時舞う旅人  22

中庭への道中、二人に会話は無かった。
ただ肩を並べて廊下を歩き、そこへと通じる扉をコウが開く。
まだ日の沈まぬ外の明かりに目を細めつつも二人は一歩を踏み出した。

「…ごめん。心配させたらしいね」

宿にあまり客は居ないのか、静まり返っているその場にコウの声が響く。
ブーツが短い芝生を踏みしめる音が彼女の声に続く。

「メラノスが言ってた。本当に珍しいよね。メラノスがエドの所に行けだなんて」

クスクスと肩を揺らしながらコウはそう言う。
彼女の言葉はいつものように気さくのようで、それで居て酷く切なくなるようなものだった。
言葉も無く自身の後ろに続くエドを見かねたのか、コウは足を止めて振り向く。
そして、その表情を苦笑へと切り替えて笑った。

「そんな顔をする必要なんて…ないよ」
「…悪い」
「謝る必要も無いかな。遠慮とか、いらないから。もう慣れたしね」

そう言ってコウは切ない笑顔を見せる。
彼女が兄を失ったのは昨日今日の事ではない。
自身でもちゃんと気持ちの整理も出来ているのだから、腫れ物のように接されるのは逆に居心地が悪い。

「本の事は…」
「ああ。アイツから聞いた」
「…そう。じゃあ、何も説明要らないか」


その言葉を呟くように言うと、コウは静かに足元へと視線を落とした。
整理は出来ていると彼女は言ったが、やはり思い出してしまった感情もあるのだろう。
急かすわけでもなく、エドは彼女を見つめていた。
自分よりも年上の彼女の背中が小さく見える。

「…………大好きだった…ううん。今でも好き。あれを読んで、改めて思った」

呟きだした言葉は自身に囁いているかのように小さなもの。
聞き逃してしまいそうなそれに耳を傾ける。

「私ね。エドの事、尊敬してるの」
「尊敬?」
「私は…兄さんが死んだ時、魂だけでもって思えなかった。そんな事…考えもしなかった」
「あれは…っ!」

言葉を詰まらせるエドに、コウは背中を向けるのをやめて向き直る。

「あの時は…アルが持っていかれたからだ…」
「…真理、だね」
「知ってんのか?」

彼の問いかけにあの本に書いてあった、と彼女は答える。
コウの答えにエドの表情が変化したのに気づくと、彼女は申し訳なさそうに首を振る。

「為になる事は何も。人体錬成を行った者が真理に何かを持っていかれるって事だけだったから…」
「そ、か」
「…ごめん」
「いや。別にいいんだ。それより、どんな内容だったんだ?」

まるで自分の事の様に肩を落とすコウを見て、エドは話題を変えようと口を開く。
しかし、言ってしまってから彼女に辛い事を思い出させるのでは…と言う考えにいたった。
慌てて彼女のほうを向くが、その表情はエドが想像していたものとは別のもの。

「内容的には、エドも興味深いものだと思うよ。錬金術に関しても書いてあったから」

そう言いながらコウは頬に朱を走らせて顔を背ける。
彼女の反応に首を傾げる彼に気づき、躊躇いながらも続きを言った。

「読む人が読めば………………………ただの兄馬鹿旅行記…」

最後の方は本当に小さな音量で、耳を澄まさなければ風の音に掻き消されてしまいそうなものだった。
言葉の意味を理解したエドは呆気にとられたように口をぽかんと開き、鸚鵡返しの如く呟く。

「兄…馬鹿?」

エドの声にコウは顔を逸らしたままコクリと頷く。
それ以外にあの本の内容を的確に示せる言葉はないと思う。
頷いてしまうのは酷く抵抗があるが。
それでも、とコウは呟いた。



「愛されてたんだなって…嬉しかった」

文章の一つ一つから、兄の愛情が垣間見えているように思えた。
自分の知らない所で彼は動き、そして沢山のものを残してくれている。
全てが書かれているわけではないのだろうけれども、その一部を知れただけでも十分だった。

そこまで考えが行き着いたとき、コウは自身の視界がぼやけている事に気づく。
すぐにその頬を伝うものに気づき、慌ててそれを拭った。

「コウ…」

驚いたようにエドが彼女を見つめる。

「読んでいる途中は涙なんて出なかったのに…。今頃になって………」
「今だけは、泣いてもいいと思う。その…想ってくれていた兄貴の為に泣いてやれよ」

俺は見てないから、そう言って彼はくるりと身体を反転させる。
しっかり見てしまった後では格好もつかないのだが、ずっと見られているよりはいいだろうと言う判断だった。
そんな彼の背中を見て、コウはまた一筋涙を零しながらも口元に笑みを浮かべる。
出逢ってそんなに長い時間は経っていないが、エドのさりげない気遣いに依存している自分が居る事に気づかずには居られない。
一歩分だけ離れていた距離を己の足で縮め、コウはぽすんとその背中に額を預けた。

「コウ?」
「少しだけ…。背中、借りるね」

了承の声は無かったが、拒む声も無かった。












中庭に設置されたベンチに腰を下ろし、その背もたれにだらりと背中を預ける。
そうして両目の上にアイマスクのように濡らしたタオルを載せた。

「大丈夫か?」
「頭が酷く痛くて、瞼が腫れている事以外はね」

隣に座るエドの言葉にコウはそう返す。
一見冷たい返事のようにも思えるが、声色は苦笑の時のそれだった。

「久しぶりだと思ったよりも応えるわ…」
「あー…まぁ、結構な時間だったしな」

窓から見える時計は、中庭を訪れてから一時間後の時刻を指そうとしていた。
随分長い間付き合わせてしまった事に対する罪悪感がコウの中で首を擡げる。

「先に戻ってていいよ。…………って言っても今更だけど…」

コウの提案にエドは彼女の方を向くが、生憎目を覆っているコウはそれに気づかない。
再び前に視線を戻すと、彼は足を組みなおして口を開いた。

「別にいいって。これだけ付き合ったんだし…今戻っても変わんねぇだろ」

戻る気配の無い隣の彼に、コウは口元だけを緩めた。

「………エドの傍は居心地がいいね」
「は?」
「兄さんを思い出す」

口元だけから表情を読み取るのは少しばかり難しかった。
だが、それでも彼女が穏やかに話しているということは声からも窺える。

「……俺も、コウの傍は居心地いいと…思うぜ?」

あーだの、うーだのと言葉にならない声のあと、彼は尻すぼみにそう紡ぐ。
声の調子から照れが含まれている事に気づけない者は居ないだろう。
コウはクスクスと笑うと「ありがとう」と言う。

「…ホントに…手放せなくなるなぁ…」

続いた声はあまり小さく、エドの耳に捉えられる事は無かった。

06.03.21