時舞う旅人 24
一筋縄ではいかない事くらいは覚悟していた。
しかし、これはあんまりなのではないだろうかと思うのも決して無理はないと思いたい。
確実に過ぎ去っていく時間を恨めしく思ってしまうほどに。
「亀の歩みだね。寧ろ亀の方が早いかな」
「…メラノス」
的を得た言葉にエドとアルがぐたりとテーブルに伏した。
複写を受け取ってすでに一週間、本日だけでも3時間は調べ通しだ。
開館と同時にこの部屋に入り、2時間に一度ほどは入れ替わりで休憩を取る。
そんな毎日が続いているのだが、現状はまさにメラノスの言葉通りに『亀の歩み』である。
「なんなんだ。このクソ難解な暗号は……」
「兄さん…これ、マルコーさんに直接訊いた方が早いんじゃ…」
机に凭れかかりながら二人が言葉を交わす。
アルの言葉を受け入れるのはエドにとってはプライドが許さないようで、彼は決して頷かなかった。
そんな彼らの遣り取りを見ながらコウはクスクスと笑う。
そして、テーブルに手をついて立ち上がった。
「給仕室を借りて紅茶でも入れてこようと思うけど…どうする?」
「あー…頼む」
「OK。じゃあ、少し出てるね」
そう言って扉の前に立ち、ドアノブに手を伸ばした。
その時、運悪くも目の前のドアが開く。
目の前の扉がなくなった事で一瞬バランスを崩すも、そこは流石踊り子をしているだけの事はある。
すぐに態勢を整え、無様にこけるなどと言う醜態を晒す事はなかった。
「わっ!す、すみません!大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。少しバランスを崩しただけですから」
驚いたのは扉を開けた人物。
ブロッシュは慌てた様子でコウに駆け寄るが、彼女が笑顔で応対するのを見てほっと安堵の息を漏らす。
その間にもコウは彼の後ろの人物を見て、あっと声を上げる。
「シェスカさん」
「こんにちは。コウさん」
「どうしたの―――って、そんなの決まってるよね」
聞くまでもなかった、とコウは笑う。
そして進路を譲るように脇へと身体を退け、二人を通した。
ぺこりと頭を下げた後にエドたちの方に歩いていくシェスカを見送り、コウは部屋を後にする。
「あら、コウさん。どうしたんです?」
「いや、飲み物でも用意しようかと思って…」
「給仕室は廊下の突き当りを左に行けばありますよ。声を掛ければ使わせていただけるかと思います」
ロスの説明に頷き、ありがとうと言葉を残すとコウは教えてもらった道を歩き出す。
彼女に付き従うように一歩分後ろを歩くメラノスの様子が微笑ましいと、ロスは笑みを零した。
「まるでナイトね」
クスクスと笑った声は、静かな廊下の空気に溶け込んだ。
「何人分用意すればいいと思う?」
「コウと鋼の分だけで十分だと思うけど?」
床にちょこんと座り、メラノスは藍の目でコウを見上げて答えた。
流石に料理には使わないものの、台の上に乗るほど非常識ではない。
彼を見つめ、コウはふむ…と思案するようにカップを見つめた。
「不思議な事に薔薇があるから、一枚だけ花びらをいただいて…それを浮かせれば視覚的にも楽しめるかな」
「…弟の方に?」
「そ。飲めないし香りも味わえないけど…見て楽しめればいいんじゃないかと思って」
そう言いながらカップを四つ用意し、手際よく準備に取り掛かる。
とは言えインスタントの紅茶であるからして複雑な工程など何も必要ないのだが。
用意した湯気立つ紅茶をトレーに載せ、コウは来た道を戻る。
「僕が運ぼうか?」
「駄目。こんな人の多いところで人間になったら研究所行きだよ」
「…了解」
まだ少しばかり不満の様子だったが、最終的にコウの意見に従うのがメラノスだ。
少しばかり足の速度を速め、彼女と並ぶようにして歩いた。
「あ」
「ん?あぁ、あの時の嬢ちゃんか」
開いていた扉を潜ると、室内に見覚えのある男性が居た。
コウの声に振り向いた彼は笑みを浮かべて机の前を譲る。
軽く頭を下げてそこに進み、机の上にトレーを乗せると彼に向き直った。
「リゼンブールに行く前に見送ってくださった方ですよね」
あの時はすでに汽車の中ということもあり、簡略な挨拶しか出来なかった。
改めて、とコウは頭を下げる。
「コウ・スフィリアと申します。訳あって彼らと共に旅をしています」
「マース・ヒューズだ。こいつらとマスタング大佐から話は聞いてる」
よろしくな、と差し出された手を握り返し、コウは微笑んだ。
彼女をじっと見つめていたヒューズが「ひょっとして」と声を発する。
「ルデンタってのもコウか?」
「ええ。ご存知で?」
「前にこっちで踊った事があっただろう。その時に娘がえらく気に入っちまってな…」
「それはそれは…光栄です」
また今度娘さんに会わせてくださいね、とコウが言うと彼はもちろんだと頷く。
そして思い出したようにトレーの上に放置したままだったカップをエドとアルの元へと移動させる。
改めてエドたちと会話を始めたヒューズを見ながら、コウは先程途中にしていた作業を再開した。
シェスカは持ち前の記憶力を生かし、軍法会議所への就職が決定した。
やや強引なところはあったものの、自身の特技を生かせる仕事に就けたのだからよしとしておこう。
半ば引きずられるようにして部屋を後にした二人を見送り、コウはクスクスと笑っていた。
「強引な人だね」
「だろ?」
「あれ?そう言えばメラノスは?」
「入り口から死角になる本棚で資料を探してくれてるんだと思うよ」
紅茶片手に、とコウは答える。
先程用意した四つは、エド、アル、コウ、そしてメラノスの分だったと言う事だ。
アルは自分の前に置かれた紅茶の上でくるくると踊る薔薇の花びらを見下ろした。
表情に出す事は出来ないけれど、ただ嬉しいと思う。
「コウ、ありがとう」
彼の声にコウは笑顔で頷いた。
06.04.28