幼い記憶 19
「コウが来てない――――?」
エドが目を見開く。
その顔色が良くないのは気のせいではないだろう。
「コウッ!!」
ロックベル家にやってきたエドは、一番初めにそう叫んだ。
「何をそんなに慌てているんだい?コウは戻っていないよ」
ピナコがそう答える。
「何寝ぼけてるのよ、エド!コウはあんた達と一緒に旅してるんでしょ!?」
上の階から降りてきたウィンリィもそう言った。
「マジかよ…」
「兄さん…」
エドが明らかに落胆した声を発する。
様子が変なことに気づいたウィンリィが口を開いた。
「エド…コウはどうしたの?一緒じゃないの…?」
「コウとは一緒に中央を離れたんだ」
「…僕たちと同じ汽車に乗った」
「なら…「いないんだ」」
ウィンリィの言葉を遮るように、エドが声を出す。
「コウは―――――いない」
「おはよ、コウ。寝れた?」
窓の傍の椅子で、自分の左の手の平を眺めていたコウ。
唯一の扉が開くと、エンヴィーが顔を覗かせた。
コウを視界に捕らえると、エンヴィーがどこかほっとした表情を見せる。
「逃げなかったんだね」
「…色々聞きたいから」
エンヴィーはコウの座る椅子の前にあるテーブルにトレイを置く。
「そうだね。でも、まずは食べなよ。じゃないと体力もたないでしょ?俺たちとは違うし」
そう言いながら、エンヴィーはテーブルを挟んでコウの向かいに座る。
少し怪しみながらも、コウは用意された食事に手を伸ばした。
「俺たちは別に食べなくても生きていけるんだよね」
「そうなの?」
「そうなの」
「食べれないの?」
「ん?食べれるよ。身体の構造上問題なし」
「ふぅん…」
用意された食事は丁度良い量で、コウはそれを食べ終える。
満足そうなエンヴィーの視線に表情を緩めた。
「寝れてないんだね。まぁ、無理もないけど」
少し赤いコウの目元を指先でなぞりながら、エンヴィーがそう言った。
「ねぇ…エンヴィーは何でこんなにも私に色々してくれるの?」
コウはその手を振り払う事なく、そう問いかけた。
「…じゃあ今日はそこの説明から始めようか」
エンヴィーがゆっくり話し始める。
「俺が師匠だった時の癖…覚えてる?」
唐突に、エンヴィーがそう聞いた。
「…額にキス…?」
疑問符をつけて、コウが自信なさ気に答える。
だが、エンヴィーはそれに頷いた。
「正解。んで、それをコウが教えてくれたモノだって事は…覚えてないよね?」
こくこくとコウが頷く。
少し悲しげに微笑むと、エンヴィーは続けた。
「“額へのキスは幸せのお裾分け”。コウが教えてくれたんだよ」
「私…そんなの知らない…」
「知らないんじゃなくて…覚えてないんだよ。操作される前の事だったから」
あの日を思い出すように、エンヴィーは目を閉じた。
いつものように、お父様の言いつけを守ってカイトを見張っていた。
自室に篭りっきりの父親。
そんな彼の自室の前で、一人の少女が悲しげに扉を見上げていた。
「あれが…コウ…」
コウは、しばらくの間扉を見上げていたが、やがて庭へと出てきた。
花壇の脇に座り込んで、家の横に立つ木を眺めるコウ。
ふと、コウがエンヴィーの方を向いた。
「だれかいるの?」
まだ幼い声で、そう言った。
エンヴィーは少しだけ悩んだものの、コウの前に姿を見せる。
「だれ?」
「エンヴィー」
「わたしはコウ。よろしくね?」
小首を傾げながら、コウがにっこりと微笑む。
柔らかい笑みに、知らず知らずのうちに口元を緩めていた。
「ねぇ」
「何?」
「たのしくないの?」
行き成りコウがそんな事を聞いてきた。
これにはエンヴィーの方も驚く。
「何で?」
「たのしそうじゃないから」
「へぇ…わかるんだ?」
口の端をあげて、エンヴィーが言う。
「まぁ、楽しくはないね。誰かを殺す方がよっぽど楽しい仕事だし。
ま、こんなのアンタに言ってもわからないだろうけど」
「…いいことおしえてあげる」
そう言うと、コウは立ち上がった。
若干危ない足取りでエンヴィーに近づいてくる。
エンヴィーの傍まで来ると、身長差から必然的に見下ろす形になった。
そして、コウがエンヴィーの長い髪を引っ張る。
「何がしたいの?」
「いいから、かがんで」
聞かない限り諦めないだろうと判断したエンヴィーは腰を折ってコウにあわせる。
両頬に子供の体温を感じたかと思うと、額にも同じく温かみを感じる。
コウが顔を離して、ようやく額にキスされたのだと気づいた。
「ひたいへのキスはしあわせのおすそわけなんだって。おかあさんがおしえてくれたの」
嬉しそうに、コウがそう言った。
「コウ―――?家に帰ってらっしゃい」
「はぁーい!じゃあね、エンヴィー!」
ヒラヒラと手を振ると、コウは家の中へと走って行った。
「幸せのお裾分けって…アンタの方が寂しそうな表情してたじゃん…」
父親の自室の扉を見上げる少女の目を思い出して、エンヴィーがそう呟く。
「子供を殺さなかったの…初めてだったよ」
「エンヴィー…」
「正直………嬉しかった」
エンヴィーがコウから視線を逸らして言う。
「俺が幸せを抱えてるって訳じゃないけど…とにかく、コウには幸せになって欲しいと思う。
こんな事を思うこと自体もおかしいけど…それでも」
人でなき者の願いが叶うかどうかわからない。
けれども、願うならそれは君の為に。
(05.01.13)