Labyrinth of memory

「ほんの数ヶ月前よ。髪色が変わると同時に私の身体は成長を止めた」

自らの髪に指を絡め、私は続ける。
目の前に立つエンヴィーは何とも言いがたい表情で私を見下ろしていた。

「嬉しくなかったわけではないのよ?命を持てた時には、確かに喜んだの」

開いた視界が映す世界は新鮮で、とても心地よかった。
自分の物でない肉体であったとしても。

「でも、彼らの傍にいられないなら…いらない」

耐えられなかった。
例え父がいたとしても、私にとっては彼らの方が大きかった。
たった一人で生きていくのだと思うと、恐ろしかった。
だから―――

「私は死ぬつもりだったのよ。エンヴィーに会った前日に」
「あの日…?」
「それを止めたのは他でもないホーエンハイム。彼は私の記憶を消す事でその命を残した」

散らせるはずだった命は意に反して生かされ、そして記憶は奥深くへと封印された。
そして、記憶を失った私をあの場に残したのも彼。

「恐らくエドとアルに会わせる事で私を生かそうとしたんでしょうね。

記憶を取り戻す前ならば心を痛めることもない。取り戻すきっかけは、彼との接触」
「!ホーエンハイムと会ったのか!?」

エンヴィーの顔色が変わった。
その表情には明らかな憎しみが入り混じる。
私は内心苦笑を浮かべて彼に頷いた。

「ええ。おかげでこうして記憶は戻ったわ。あの子達の成長を見届けられたのだから、私は満足している」

母が死んだ事も知っていた。
残された二人がどうやって生活しているのかと思うと、今にも彼らの元へ駆け出しそうだった。
そんな時に風の便りで耳にした幼い錬金術師の噂。
エドであったらいいと、何度そう思ったかわからない。
彼らが無事に生きていることが、何よりの救いだった。

「満足だったのよ。例え傍にいられなくても、彼らが元気なら」
「じゃあ何で死にたいのさ?話が合わないよ」
「あなたに出会ったから」
「…俺…?」

ワケがわからない、と言う風にエンヴィーの眉が寄せられる。
そんな彼を前に、私は小さく微笑みを浮かべた。

「あなたと私を会わせたのはホーエンハイムよ。

会わせるつもりがなかったのならあんな裏路地に残す必要はなかった」
「アイツが…?」
「恐らくは半永久的に生き続ける存在がある事を教えたかったのよ。文献ではなく、実際に」
「まぁ、俺達はホムンクルスだし…確かに死からは程遠い存在だね」

たった一人で生きていかなければならないのだと思っていた私にとっては大きな出会いだった。
ホムンクルスの存在を知ることで自分だけでない事を知ったから。

「彼にとって予定外だったのは…私が抱いた感情ね…」
「……………」
「まさかエド達の敵に位置するあなたにそんな感情を抱くとは思わなかった」

私があの日あの場所でエンヴィーによって殺される可能性もゼロではない。
そんな賭けに出たのは、ホーエンハイムが心の中ではエンヴィーを認めているからだと思う。
それをエンヴィーに伝えた所で信じるはずもないが。








そこまで話すと私は立ち上がった。
私に合わせるように視線を持ち上げるエンヴィーに向かって微笑む。

「さ、話は終わりよ」
「……まさか、まだ殺せとか言うつもり?」
「もちろん。あなたは私の後ろにホーエンハイムを見ているけれど私自身を憎んでいるわけではない」
「………………」
「それが私の自惚れでないなら…殺して」

私の言葉に、エンヴィーはただ沈黙を貫いた。
時計の音すらない無音の時間が過ぎる。
先に動いたのは彼の方だった。

「はぁ…」

短い溜め息と共に、エンヴィーは私に向かって歩き出す。
一歩、また一歩と縮まる距離。
彼が私の願いを聞き入れてくれたのだと、そう思った。

「ありがとう」

聞こえない程度の音量で小さく呟く。

「もう一度しか言わないよ」

急にエンヴィーがそう言った。
その間も距離を縮めるように少しずつ足を進める。

「俺は、コウを殺すつもりはない」

そう言うと、エンヴィーは私の真横をすり抜けて窓際に立った。
夕闇を背に彼は身体をこちらに向ける。

「どうして…?自分の手を汚すのが嫌なの?」
「まさか。もうすでに人間の血で汚れきってるよ」
「じゃあ、何故…」

私の言葉に、彼は目を閉ざす。
そして、再びその視界を開くと私に向かって笑みを浮かべた。

「愛してる」

その言葉は自然に私の耳に届く。
自惚れではなく、私自身も感じていた。
彼の優しさは決して気紛れからのものではないと言う事を。
彼のバイオレットサファイアの眼が射抜くように私を見つめる。
その視線から逃れることもなく、私は同じく視線を返したまま首を振った。
そんな私に向かって彼は言葉を続ける。

「身体なんてただの器でしょ?俺が惚れたのは“コウ”だよ」

窓枠から身体を離し、エンヴィーはゆっくりと私に歩み寄る。
下がろうとする私を許さず、彼は私の顎を取った。

「アイツの娘だとしても、殺さない。コウだから」
「エンヴィー…」

至近距離から視線を向け、彼は静かに…しかし強く紡ぐ。

「もうすぐ仲間が俺を迎えに来る。俺はそれまでにこの町を出るつもりだ」

彼の眼を見ていれば素直に従ってしまいそうだった。
顔ごと視線を逸らそうとするが、顎をとられているためにそれすらも叶わない。
彼の眼に自分が映るのをまるで人事のように見つめていた。

「…先に死ぬのは許さないよ…?」
「死なない」
「……私、錬金術しか取柄がないよ…?」
「俺は使えないからそれで十分」
「………アイツの娘の「コウ」」

私の言葉を遮るように、エンヴィーが静かに続きを制する。

「コウ。俺と来い」

躊躇いもなく紡がれる言葉に、私は彼の首に腕を回す事で答えた。
背中を包むように回される彼の腕が心地よい。

「二人でどこか遠くに行こうか。何も考えなくていいような、遠くの地へ」
「ありがとう…」
「俺を選んだからには離さないよ。覚悟して」

耳元を掠める彼の声がくすぐったくて身を捩るも、彼から逃れる術はなかった。
何より、私自身が彼の腕の中から逃れる事を望んでいない。
やがて腕が緩むと、離れる私を惜しむように彼の唇が私の頬を掠めた。

「さて、行こうか」
「ええ」
「おチビさん達に挨拶は?」
「…あの子達とは会う筈がなかったの」

そう言って首を振れば、彼は「そう」と短く答えるだけだった。
慰めの言葉がないことが、私の心を軽くする。
エンヴィーは窓を開くと手を招いて私を呼ぶ。

「エンヴィー?」

彼の元へと歩めば、ふわりと抱きかかえられた。

「出発するけど…いいよね?」
「…あ、最後に一つだけ…」

思いついた言葉をそのまま口にする。
それを拒むかと思ったが、エンヴィーは笑みすら浮かべてそれを許可してくれた。
嬉しくて彼の首に抱きついて見せれば、少し驚いたような声が彼から聞こえる。
しかし慌てた様子もなく私を抱き、そのまま窓から闇へと身を任せた。

「ねぇ、エンヴィー」
「何?」
「私も愛してる」
「…知ってるよ」













二人が消えた翌日。

「あぁ、エドワードさん」
「ん?」
「昨日の夜これを預かったんです。あなたに渡して欲しいと」

そう言って宿主が朝食を取るエドとアルのテーブルへと駆けて来た。
彼から渡されたのは僅かに膨らんだ便箋。

「兄さん、それは?」
「さぁ…」

ピッと閉じを開き、その中身を取り出すエド。
彼が手紙を取り出した拍子に、その中から二輪の花が滑り落ちた。
テーブルに音もなく降り立ったそれを拾い上げるアル。

「…アネモネ…?」
「アル…」

花を見つめるアルにエドから手紙が渡された。
俯く彼の表情は見えない。
アルは黙って手紙を受け取り、それに目を通す。

「なぁ、これを預けた人ってどんな人だった?」

エドが宿主を捕まえて問う。
彼は思いだすように視線を持ち上げた後、明るい表情で答えてくれた。

「君と同じ金色の髪の綺麗な女性でしたよ。優しい笑顔でした」
「そっか。ありがと」

去っていく背中を見送ると、エドはアルの方を向いた。

「また…放って行かれちまったな…」
「そうだね。あ、兄さんこの花が一緒に入ってたみたいだよ」

アルが手に持っていたアネモネの一輪をエドに渡す。
それを受け取ると、エドは口角を持ち上げて肩を竦めた。

「粋な事してくれるぜ、姉さん」

二人は窓の外に視線を向けた。
いるはずのないその人に思いを馳せ、いつかの再会を夢見る。


アネモネの花言葉は…『君を愛す』





The End.
05.06.15