。
『私は君のような女性を応援したいと思って色々と研究してきたんだよ。それが役に立つ事が何より嬉しい』
そう言って、自分の子供のように可愛がった。
セザールの家で3年間を過ごした紅は一般よりも少し早めながら、少女の殻を脱いでいた。
見違えるほど綺麗に成長を遂げた紅。
彼女の成長振りが、過ぎた時間の長さを思い起こさせた。
だが、紅にとっては長いようで短い3年だった。
『とうとう君の望みが叶ったよ』
セザールはそう言うと、とある紙切れを紅に見せる。
たった一枚の紙切れだったが、それこそが彼女が全てをかけたものだった。
『お偉方も君の実力を突き放したりはしなかった。この3年間で見違えるほどだ』
『そっか…叶ったんだね』
『チームの皆も応援しているよ』
紅はフランスのあるチームに所属していた。
むろん、女性のチームではなく男性チーム。
『最後までネックになっていたのはやはり体格問題だったみたいだけど…』
『あぁ、それはずっと言われてきたよ。女性に男性の選手が本気で当たれるわけがないってね』
『君の速さを生かしたプレーで納得したようだ』
『それはよかった…。何とかギリギリで約束を守れそう』
紅は安心したように微笑む。
そんな彼女を見て、セザールはどこか納得したように頷いた。
『3年間事あるごとに言っていた約束の事だね?』
『そうそう。守れなかったらって思うと……ね』
『ようやく彼との再会が果たせるわけだ』
『うん。丁度仲間がドイツから帰るみたいなんだ。それに合わせて帰ろうと思う』
『そうか…寂しくなる』
セザールが笑みを浮かべる。
確かに寂しそうな色も見られるが…嬉しさの方が勝っているようだった。
『まだ二週間あるんだ。チームの皆との挨拶もあるし。
だから準備時間は十分あると思うから。どうせだから教われる事は全部教わっていくよ』
寂しさを誤魔化すように、紅は笑って見せた。
紅はフランスへ渡った後、セザールの指導の下へ入った。
ひたすらサッカー漬けの毎日を送るかと思いきや、そうではない。
紅一人の為に考えられたそれは、確実に紅の実力を引き伸ばして行った。
渡仏してすぐに、紅は地元のプロサッカーチームに入団する。
『初めまして、日本から渡ってきました雪耶紅です。まだまだ若輩者ですがよろしくお願いします』
流麗なフランス語でそう挨拶した紅に見惚れる選手は少なくなかった。
元々日本人は童顔だと言われるが…むしろ紅は大人びた顔立ちをしている。
ここ数ヶ月の内に精神だけならず顔立ちまでも随分成長したのだ。
だが、順風満帆とは行かなかった。
選手の中に根強く残る、思想の問題。
男性と女性が共に同じフィールドに立つと言う事を、認める者は少なかった。
逆風の中、紅は練習に関して一切愚痴を零さずに取り組む。
紅の姿勢と実力は次第に認められた。
一部の選手を除いて、だが。
そんなある日、セザールが改まって紅にある提案をした。
『正式な試合に出場してみないか』と。
彼は紅の最終的な目標を知っていた。
3年で認められる実力を付け、日本のフィールドに帰る事。
女性だけのサッカーの場に戻るのではなく、3年前のあの日のように。
だが、それは容易い事ではない。
理解している紅は、その目標を口に出す事はなく心の内に秘めたままにしていた。
セザール自身もそれを聞いたのは3年の間にたった一度。
紅が口に出すのは、あくまで『3年で実力をつける』と言う事だけであった。
セザールの提案に、紅はその意図を掴めないながらも頷いた。
結果、彼女はその試合で男性選手に勝るとも劣らぬプレーを見せたのだ。
一度話題に上がれば、後はとんとん拍子に話が進む。
セザールの思惑通りに、フランスで紅の実力は認められた。
男性の選手の中でただ一人の女性選手。
女性特有の速さとしなやかさを生かしたプレースタイルに、世間は紅をこう呼んだ。
“フィールドの舞姫”と。
舞姫は日本人だから、と言う理由でつけられたらしい。
ちなみにその“フィールドの舞姫”の素性は国籍以外、一切不明。
それがまた他国の視線を集めた。
むろん、日本においてもそれは例外ではなかった。
『あなたの思惑通りだね』
ボールを足で遊ばせながら、紅は楽しげに目を細める。
その手には、先ほどセザールが持ってきた新聞があった。
見出しはこう書かれていた。
『世界で話題の“フィールドの舞姫”の帰国決定!』
それこそ、セザールの望んでいた筋書きだった。
フランスで紅を認めさせ、世界へとその名を轟かせる。
それから日本内で紅のJリーグ入りを認めさせるなど、簡単だった。
向こうから望んできたくらいである。
『君の目標は達成できたかな?』
『あぁ、もちろん。でも、これが私にとっての本当のスタートだよ』
新聞に写真はない。
これほど大々的に書かれるのだから写真の一枚くらいあってもいいようなものだが…。
『お楽しみは後に取っておかないと…ね』
その見惚れるような笑みの裏で、報道陣すらも自在に操作していた。
「どの新聞も一面だな」
竜也が新聞をバサリと畳む。
「来週日本に帰ってくるんやて?」
「らしいな。丁度U-19代表合宿の初日だ」
「そら、上手い具合に…」
受け取った新聞に目を通す成樹。
3年前よりも短くなった髪を掻き揚げる。
その表情は楽しげだった。
「初のお目見えといきましょか、“フィールドの舞姫”さん」
成樹の口元が愉快そうに持ち上げられる。
Rewrite 07.08.23