Labyrinth of memory
何処のご時世にでも居るんだよね、こう言うお決まりな奴。
俺は他の建物と張り合うくらいの大きさの屋上に居る。
いつも通りに『必要のないモノ』…まぁ、言えば人間を始末した帰り。
早くあの人の所に報告に行かないとやばいとは思いつつも、俺は真下の路地に見える光景を見つめていた。
月の光を反射させて煌く刃。
金糸が数本宙を舞った時、俺は自然と身体を動かしていた。
「アンタ、こんな時間にこんな所で何やってんの?」
周りに転がっている『必要のないモノ』を蹴り飛ばしてそいつに問いかける。
そいつ…もとい、女は顔を上げた。
射抜くような、それで居て温かさを感じる金色の眼が俺を映す。
「あなた…誰?」
へぇー…それを聞く?
状況は、俺が女を助けてやった状況である筈。
その白い肌に切り傷が入っていてもおかしくなかった所を助けた命の恩人―――の筈。
なのに、開口一番にそれを聞かれるとは思わなかった。
更に言えば、俺の質問を無視する辺りもいい度胸してるじゃん。
「俺の質問に答えたら、答えてあげてもいいよ?」
挑発するように口元を上げて、女にそう話しかける。
女は少し悩むような素振りを見せ、彷徨わせていた視線を俺に固定した。
「…わからない。気が付いたらこの時間で…気がついたらここに居た」
「はぁ?」
ワケわかんない。
一瞬からかわれてるのかと思ったけど、どうやらそうじゃないらしい。
女の眼に、偽りの色は映っていなかった。
「…行くよ」
余裕が出来たのか、血のにおいが気になりだした。
何故かこのまま放っていく気にもなれず、俺は女の腕を掴んで路地を抜ける。
戸惑いの色を隠せなかった女だったが、反抗する事なく歩き出した。
俺の後ろで目を瞠るような金色の髪が揺れる。
とりあえず、行く所もないから俺が勝手に居座っている廃墟へやってきた。
お世辞にも綺麗とはいえない外観のおかげか、昼間でもあまり人間が来ない。
それをいい事に、俺はこの建物を使っていた。
以前はアパートか何かとして使われていたのか、古いながらも家具が入っている。
部屋に入るなり女の腕を放し、俺は適当に崩れた瓦礫に腰を降ろした。
立ち尽くしている女を見て口を開く。
「…名前は?」
そう問えば、暫しの沈黙の後にゆっくりと口を開く女。
「……コウ?」
疑問系で。
「…何でそんな心もとない返事なんだよ…。自分の事でしょ?」
「ごめんなさい…。本当にわからないから…」
ビクッと肩を震わせる女に、俺は溜め息を落す。
声をかける度に怯えさせても話が進まないから、出来るだけ静かに言った。
「………はぁ…。で、他に何かわかる事はないの?」
躊躇いがちに縦に振られる首。
「まさかと思いたいけど…記憶喪失…って事?」
聞いても仕方がないと知りながらも、あえて聞くしか出来なかった。
女の名前はコウだと言う事はわかった。
本人がそう言うのだから、それを信じるしかない。
しかも…一般知識はあるものの、名前以外の自分の事は何一つ覚えてないときたもんだ。
面倒な物を拾ったもんだよね、ホント…。
夜が遅い為に、仕方なく女…じゃなかった、コウに寝るように言う。
幸い、放置されたにもかかわらずあまりホコリっぽくないソファーがあった。
俺みたいなホムンクルスは寝なくても生きていけるけど、人間にとって睡眠は大事だって聞くからね。
「コイツ、何も知らないんだよね…」
静かな寝息を立てるコウを見下ろして呟く。
頬にかかった金糸を指でどかせると、思いのほかその髪が柔らかい事に気づく。
癖の少ない髪を二・三度梳いて、俺は溜め息を落とした。
「何やってんだか」
自分でもワケのわからない行動をしてしまったと、コウの傍から離れる。
月の角度を見て、あと少しで夜が明け始める事に気づく。
「……朝になったらコイツを軍にでも連れて行くか…」
自分で調べると言う方法もあるが、それは面倒だ。
かと言ってあの人の所に連れて行く気にもなれなかった。
いや、むしろ連れて行ってはいけないような気がする。
残った方法と言えば、無能ながらも市民を守る事を生業としている軍部を頼ること。
「仕方ないよね、嫌だけど」
例え自分が軍に顔を出したとしても、そこからウロボロスに繋がると言う事はないだろう。
もっとも、他人の姿を借りるつもりだからそんなヘマはしない。
これからの事を考えて、俺は再度溜め息を落とした。
そして、あと少しの夜を満喫するべく、ゆっくりと目を閉じる。
目を閉じて、そのまま夜明けを待つつもりだったのに、いつの間にか眠りの世界へと誘われていたらしい。
不思議な感覚だった。
ふと何かの気配を感じて目を開く。
相変わらず荒んだ部屋の中を見回し、先ほど感じた気配を辿る。
そして、眠る前と変わらずソファーの上に横たわるコウを発見した。
「人間がこんなに近くに居るのに…」
思わずそう呟いた。
ホムンクルスとして新たに生を受けて、初めての事。
誰かが傍に居る時に無防備になった記憶なんかない。
自分の領域に入り込むことすら拒んできた俺にとっては天変地異が起こりそうなほど珍しい。
理由もなく彼女に近づきたくなって、俺は窓際の椅子から立ち上がってそこへと向かう。
ソファーの前の床に直に座り、彼女の顔に視線を落す。
開けっ放しの窓から入り込む風に、コウの金色の髪がふわりと揺れた。
覚醒が近いのか、瞼が震える。
「…起きなよ」
俺の声に反応して、コウの肩が揺れた。
肩にかかっていた髪が一筋流れ落ちると同時に、閉ざされていた瞼がゆっくりと開く。
琥珀の様な金色の眼に、俺が映った。
「……………誰?」
寝起きの掠れた声でそう問うコウ。
夜にも同じ質問をしていたけど、それに答えた記憶が無い。
彼女が自分の質問に答えれば答えると言ったにも関わらず。
それにしても…
「…寝起き早々にそれを聞く?」
「……おはようございます。で、誰…?」
朝の挨拶を述べればいいってもんじゃないと思うけど…。
どこか心地よい鋭さを秘めたその視線に、何故かあの小さい錬金術師が重なった。
そう言えば、この髪も眼も…似ていないと言えば嘘になる。
「おチビさんの関係者…?」
「?」
俺が意図せず落とした言葉に、コウは言葉なく首を傾げた。
そんな彼女の髪を梳くと、気紛れに微笑んでやる。
「俺はエンヴィー。“嫉妬”のエンヴィーだよ」
05.04.21