Labyrinth of memory

「おチビ…じゃなかった。あの鋼の錬金術師、知ってる奴だった?」

どこで借りてきたのか、割と新しいマンションの一室へと連れて来られた私。
鍵を閉めるなり、彼は元の姿に戻る。
もっとも、それが彼の“元の”姿なのかは私にはわからないけれど。
彼の問いかけに、私は首を振るだけで答えた。

「全然記憶にない?」

覗き込むように、紫水晶のような目が私を映す。
隠せない…いや、隠したくないと思った。
この人にだけは。

この人だけは、私の言葉を受け止めてくれるかもしれないと。

「……わかってもらえないかも知れないけど…頭は覚えてないけど、身体が覚えてる気がする」
「………そっか。じゃあ、ちょっとは手がかりになるかもね」

そう言って、全く否定する事なく。
彼は私の頭に手を載せてそれを撫でる。
頭を撫でられて喜ぶような子供ではないと、そう思っていたのだけれど――
彼に…エンヴィーにされるならば、嬉しいと思えた。

「おチビ…何?」
「…あぁ、さっきの事?いつもおチビさんって呼んでたから…口癖っぽくなってるんだよね」

特に他意はないよ。そう笑うエンヴィーに、私は微笑み返す。
脳裏にふと過ぎったのは、毛を逆立てる猫のように怒る彼の姿。

「でも…彼、身長の事を言うと酷く怒るでしょう?」

クスクスと自然に漏れてくる笑い声を隠そうともせず、私はエンヴィーにそれを伝えた。
そうすると、彼の目が見開かれる。

「コウ…やっぱり知ってるんだね」
「?」
「おチビさんの事」

エンヴィーの言葉に、私はすぐにその意図する部分を読み取ることが出来なかった。
それを助けるように彼が言葉を繋ぐ。

「どの言葉で怒るとか…わかるほど知ってたって事でしょ?」
「あ…」

確かに。
ふと浮かんだ顔がエドワードと紹介された子の、怒った顔だった。
次に浮かんだのは、彼が…同じように金色金眼の少年を追い掛け回す姿。
どう見てもそれは兄弟の戯れだった。

「知って…る…?」

自分自身に問いかけるように、言葉が零れ落ちた。
同時に流れ落ちるのは、今まで忘れていた小さな…ほんの小さな不安。
それを具現化した涙が頬を伝う。

こうして涙を流したのは何年ぶりだろう?
止まるところを知らないそれはどんどん流れ落ちる。
初めこそ驚いた雰囲気を漂わせたエンヴィー。
だが、躊躇いがちに私の後頭部を抱き寄せた。
彼の細い…と言ってもそれなりに鍛え上げられた胸に額が当たる。
僅かに伝わってくる彼の鼓動が不思議なほど心地よかった。

他に縋りつくものがなくて―――
他に縋りつきたくなくて―――

私はただ、彼の腕の中で静かに涙を流した。















「覗き見なんて、趣味悪いんじゃない?」

月明かりの元、俺はベッドで静かに寝息を立てるコウの脇に座っていた。
素直に綺麗だと思える月の明かりが翳り、そこに現れたのは見慣れた…同胞。

「あの人に言われてあなたを探していたのよ。こっちも暇じゃないんだから…」
「悪かったね」
「玩具はさっさと捨てて、自分の仕事に戻ったらどうなの?

第五研究所以来、鋼の坊やも焔の大佐も色々と邪魔なのよ。ラースはあなたの管轄でしょう」
「あぁ、そんな奴もいたっけ。おばはんが適当にやってくれればいいのに」

眉を寄せるラストに、俺は軽く肩を竦めて見せた。
ラストの視線が俺から、その傍らに横たわるコウへと移る。
その視界に納めてやることさえ気に入らない。

「いい加減にしないと、そのお嬢さんの身の保証も出来ないわ。

困るのよ…スロウスだって、今軍の方で忙しいんだから。あなたが出来ないなら、私が代わりに…」

ラストの爪が鋭く伸びる。
それに比例するように、俺の視線が鋭さを増してラストを射抜く。
そんな俺の様子に納得したのか、諦めたのか…。
ラストは溜め息と共に爪を戻した。

「不思議ね、あなたがそんなに執着するなんて」
「うるさいな。用が済んだなら帰れば?」
「言われなくてもそうするわ。あの人には言わないでおくけど…どうなっても知らないわよ」

そう言うと、ラストは背中越しに手を上げて闇夜に溶け込んでいく。







開かれた窓から少し冷たい風が入り込んでいた。
俺の髪を揺らす風に対抗するように歩を進め、まるで全てから彼女を隔離するようにそれを遮断する。
再びコウの元に戻ると、彼女の金糸のそれに指を通した。
滑り落ちるそれに目を細めると、額にかかる一房を払いのける。
赤く腫れる目元をくすぐるように指を滑らせれば、コウが僅かに身じろぐ。
そんな彼女に身体を強張らせるが、どうやら起きてはいないようだ。
心のどこかで起きて欲しいと…一瞬でもそう考えた自分に苦笑を浮かべる。
露になったそこに、ただ一度唇を落とす。

「不思議…ね。俺が一番不思議に思ってるよ、そんな事」

恐怖にゆがむ涙しか覚えがない。
これほどまでに、綺麗だと思えるそれを見たのは初めてで…。
それを流し続ける彼女を放っておくことはできなかった。
自分でも驚くほど自然に彼女を抱き寄せ、そのまま自らの腕の中に閉じ込める。
力を籠めればいとも簡単に壊れるガラス細工のような肩を抱きながら、気づいた。
いや、気づかざるを得なかった。
彼女が自分の手を振り解かない事実に、安堵した自分に。

いつの間に、これほど内部まで踏み込む事を許したのだろうか?

「人の中に勝手に居座るなんて…迷惑だよ」

その滑らかな頬に手を滑らせながらそう呟く。
本心とは全く正反対の事を言っていると言う事くらい、嫌と言うほどわかっている。
それが証拠に、緩んだ口元はそのまま笑みを崩していない。
頬を伝わせ、顎へと指を這わせる。
自分の角度に合わせるように僅かにそれを動かし、その唇に自分のそれを重ね合わせた。
掠めるようなキスを数回。

――― そして、俺は音もなく部屋を後にする

05.05.14