Soccer Life STAGE--30
ピピッという小さな電子音によって眠りの世界から引き上げられる。
まるで微温湯の中に漂っていたような思考は、不愉快だとばかりに覚醒を拒んだ。
しかし、まだ働かない頭で今日の予定をゆっくりと浮かべていた所で、無駄な抵抗は終わる。
どの道起きなければならないのだから、抵抗など初めから意味を成さないのだ。
「眠い…」
寝起きはそう悪くはない。
けれど、昨日少し長電話をした所為だろうか。
今一すっきりと頭が冴えておらず、ぼんやりとベッドの上で上半身だけを起こす。
カチ、コチ。
時計の針が動く音が次第に鮮明になってきて、漸く紅の目が起きた。
バサッと勢いよく布団を跳ね除けると、そのまま床に足をつける。
ひんやりとしたフローリングは、少し前までは寒く感じたが、今はそんな事もない。
寧ろすぐに足の体温が移ってしまい、少し心地悪く感じた。
それを気にせずにスタスタと部屋を横断して、反対の壁に掛かっていた制服に手を伸ばす。
だが、それを取る事はなかった。
「…そっか。今日は制服じゃなくてもいいんだっけ」
学校に行く事に変わりはないが、授業に出るわけではない。
部活だって、今日ばかりは合宿明けと言う事もあり参加は自由とされていた。
と言ってもやはり参加したメンバー全員が顔を出すのだろうけれど。
クルリと踵を返す紅は、その足でその壁に沿って置かれた箪笥へと歩く。
その引き出しから上下のジャージやらTシャツやらを取り出してさっさと着替えを済ませる。
上下を黒に揃えた紅は、箪笥を戻してから携帯だけを持って階下へと降りていった。
「おはよ、母さん」
「あら、おはよう。早いわね」
「うん。ちょっと部活に顔出してくるよ。あいつらも報告を待ってるだろうしさ」
リビングに入るなり、リモコンを片付けようとしていた母親を見つけ、朝の挨拶を交わす。
彼女は紅の姿を捉えると、クスリと微笑んで近づいてきた。
そして寝癖と思しき箇所を掌で撫でてから、「顔を洗ってきなさい」と告げてキッチンへと向かう。
朝食を用意してくれるのだろう。
そう思いながら、彼女に言われたように洗面所へと足を向けた。
そうしてリビングへ戻ってきた時には、髪型もきちんと整えられ、紅は暁斗になっていた。
彼女からすればどちらも自分なのだが、傍目から見れば大きく違う。
顔つきだけでも十分にその変化をつけることが出来るのだが、念押しとばかりに髪型で変化をつけていた。
そうしてガラリと雰囲気を変えてきた娘に対し、母は優しく微笑んでテーブルへと促す。
「毎日の事だけれど…私の娘ねぇ…」
感心したように息を吐き出す彼女に、暁斗は苦笑する。
元女優の彼女は、少し手を加えると物凄く変わる。
こう言うと怒られるのだが、それは正しく『化ける』の域なのだ。
血は争えないな…。
初めて暁斗を作った時の父の感想の声と呆気に取られたような表情を、暁斗は忘れないだろう。
「今日は休んでもいいんでしょう?身体は大丈夫なの?」
「うん?平気平気。ほら、後半は殆ど手伝いばっかりで、必死になって動いたわけじゃないしさ」
疲れるところがなかった、と答える。
初日に合格が決まった暁斗は、他の参加者のように監督達の目に留まるための必死さを見せる必要がなかった。
前に置かれた焼き立てのトーストに齧り付けば、彼女は微笑んで「そうだったわね」と答える。
「まぁ、無理しない程度に頑張っていらっしゃい。丁度出かける用事があるから、送ってあげるわ」
「ん。ありがと」
それならゆっくりと準備しても問題なさそうだ。
暁斗は少しだけ口を動かす速度を遅くした。
かんかん照りとまでは行かずとも、立っていればじわりと汗が滲むような気候だ。
こんな中で態々身体を動かして汗をかこうというのだから、ある意味馬鹿なのかもしれない。
尤も、そう言ってしまえば部活動に励む学生は皆馬鹿と言う事になってしまうのだけれど。
先ほどまでクーラーのきいた車内に居た所為だろうか。
やたらと纏わりつく暑さが気持ち悪く感じる。
そう感じたからと言ってそれが軽減されるわけでもないので、あえて口には出さない。
代わりに、少しばかり足の動きを早めた。
「で、暁斗はどうだったんだ!?」
「まさか、顔を出してないって事は―――!」
「いや、雪耶に限ってそれはないだろ!」
そんな声が聞こえてきて、他のメンバーがすでに到着しているのだと悟る。
自分が話題になっているところに入るのは嫌だなぁ。
そんな事を思うと、暁斗の足は自然と速度を落としてしまう正直者だ。
さて、どうしようか。
このまま踵を返してしまうと言う手もあるのだが―――そう思ったところで、ポスンと頭の上に何かが降りた。
「よぉ、暁斗。三日ぶりやな」
「おー。三日ぶりだな。ついでに、重いから退け」
そう言って頭の上に乗せられた手を落とす。
落とされた手の主…成樹は、その反動を利用して暁斗の前へと進み出た。
そして、真正面から彼女の顔を覗きこむ。
「合格おめでとうさん」
「…どーも。電話では言ってもらったけどな」
「電話よりも直接耳で聞く方が有り難味も増すやろ。どないや?」
「…まぁな」
つんと答えてみれば、彼は楽しげに笑みを浮かべてその頬を突いてくる。
照れるな照れるな。明らかにからかう事を目的とした彼の言葉に、暁斗は苦く笑った。
「それより、あいつらに伝えたらんでええんか?待っとるみたいやけど」
「あー…そうだな。何か、自分が話題になってるところに入るのってさー…タイミングを見計らってたみたいじゃん」
微妙なんだよ、と肩を落とす暁斗。
そのタイミングを狙っていた、と思われるのが嫌らしい。
しかし、彼女の考えも空しく、部員達は暁斗が受かったか否かと言う話題を今も続けている。
参加していたメンバーはすでにその結果を分かっているのだが、どうやら本人の口から伝えさせるつもりらしい。
仕方ないか、と肩を竦めつつ、バッグを肩に担ぎなおして歩き出す。
「じゃあ、俺は大穴で暁斗が落ちた方に全財―――」
「ほぉ?高井は俺が落ちると思ってるわけか」
「―――全財産かけないでおくかな、ははは…」
高らかにそう宣言しようとした高井。
しかし、それを遮るように発せられた低い声に、彼だけでなく盛り上がっていた部員までもが固まる。
「楽しそうだなぁ、お前ら。―――人を賭けの対象にするとはいい度胸じゃねェか」
「わ、悪かったって!元はといえば雪耶が遅いから…!」
「勝ち金全体の5割寄越せ」
「5…!?ぼったくりじゃねぇか!!」
「人で賭ける方が悪い。で、誰が払ってくれるんだ?」
そう問いかければ部員の目が一斉に泳ぐ。
自分だけは避けようという魂胆が見え見えで、暁斗は心中で苦笑い。
「何や、稼ぎの話か?」
「あぁ。成樹、喜べ。今日は臨時収入だ」
「ほぉー…そりゃええわ。帰りに冷たいもん奢ってや」
二人してからかいモードに突入してしまった。
こうなってしまえば、頭を下げなければ自分の小遣いが危うい。
賭けに乗った全員が平謝りするまであと30秒。
暁斗の結果を聞くのは、それから更に3分後の事だった。
Rewrite 07.04.29