Soccer Life   STAGE--40

人気のない廊下を通って、それから外へと通じる非常口を出る。
そこから数メートル進んだ先に、暁斗が指定した階段があった。
何故こんな穴場を知っているのかと言えば、律儀な性格ゆえに、と答えるしかない。
暁斗はJヴィレッジに到着するなり、いつもの癖で建物全体の地図を眺めていたのだ。
今回選手達が泊まる棟からは離れていて、特にこれと言った施設もない西館。
そこの外階段と言えば使われることなど、それこそ非常事態にしかありえない。
ここならば落ち着いて話が出来るだろうなと、地図を見上げた時点でそう思っていた。
暁斗の視界に、こちらに向けた成樹の背中が映る。
彼女は僅かに表情に翳を落とし、そして足音を潜ませる事もなく彼へと近づいていった。
そして、その背中に自身のそれを合わせるようにして腰を下ろす。

「待たせた」
「別に構へんよ。大して待っとらん」

振り向いて顔を見ようとしないのは、彼の気配りなのだろう。
こうして初めから背中を合わせる時は、何か…言い難い事を、それでも話さなければならない時だ。
暗黙の了解として、互いの熱を分け合ったまま背中合わせを貫く。

「俺さー…サッカー、続けられないんだって」

背中だけでも、成樹が息を呑んだのが分かる。
僅かに揺れたそれは、ものの数秒で平静を取り戻していたけれど。

「今のままだと、プロになる前に足がやられるらしい」
「いつから気付いとったん?」
「…ちょっと前、かな。そんな大きな変化じゃなくて…膝の筋が少し痛む程度だったから」

この程度の痛みはいつもの事と思って、病院には行かなかった。
あれ以来あの痛みが襲ってきた事はなく、暁斗自身も忘れてしまっていたくらいだ。
スポーツマンとして少し認識が甘かったとしか言いようがない。
尤も、普通の医者に掛かっていたならば、即座にドクターストップを掛けられていたのかもしれないけれど。

「もう絶対無理なん?」
「…いや…。運動量を半分に減らして、フルタイムで試合に出なければ、続ける事は出来るらしい」
「半分て…一日どのくらいやっとったん?」
「朝からジョギング15キロに筋トレ各100を…5セット?んで、リフティング300に…」
「もうええわ。ようわかった」

どこか呆れた風な口調でそう言葉を遮ると、成樹は暁斗の背中にもたれるようにして空を仰ぐ。
すでに夕暮れの赤みも消え去り、そこを支配しているのは闇。
その中に数多の星がポツリポツリと浮かんでいる。

「止めたくないんだ。だから…今回の事も仕方がないと思ってる」

未来を思えば、今回の選抜を諦める事も仕方がないと思った。
自分としては常に選手でありたいけれど、それは望めないことなのだ。
未来か、今か。
その判断は難しいけれど…それでも、この決断は間違っていないのだと思いたい。

「続けたい。けど、先を思うと引かなくちゃなんねぇ…。―――結構、苦しいもんだな」

こうしてプロへの道を閉ざしてしまう選手は、どれくらい居るのだろうか。
自身の変化に気付かず、いつの間にか再起不能になっていたという話も聞く。
それを思えば、気付いてくれる人が居て、更に助言もしてくれるのだから…自分は恵まれているのだろう。
我武者羅にやりすぎた反動が来ているのだと思えば、自業自得としか言いようがない。

「俺は恵まれてる。選手として参加できないならって、別の場所を用意してくれる人も居るから。
だから…こんな弱音を吐くのは今だけ…今だけだ」

全てを話すと、玲は自分の事ではないのに、まるで自身のことのように悲しんでくれた。
けれど、ここで暁斗の選手生命が完全に絶たれたわけではないのだと知ると、新たな道を提示してくれたのだ。
態々他の選抜の監督にも掛け合って、補佐と言う形での参加を可能にしてくれた。
本当に、彼女には足を向けて寝られないなと思う。

「ごめんな、こんな所を見せちまってさ」
「…別にええんちゃう?」
「?」
「こんな時くらいは、弱音を吐いてもええやん。俺かて…いきなり選手辞めるはめになったら、流石にへらへらしとれんわ」

暁斗がどれだけサッカーに懸けて来たかを知っている。
自分の情熱がそれに劣るかといわれれば、流石に答えかねる部分ではある。
だが、彼女がそれだけ深い思い入れを持っていて、それに向けて努力してきた姿を、自分は一番近い位置で見ていたのだ。
だからこそ、己の事のように悔しい。

「こんな時まで、男みたいに気丈に振るわんでもええんやで」
「…男だって、弱音を吐いたっていいよ」
「せやな。けど、男っちゅーんは難儀なもんでな。格好つけるのが仕事みたいなもんやから」

そんな所まで男のように振舞うな。
そう笑った彼に、暁斗は思わず口元を持ち上げた。
こう言ってくれる彼だから、今こうして背中を預ける事が出来るのだろう。
仲間の誰にも…言えなかった事実を、告げることが出来るのだろう。

「フルやなかったら試合に出れるん?」
「今回は監督に止められてる」
「…試合やなかったらええんやろ?」
「…まぁな」

彼が何を言わんとしているのか分かり、暁斗は苦笑を浮かべる。
彼は、自分が何を告げようともいつものように接してくれるつもりらしい。
飄々として掴みどころのない奴だと思われているようだが、暁斗からすれば彼はわかりやすい性格だった。

「無理のない程度なら…付き合うよ。お前がどれくらい強くなったのか、見てみたいし」

そう告げれば、彼は張り切ったように喜んだ。
彼の感情の流れを背中で感じながら、暁斗はあの日のことを思い出す。








「随分と無理をさせたようだね」

痛みに眉を顰めた暁斗に気付いた彼は、見せてみなさいと言って暁斗を椅子に座らせた。
筋肉から骨から、その全てを探るようにしていた彼は、そう呟く。

「特に膝がやられている。プロの選手でも良くある事だが…その若さでここまでやるとは…」
「あの…?」
「紅、と言ったね。何故、こうなるまで放っておいた?君も怪我で選手生命を絶たれた人を多く見ているだろう」

険しい表情でそう問われ、暁斗…いや、紅は訳がわからないという風に心中で首を傾げた。
しかし、心の底では分かっていたのだろう。

「これ以上無理を続ければ、問答無用でドクターストップを掛けなければならない所だった」
「………」
「君がサッカーに懸けている事は分かっているつもりだ。だからこそ、言わせて貰う」

そう言って、彼は一旦口を閉ざした。
言葉を選んでいるようにも見え、躊躇っているようにも見える。

「君の足は、かなりきわどい所まで来てしまっている。これ以上は君の将来を壊す事になるよ。
君が在るべき場所で続ければいいじゃないか。無理をして、それすらも奪われるなんて、望んでいないだろう?」
「…どうすれば?」
「―――うん。君は賢いね。状況に落ち込むだけでなくて、未来を見据える事はとても重要な事だ」

そう答えて紅の頭を撫でる。
いつもならば頭を撫でられるのなんてすぐさま振り払ってしまうのに、今日は大人しくしている。
あまり表情には出していないけれど、多少は情緒不安定だったのだろう。
彼は紅の反応に少しばかり驚いていた。
自分でも嫌な言い方をしたと言う自覚はある。
もちろんそれは彼女を止める為に他ならないのだが、彼女にとっては足の痛みよりも痛い言葉だっただろう。
しかし、それに対して子供のように癇癪を起こす事もせず、相手に助言を求めるその姿勢。
この切り替え方は、歳不相応だなと思った。

「少しの間、休ませてあげなさい。チームのドクターに話しておくから詳しいリハビリは彼から聞くといい」
「はい」
「トレーナーとして言わせて貰うなら、まずトレーニングの量を―――」







チームの選手でもない自分を案じ、助言をくれた彼を、信じた。
嘘か誠か…自分の身体のことなのだから、よく分かっている。
辛いけれど、将来の為ならば受け入れなければならないと思ったんだ。

Rewrite 07.07.22