Soccer Life STAGE--27
発散させずに溜め込んだ感情と言うのは、それだけ消えるまでに時間が掛かる。
暁斗は今まさにそんな状況を味わっていた。
「(イライラする…)」
コーチの補佐として練習を手伝いながら、暁斗は心中でそう呟いた。
表情には出していないから、誰も気付かない。
その笑顔の裏で青筋を立てていようが、彼女の心中には、よほど親しくはないと気付けないのだ。
女優の母親から何度か演技の話を聞き、それを実践しているだけなのだが…思った以上だ。
蛙の子は蛙、あの言葉はこんな時のために使うものなのかもしれない。
「(…ホントに、イライラするなぁ…)」
はぁ、と溜め息を吐きながら空を仰ぐ。
そうしていても、自分の真正面に立った少年にボールを蹴り出す事は忘れない。
作業は止める事無く、けれど自分の世界を放浪する暁斗。
玲は何となくその様子に気付いていたようだが、作業を怠っているわけではないのだからと咎める事はない。
その内に気分を入れ替えてくるだろう、と思っていた。
だが、暁斗へと向けていた視界で、その姿の向こうに見えた人物に彼女は思わず溜め息を零す。
これ以上関わって欲しく無いと言うのが本音だが…これは、暁斗が超えなければならない壁なのかもしれない。
無理やりにそう思い込むことにして、彼女が声を掛けてくるまでは気付いていない振りを…と視線を逸らした。
「よぉ、お前、コーチ補佐らしいな」
芝生を踏みしめた足音に、暁斗は心中で長く深い溜め息を吐き出す。
これと一緒に感情も吐き出せたら、どんなに楽だろうか。
尤も、その原因となる奴が目の前に居るのだから…吐き出したところですぐに湧き上がってきそうだが。
「…練習は?Aの方の休憩はまだ30分も先のはずだぜ?」
感情の乱れを表情に出さず、極力平静を装ってそう答えた。
鳴海は表面に見えた暁斗の表情に流されたらしい。
ニヤニヤと笑みを浮かべつつ、彼女の問いには答えずに腕に抱えていたボールをポーンと上に飛ばす。
「勝負を挑むぜ?構わないんだったよな?」
「…あぁ、練習時間外ならな」
分かったらとっとと練習に戻れ、と言いたげな視線を向ける。
だが、彼の方はその場から立ち去る気配はない。
そうしている間にも暁斗は次なる参加者の元へとボールを蹴り出す。
作業を怠らない彼女に、鳴海の方が逆に苛立ちを見せた。
「人の話を聞く時くらいこっちを見ろよ!」
「あのな…それ、練習サボってきてる奴が言える台詞じゃねぇよ。俺は自分の仕事をしてるだけ。OK?」
「ぐっ…」
「文句も勝負も、休憩までは持ち越しだ。分かったらさっさと戻れ」
邪魔だ、とその身体を押しのけてから右へと移動していく。
そのままスタスタとボール籠の所まで歩き、頭やら腕やらにボールを乗せてから戻ってくる。
すでに自分など無い者の様に扱う暁斗に一瞬苛立つが、結局返って来るのは正論ばかりだろう。
ここは堪えるべき。
ぐっと拳を握るだけに止めると、鳴海は足取り煩くAの練習場へと戻っていく。
遠目に彼らの様子を見ていた玲は、彼が去った事にそっと安堵の息を零した。
まだ紅の苛立ちは治まらないようだが、それでもこの場が騒々しくなる事だけは避けられたらしい。
それからきっちり30分後。
鳴海は再び暁斗の前へとやってきた。
文句あるか、とでも言いたげな視線に、暁斗ははぁと短く溜め息を吐き出す。
こっちの仕事はまだ終わっていないというのに…なんとも自分勝手な奴だ。
「西園寺監督。勝負を申し込まれたんで、少し行って来ます」
「わかったわ。そのまま休憩に入ってかまわないから、勝負の後はゆっくり身体を休めてきなさい」
時間はあるでしょうから、と言う彼女に、了解、と片腕を上げると、正面から鳴海に向き直る。
彼はと言うと、明らかに不服ですと言いたげな表情を浮かべていた。
自分との勝負が早くに決着する、それを意味している言葉の遣り取りが気に食わなかったらしい。
「で、どんな勝負だよ?」
「1対1の勝負だ」
「あぁ、その方が分かり易くていいな。ゴールに入れたほうが勝ち、問題あるか?」
そう問いかければ、彼からは無いと言う答えが返って来る。
それに頷くと、足元にあったボールを転がして空いていたゴールの方へと歩き出した。
足元に一切視線を向けていないのに、普通に歩きながらボールを転がしていく暁斗に、鳴海は思わず口を噤む。
もちろん、自分だって出来る。
…出来る、と思いたい。
だが、ここまで自然に出来るかと問われれば、頷けないかもしれない。
それを認める事は難しいけれど、自分の心の中にそんな考えがあったことだけは否定できなかった。
鳴海は暁斗には勝てなかった。
二人の勝負のためにボールを蹴ったのは、名前も知らないようなAの少年。
彼の蹴ったボールはやや真ん中から鳴海の方へと寄っていた。
だが、それを咎める事はなく、また暁斗が止めないのだから、と鳴海もボールに近づく。
そうしてまず彼の方がボールを支配し、暁斗がその進路を断つ。
自分よりも遥かに遠かった筈なのに、すでに己と対峙するその速さに目を見開いた。
だが、そうでなければ面白くない、と口角を持ち上げる。
取って、取られて、また取って。
そんな事を繰り返したのは5分ほど。
鳴海はその間に確かな手ごたえを感じていた。
やはり、何かのコネでコーチ補佐に上がった奴だ―――暁斗への認識を、そう確定させようとする。
そんな彼の心の変化を読み取ったわけではないだろうが、不意に暁斗が顔を上げて時計を見上げた。
フィールドには邪魔にならない所にひっそりと時計が設置されているのだ。
それを見た暁斗は、すぐに鳴海へと視線を戻した。
「もう楽しんだよな?」
クスリと浮かべられた笑みに、鳴海はゾクリと自身の背筋が粟立つのを感じた。
同時に、足元を掠め取られて支配していた白と黒のそれが消える。
「クソッ!」
奪われたと感じると、彼はすぐに動き出した。
彼とて、伊達にAグループに分けられているわけではない。
すぐさま反応を見せてすでに走り出している暁斗の背中を追った。
相手はドリブル、こっちはその身一つ。
走って追いつけないはずがない、そう高を括っていたのだ。
だが、予想に反してその距離は縮まりを見せない。
嘘だろ、と呟く声は音として唇を零れる事はなかった。
代わりに、彼はギリッと唇を噛み締めると火事場の馬鹿力のようなそれを発揮して暁斗の前へと回り込む。
体格の差も考えれば、暁斗に鳴海を抜く事は不可能にも思えた。
しかし―――
「…嘘だろ…」
パサリと、自分の後ろでネットが音を立てる。
今度は、確かに声として唇から零れ落ちた。
―――見えなかった。いや、見えたけれど、反応できなかった。
何が起こったのかはよく分からない。
気がつけば目の前に居た暁斗が自分のすぐ斜め前に居て、次にはバシュッというシュート音が聞こえた。
呆気に取られる鳴海を他所に、暁斗はさっさとゴールの中に止まっているボールを拾ってくる。
「俺の勝ち」
「~~~~~クソッ!!」
「おいおい、芝生を荒らしてくれるなよ。明日も世話になるんだからな」
そう言って笑うと、鳴海は悔しそうにしながらもラインから外へと出る。
なるほど、意地になって人の言う事を聞けないような馬鹿ではないらしい。
スポーツマンらしい所もあるじゃないか、と感心した。
そこで、暁斗は自分の苛立ちが消えている事に気づく。
同時に、それを消してくれたものを思い浮かべ、ふっと笑みを浮かべた。
「なぁ、鳴門だっけ?」
「鳴海だ!!」
「あぁ、それそれ。んじゃ、鳴海。お前、サッカー好きだよな?」
訳がわからない、と言う視線を向けられたが、暁斗は黙って彼の返事を待つ。
返事をするまでこの状態が続くのだろう。
それを理解した鳴海は、チッと舌を打ってから口を開いた。
「…好きに決まってるだろうが」
「…だよな。俺も、サッカー好きなんだわ。イライラとか全部忘れちまうくらいに」
「そうかよ」
「だから、お前の失礼極まりない誤解は、許してやる事にする」
そう言えば「失礼極まりない誤解?」と鳴海が暁斗を見た。
彼の清々しい笑顔を見て、そういえば女だと思ったんだったと思い出す。
そのことを指しているのはまず間違いはない。
「…訳わかんねぇ奴」
「ま、気にすんな。俺の自己満足。どんな風に仕返ししてやろうかって思ってたんだけど…今の勝ちでチャラな」
「…ムカつく奴…っ!」
「負け犬の遠吠えは見っともねぇぞ」
ケラケラと笑った暁斗に、鳴海は勝負前との空気の差に戸惑った。
一番初めが最悪だっただけに、怒った様子しか見ていなかったのだが…。
こんな能天気な奴だったのかよ、と肩を落とす。
よく分からないが、嫌いではないと思った。
「ったく…。認めてやるよ、コーチ補佐。ユースの実力は嘘じゃねぇみたいだからな」
「おー。認めて当然だ。お前は足元に課題が残りすぎ。力技じゃ、俺には一生勝てないぜ」
「…だー!一言どころか一会話余計だ、お前は!!」
「…心配する事なかったんだな」
「みたいだね」
「ははは!暁斗ってああ言う奴だって!サッカー好きには、基本的にイイ奴だし」
「あれだけ怒ってたのに、もう許せるなんて…馬鹿なんだか、大物なんだか…」
「ま、それが暁斗の良さだろ」
Rewrite 07.04.13