Soccer Life STAGE--37
真っ暗な世界に、ただ一人。
ぽつんと取り残された自分が感じるのは、どこまでも果てしなく続く闇。
その闇は深すぎて、声すらも飲み込まれてしまいそうだ。
おぼろげに、まるで、自分の不安を具現化した場所のようだと思う。
『やめた方がいい』
「…っ」
エコーが掛かったような声が脳裏に響く。
サッと顔色を蒼くした紅に、その声は容赦なく次なる言葉を続ける。
『君は、無茶をしすぎた』
「…さい…」
『これ以上は君の将来を壊す事になるよ』
「………るさい…」
『君が在るべき場所で続ければいいじゃないか。無理をして、それすらも奪われる事なんて、望んでいないだろう?』
「うるさいっ」
思わずそう声を荒らげると、意識が急速に浮上していくのを感じる。
バッと勢いよく目を見開けば、突き刺さんばかりの太陽の光に目を焼かれた。
思わずもう一度硬く目を閉ざした彼女に、別の人の声が降って来る。
「怖い夢でも見たんか?」
先ほどの自分を追い詰める声ではない。
優しくて…本人には言えないけれど、酷く落ち着かせてくれる声だ。
今度は太陽を直視してしまわないようにと気を配りながら薄く瞼を持ち上げる。
心配そうな表情でこちらを見つめていたのは、その声の主―――成樹だった。
「目ぇ、覚めたか?何や魘されとったで」
「…あぁ、覚めた」
そう言って腹筋で上体を起こす。
寝転がっていた所為で乱れた前髪を掻き揚げ、そこが学校の屋上である事を視覚的に認識する。
同時に、自分は授業をサボって屋上で惰眠を貪っていたのだと言う事も思い出した。
「…暁斗?」
ぼんやりと虚無を見つめる彼女に、成樹は思わずその名を呼ぶ。
その声に反応して彼女の目がこちらを向いた。
同時に、彼女から差し出された腕が自分の学ランを緩く握り締める。
珍しい行動に驚いている間に彼女の額が、軽く触れる程度に自分の胸元へと寄せられた。
「暁斗…?」
「ごめん。ちょっとだけ…」
こうしていて、と掠れてしまいそうなほどに小さな声が、そう言った。
それを拒む事など出来ない。
こんなにも弱りきっている彼女を前にして、どうしてそんな事が出来ようか。
何より、彼女は自分にとって―――とても、大切な人なのだから、余計に。
「ちょっとなんて時間区切らんでも、好きなだけ貸したるよ」
それで落ち着く事ができるのならば、胸でも腕でも、好きなものを持っていけばいい。
手を振り払えば、風の様に消え去ってしまいそうなほどに儚い。
何が彼女をここまで追い詰めたのか…成樹は、紅の肩をポンポンと撫でながら空を仰いだ。
一週間前までは普通だった。
おかしいと感じたのは…彼女がフランスから帰国してからだ。
どんな土産話を持ち帰るのだろうかと楽しみにしていた成樹に、彼女はただ一言、こう言った。
「色々と考えさせられたよ」
それ以上は何も聞かないで欲しい。
言葉や、声や、その態度全てがそう語っていて、成樹には何を問う事もできなかった。
そう、確かあれからだ。
どこを見ているのか分からない眼差しで空を見上げたり、こうして転寝で魘されるようになったのは。
何か、悩んでいるのだと思う。
けれど、彼女が何も言わないから、自分は何も聞けない。
無理やりに聞けば、何か活路を見出せるのかもしれない。
しかし…その為に彼女を追い詰めるくらいならば、彼女自身が話そうと思えるまで待ちたいと思うのだ。
数分後、暁斗は徐に成樹から離れた。
そして、その表情に自嘲のそれを浮かべて言う。
「悪かったな。もう、いいよ。ありがとう」
「別にかまへんよ」
「そう言ってもらえると、助かるよ」
そうして暁斗はもう一度ありがとう、と言う。
そんな彼女に、成樹は真剣な表情を浮かべた。
「話してみーへん?」
楽になるかもしれへんよ。
彼のそんな言葉に、暁斗は緩く頭を振った。
「まだ…話せない。自分の中で整理が出来たら、ちゃんと話すから………ごめん」
「…さよか。ほな、もう少し待っといたるわ」
そう言って、成樹は気を悪くした様子もなく暁斗の頭を撫でる。
その手に父親のそれが重なって、思わず動きを止めてしまった。
染めているにも関わらず、綺麗な質感を保っている彼女の髪を梳く。
「無理には聞かへんから、その代わり…煮詰まる前に話してや。それだけは約束やで」
「…わかった。約束…するよ」
すっと持ち上げられた拳に、自身のそれをこつりとあわせる。
そうして、暁斗は再び空を仰いだ。
「成樹」
「何や?」
「俺、無事に帰れんのかなぁ…?」
すでに授業と言う授業は全て終わり、放課後と言う時間帯。
普段ならば部活動に勤しむ生徒と、帰路を急ぐ生徒に別れるところだが、今日は少しばかり違っていたようだ。
屋上から見下ろす事のできるグラウンドには、かなりの量の生徒が集っている。
「…帰れる…ことを祈るしかないなぁ…」
「この分だと、裏門も無理そうだな。こんな時だけ協力的だなんて詐欺だ…」
がっくりと肩を落とす暁斗に、成樹は苦笑を浮かべながらポンとその肩を叩く。
眼下に広がる光景は騒然たるものがあった。
グラウンドに集っているのは皆女子生徒で、どの娘の手にも可愛らしい何かが握られている。
それは生活用品であったり、小物であったりするのだが、一番多いのは何と言っても、チョコだ。
そう、今日は2月も半ばの日―――世間的に言うならば、バレンタインデーと言う奴だ。
普段は密かに思いを抱いている子でも、今日ばかりはと張り切っていたりする。
「別にさ、チョコは好きだし、嬉しくないわけじゃないんだよ」
「せやろなぁ。暁斗やし」
「ただ…これ以上は流石に困る。歩きなのに、持って帰るの無理だって」
そう言って肩を落とした暁斗の隣には、すでにペーパーバッグ二つ分のチョコやら何やら。
これ以上増えても困る。
けれど、あそこに蟻のように群がる女子の半数は自分へのチョコを持っているのだろう。
これは暁斗の妄想や願望ではなく、今までの経験や事実を元にした現実だ。
因みに、もう半分は恐らく成樹に手渡されるものと思われる。
どうしようか…そんなことを考えながら、長い溜め息を吐き出す。
しかし、こんな風に日常の事を考えていられるのは、正直嬉しいかもしれない。
「日常に追われてる間は…悩まずにすむからな…」
そんな少しばかり切ない暁斗の声は、放課後の空へと溶け込んだ。
Rewrite 07.07.07