Labyrinth of memory

「姉さ…じゃなかった…コウ!!」

軍部の受け付けに声をかけようとしたコウの背後に声がかかる。
昨日聞いたばかりの声。
そして、身体が懐かしいと感じる声だった。

「エドワードくん…でしたっけ。こんにちは」
「…っあぁ。大佐から伝言を預かってる」

エドが息を呑むのに気づいたが、コウはそれには触れずに微笑みかける。
彼の辛そうに歪められる表情を見るのは、嫌だった。

「大佐から?何でしょう?」
「………俺達兄弟に、コウを任せるって…」
「…………………」

至極言い難そうに、エドはそう紡いだ。
コウは彼の言葉を頭の中で反芻させる。
彼女からの返答を待つ間、エドは所在無さげに視線を巡らせていた。
一定の場所に留まる事を知らぬように動く視線に、コウは思わず笑いを零す。

「…っ…」
「?姉さん…?」
「ごめんなさい…あまりにも面白くて…。じゃあ、今日はエドワードくん達にお世話になりますね」

未だにきょとんとした表情のままのエドを促がして、コウはアルが待っていると言う図書館を目指した。















彼らと過ごした時間はたったの数時間。
けれども、二人が赤の他人ではないと思わせるには十分な時間だった。

「今日はありがとう。あなた達と話せてよかったわ」

そう微笑むコウに、二人は顔を見合わせて笑う。

「僕達も楽しかったです」
「あぁ!コウって錬金術に詳しいんだな」

エドの言葉に、彼女は苦笑を浮かべた。
その理由をエド達が知る由もない。

「そうね。名前の他に、唯一覚えていた物だから」
「あ…ごめ…」

曇ったコウの表情に、エドが謝罪の言葉を紡ぐ。
アルが彼の言動を咎めるような声を上げるが、それを止めたのは他でもないコウだった。

「いいのよ。この世界で生きていこうと思ったらあった方がいい能力だし。ありがたいことだわ」

だから気にしないで。
そう言って笑うコウ。

二人は頷く他はなかった。
忘れもしない、姉の優しい微笑み。
母親と同じく自分たちを愛しんでくれているとわかる笑顔が、目の前にあった。
どうしても重ねずには居られない。
幼き日の記憶の、大切な姉に。

「エド?アル?」

黙り込んだ二人を見て、コウが首を傾げた。
ふわりと揺れる金髪が去っていた思考を呼び戻す。
慌てて取り繕う彼らにそれ以上は問わず、彼女は別の話題を出した。

「一つ聞きたいんだけど…」
「何ですか?」
「…無理に答えろとは言わないから」
「…だから、何なんだよ?さっさと聞けって」

アル、エドと順に答える。
その返事を聞いて尚数秒置くと、コウは口を開いた。

「……ホーエンハイムって…あなたたちのお父様?」

彼女自身も薄々感じていた。
これは、彼らにとっては触れられたくない事だと。
それでも、聞いておきたかったのだ。
エンヴィーがあれほどの憎悪を抱く人物と、彼らとの関わりを。
そして、わかっていた。

自分の言葉に対する彼らの答えがYesであると言う事も。






言葉もなく、彼らは暫しの沈黙を保つ。
やがて口を開いたのはエドだった。
短く、ただ一言肯定の言葉を紡ぐ。

「あぁ」
「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」

彼らとホーエンハイムと言う人物の間に何があったのかはわからない。
しかし、決して仲睦まじいとは言えない事は十分に理解できた。
心配げに何度もエドに視線を送るアルを見れば、自ずとその想いの深さが窺える。
アルよりも、エドにとっての影響が大きいらしい。

「…んじゃ、今日はこれくらいにしとくか!コウも疲れただろ?」
「え?あぁ、そうね」
「アル!俺達は今からが頑張り時だぜ!図書館で続きを調べよう」
「に、兄さん?」
「じゃあな、コウ!!」

そう言ってエドが図書館への道を戻りだした。
追おうとしたアルがコウを振り返る。

「…兄さん、父さんの事を嫌ってるんです。姉さんを連れて出て行った人だから」

それだけを言うと、アルも兄を追うようにして足早にその場を去る。
二人の背中が見えなくなり、コウは静かに溜め息を落とした。

「無理に笑わせちゃった…。何であんな事聞いちゃったのかしら…」

自分を叱咤するようにそう呟く。
誰でも、心の中に不可侵の領域と言うものを抱えている。
自分の言葉は、まさにそこを土足で踏み荒らしたのだろう。

「ごめんね…エド…アル…」

呟いた言葉は小さく空へと散った。




佇む事が解決への糸口ではない。
行動しなければ、現状は勝手に良くはならないのだ。
コウは動き出した。
出来る事は少なく、頼れる者もほんの僅か。
それでも、歩き出した。
留まる事を咎めず、歩き出す勇気に奨励を。
僅かな勇気を力に変えて歩き出す背中にかかった声。
それは、彼女の心を揺るがすには十分すぎる物だった。

「…コウ…。コウか…?」

崩れたパズルのピースが、音を立てて集い始めた ―――

05.06.03