時舞う旅人 10
殺される事を覚悟していなかったわけではない。
憲兵らの死体を横にこの部屋へやってきたのだから。
しかし、男はコウの呼吸が整うのを待っていた。
「ヴィアドの民か…」
流れる浅葱色の髪を見下ろした彼はそう呟いた。
驚いたのは他でもないコウ。
「私達を知っているの?」
「……何度か旅路を共にした事もあった。すでに滅んだと聞いていたが…」
「私が最後のはずよ」
額に流れた汗を拭いながらコウは答える。
暑そうにコートを脱ぎ去ると、そのままブーツを鳴らして部屋の中央まで歩いていく。
ニーナとアレキサンダーの合成獣は彼女の元へと擦り寄ってきた。
そんな彼女の頬を撫で、小さく「ごめんね」と呟く。
「おねえ、ちゃん」
唇をぐっと噛み締めた後、コウは静かに男に視線を向けた。
見上げなければならないような身長差にも、不思議と恐怖はない。
揺るがない覚悟を胸に、コウは男を見つめる。
「私に、時間を」
「…そうなった今、元に戻す術はない」
「時間をください」
なおも同じ言葉を繰り返す彼女に、折れたのは男の方だった。
静かに息を吐き出すと、そのまま一歩だけ後ろへと下がる。
それを肯定と取ったコウは漸く緊張を解く。
しかし、自らを勇めるようにパンッとその両頬を打った。
解けていた髪を一本に纏め上げ、肩に居座ったままのメラノスに声を掛ける。
「メラノス、巻き込まれないように離れてて」
肩を蹴って距離を取った彼を見送り、コウは床に流れている血を指で掬った。
赤く染まった後、重力に従ってぽたりとそれは落ちる。
「どうするつもりだ」
「合成された彼女らの肉体を、その結合を解いて同時に錬成しなおす」
視線は手元に落としたまま答えるコウ。
馬鹿な…と呟く彼の声が聞こえなかったわけではないが、彼女は反応しなかった。
機械鎧の内側に刻まれている錬成陣に触れるよう右手を滑らせ、両手を地面に付く。
錬成光が治まった頃には、合成獣を中心とした錬成陣が出来上がっていた。
それの上に血に濡れた指を這わせれば、錬成陣に赤く筋が入る。
「ちょっと苦しいけど…我慢してね。ニーナ、アレキサンダー」
錬成陣の上に静かに手を下ろすコウ。
中央の彼女らを、錬成反応が包み込んだ。
「馬鹿な…」
驚きに表情を染め上げる男を、その気配で悟りながらコウはふぅと息を吐き出した。
額を伝う汗が、その神経を張り詰めていたということを証明している。
「よかった…もう、駄目かと…」
安堵の言葉を零し、コウはぐったりとその場に座り込む。
彼女の傍らには横たわった少女と大型の犬。
昨日見た姿と寸分狂わぬそれで、彼女らはその目を閉じていた。
胸の上下運動を見てコウは口元に笑みを浮かべる。
「目を覚ますかどうかはわからない。でも…生きていてくれれば望みはあるから」
ニーナの髪を撫でて呟いた。
そんな彼女の膝の上にメラノスが飛び乗り、よくやったとばかりにその頬を舐め上げる。
擽ったそうに身をよじるコウだが、その表情は嬉しそうだ。
「いったい何をした?」
いつの間に傍までやってきていたのか、男はコウの真後ろに立って問いかけた。
コウは彼を見上げるように顔を上げ、自らの右手の方を指す。
そこに横たわっているのはタッカーであったもの。
「二人の結合を解くと同時に、それが混ざり合うのを防ぐために遺伝子情報を用いたの。
成功するかは……五分五分だった」
タッカーが死んでいなければ、不可能だった。
不幸中の幸いと呼ぶには人の命が軽すぎるが、それによって二つの命が救われたのだ。
コウにとっては満足の行く結果だった。
「ヴィアドの民は錬金術を使っていなかったはずだが…」
「このご時世に生きていくには力が知識と力が必要だったのよ」
「…国家錬金術師か?」
その問いかけを口にした男の雰囲気が変わる。
反応したのはメラノス。
彼は漆黒の毛並みを逆立てて男を威嚇した。
見下ろすその目を前にしても、コウは冷静にそれを見つめ返す。
「国家資格をとるつもりはないわ。軍の狗に成り下がるつもりはないの」
床に手を着いて身体を立ち上がらせ、コウは彼を見上げる。
その拍子に結ってあった髪がさらりと流れた。
「ヴィアドの民は自由を好む。今も昔も…そしてこれからも、私がそれを受け継いでいく」
真正面から彼に視線を投げかけ、コウは強くそう言った。
迷いのない済んだ目に男は言葉を留める。
そして、ゆっくりと彼女に近づいた。
「…メラノス、二人を任せたからね」
肩へと移動していた彼にそう告げるコウ。
同時に、彼女の鳩尾に男の拳が浅く埋まる。
コウは思ったよりも軽い痛みに意識を失わせながら倒れゆく。
彼の腕に抱きとめられながら、それを沈ませた。
「…すまぬ」
呟かれた言葉を最後に、コウは完全に意識を落とした。
司令部の一室を前に、エドはその扉を見上げていた。
しかし、諦めたようにくるりと踵を返す。
そんな彼の背中に声がかかった。
「エドワードくん!」
びくりと肩を震わせて振り向けば、ドアの隙間から顔を覗かせるリザと目が合う。
彼女はコートを片手に部屋から出てきた。
「あ…ホークアイ中尉」
「どうしたの、こんな朝早くから」
そう言って優しく問いかけるリザに、エドは視線を逸らしながら答える。
「あ…あのさ。タッカーと…ニーナはどうなるの?」
躊躇いがちに紡がれた問いかけは彼女の予想していたものだった。
しばし沈黙した後、彼女は静かに口を開く。
「タッカー氏は資格剥奪の上中央で裁判にかけられる予定だったけど………死んだわ」
リザの答えにエドとアルが驚く。
驚愕に声を失う中、リザは再び言葉を続けた。
「正式に言えば「殺された」のよ。
だまっていても、いつかはあなた達も知る事になるだろうから教えておくわね」
「そんな…なんで………ニーナは!?まさかニーナも…!?」
自分の後を追って足を進めながらそう聞いてくるエド。
少しだけ悩んだ後、リザは頷いた。
現場に連れて行ってくれという二人に対して、彼女は足を止めて言った。
「あなた達は他に行くところがあるでしょう」
「行くところ…?」
「コウちゃん、病院に運ばれているのよ」
「「!?」」
驚きのあまりに声を失う彼ら。
しかし、先ほどからそれを繰り返している所為か立ち直りは早かった。
「な、何で!?コウに何が…!!」
「…犯人と接触したらしいわ」
「どこの病院!?」
エドは病院を聞くなり走り出した。
それを追うようにしてアルもリザに頭を下げた後、走り出す。
そんな彼らの背中を見送りながら、彼女はふぅと溜め息をもらした。
「あれでよかったのかしらね…」
いつ目覚めるかも分からない、植物状態に近いニーナ。
あえて死んだと言うことを否定しなかったのは、上司であるロイからの指示だった。
一縷の望みをかければ、それが叶わなかった時のショックが大きいから、と。
『兄弟の本当の望みを叶える為に障害となるものなど必要ない』
ロイの言葉通りにリザはエドたちに真実を告げなかった。
それが正しかったのかを判断するのは、きっと今ではないのだろう。
考えを止めるように窓の外を一瞥するリザ。
そして彼女は現場へと向かうべくコートを羽織った。
05.09.25