時舞う旅人 21
朝食で姿を見せなかったコウは、昼食時にも食堂に下りてくることは無かった。
彼女の相棒である黒猫のメラノスだけが時折廊下を歩くだけ。
夕食時になって我慢できなくなったのか、エドは食堂の端を横切ろうとしていたメラノスを捕まえた。
「コウはどうしたんだ?」
「部屋で本を読んでるよ」
「本?」
「流石に食事もせずに読書は良くないよ」
二人の返事にメラノスははぁ、と溜め息を漏らす。
そして彼らの座っていた席へと足を動かし、空いていた椅子の上に身体を乗せた。
話してくれるつもりがあるらしい彼の行動を見て、エドとアルも同じく席へと戻る。
「今はそっとしておいてやってくれないか」
「何でだよ?身体を壊さないか?」
「心配してくれるのは有難いけどね…読んでいる本は、コウにとって凄く大事なんだよ」
「いったい何の本を読んでるの?」
アルの質問に、メラノスはその口を閉ざす。
しかし、少しだけ悩むように沈黙した後に彼は言った。
「コウに兄が居たことは知ってるね?」
「あぁ。あの機械鎧を作った奴だろ?」
メラノスはエドの答えに頷く。
自身の黒い尾を揺らしながら彼は続けた。
「その兄が書き残した本だよ。昨日あの…ほら、複製してくれてる彼女だよ。彼女の所でそれを譲り受けたんだ」
「………それがそんなに大事なの?」
アルが控えめにそう尋ねる。
彼がそう思うのも無理は無いのだろう。
疲れを知らぬ身体なだけに、その身の大切さというものを感じている彼だから。
「…コウにとって、あいつは何者にも変えられない存在だよ」
目を伏せ、メラノスは言う。
彼の脳裏には、コウが兄…シュウの傍らで笑っていた頃の情景が浮かんだ。
それを掻き消すように首を振ると、メラノスは椅子の上に立つ。
とんっと音も無く床へと降り立ってそのまま部屋へと続く階段の方へと歩き出す。
階段を一段飛ばしで駆け上がると、その黒い姿は見えなくなった。
「…今はそっとしておくか…」
「…そうだね」
昼も夜も関係なく、ただ活字を追うことに全ての時間を費やした。
突然一冊の古い本を抱いて帰ってきたコウを迎えたメラノス。
彼女の様子を見て、彼はそれを咎めることなく彼女の傍らに居た。
コウが兄の残した本を読み始めて一日。
前触れも無く、パタンと分厚い本が閉じられる。
「終わったの?」
「………終わった」
「そう。じゃあ、感傷に浸る前に、鋼の所に行ってやりなよ。心配してたからさ」
日当たりの良いところに設置した椅子の上に身体を丸めたままメラノスはそう言った。
彼の言葉にコウは暫くきょとんとした眼差しを返す。
「…何だい?」
「や…メラノスがエドの所に行けって言うなんて、珍しいなぁと思って…」
「………別に深い理由は無いよ。ただ、心配していたから」
そう言ってメラノスはふいっと顔をそらす。
それは照れ隠しの行動のように見えた。
口ではどう言っていようが、根本的なところではちゃんと彼らのことを認め始めているという証拠だろう。
そんな彼の行動が微笑ましく思えて、コウはクスクスと静かに笑う。
「じゃあ…行って来るね。少し預かっててくれる?」
コウの問いかけに了解とばかりにその尾を揺らすメラノス。
そんな彼の傍らに本を置き、彼女は立ち上がった。
部屋のドアに手を掛けたときに一度彼を振り返るが、何を言うでもなく再び視線を前へと戻す。
メラノスは去っていく足音が聞こえなくなると、一度ドアを見つめた後に丸めた身体に頭を伏せた。
依頼した複製が仕上がったという報告はまだ無い。
護衛と称して部屋の前で待機してくれている二人には悪いが、そろそろ4日目ともなれば暇を持て余していた。
エドはベッドに横たわったまま、何をするでもなく過ごす。
「兄さん、図書館でも行く?」
「いや、折角複写してもらってるんだから、そっちを待ってからの方が効率いいだろ」
「…じゃあ、散歩でもしてきたら?」
アルがそう言うが、返ってくるのは沈黙のみ。
一々護衛についてこられれば休まる気持ちも休まらないし、何より手持ち無沙汰な理由は他にある。
それがわかっているアルは、兄の背中を眺めながら密かに溜め息を漏らした。
そんな時、廊下に居る筈の二人の声が部屋の中まで届く。
案じるようなロスとブロッシュのそれにエドが寝返りを打ってドアの方を向いた。
丁度視線を向けていたドアノブが回り、そこからひょっこりと顔を覗かせた人物。
「コウ?」
「うん。今、時間空いてる?」
彼女は笑顔と共にそう尋ねた。
エドは寝転がしていた身体を起こして頷く。
「じゃあ、散歩でも行かない?二人には許可を取ったから」
遠くには行けないけれど、と彼女は笑う。
悩むような素振りすら見せずに言葉を失っている様子のエドに、アルが変わって声を上げた。
「行っておいでよ、兄さん。どうせ暇だったんだし」
「…おう。お前も行くか?」
「僕は待ってるよ。昨日図書館で借りた本が残ってるから」
彼の返事に頷き、エドはベッドから降りてドアのところに待つコウの元へと歩く。
先にエドが部屋を出て、次いでコウもそれに続いた。
「行ってくるね、アル」
「行ってらっしゃい」
ドアが閉まる前にそこに手が差し込まれ、ロスとブロッシュが部屋の中に入ってきた。
「ロス少尉。よろしかったんですか?二人だけで…」
「コウさんなら約束は守るから大丈夫でしょう。宿の中庭だけって言っておいたし」
「でも、何かあったら…」
「流石にこんな辺鄙な宿の中庭にまでスカーは来ないと思うよ、ブロッシュ軍曹」
二人の会話に、アルが堪らず言葉を挟む。
ロスは彼の言葉にその通りだと頷いた。
「少しだけ二人だけにしてあげてくれないかな。たぶん…兄さんにも、コウにも…休息が必要だと思うんだ」
「そう言う事。お邪魔虫になるわけにも行かないでしょう。ほら、私達は護衛に戻る!」
そう言って彼女は先にブロッシュ軍曹を追い出した。
そして、アルを振り向いて口を開く。
だが、それよりも先に彼の方が声を発した。
「ありがとう、ロス少尉」
「…いいのよ。あの子達、二人とも無理ばっかりだから…お互いにいい休息になると思うわ」
笑顔でそう答えると、ロスは一度彼に敬礼を見せた後部屋を出て行く。
「兄さん、自分がコウを心配して宿から出ようとしなかったんだって気づくといいけど…」
そう静かに呟き、アルはベッドの上に放り投げてあった本を持ち上げる。
可もなく不可もなく、と言った内容の本を読み始め、二人の帰りを待った。
06.03.13