時舞う旅人  06

「別に知らなくてもいいと思うけど?」

車の中でメラノスは口を開く。

「駄目よ。メラノスの事だから。ちゃんと知っておくに越した事はないわ」

コウは膝の上の彼にそう答えた。
まだ慣れるほど回数見たわけではないロイは不審げに彼を見下ろす。
藍の双眸が自分をはっきりと捉え、自分に向かって問う。

「何?まだ信じられないの?まぁ、別に君達に信じてもらう必要はどこにもないんだよね」
「随分と態度のでかい猫だな…」
「猫は態度をでかくしちゃいけないのかい?そんな法律が出来れば僕も考えを改める事にするよ」
「…メラ」

口が悪い…と言うよりも毒舌と言った方が正しいだろうか。
的確に言葉を返してくるだけに反論は難しい。
コウが咎めるように名前を呼べば、彼は肩を竦めて彼女の膝の上に伏せる。
主の言う事はちゃんと聞くらしい。
彼女は申し訳なさそうに眉を下げてロイの方を向いた。

「あの…ごめんなさい」
「あぁ、別に構わんさ。弱い犬ほどよく吠える」
「窮鼠猫を噛む、って知ってる?東の方の国の言葉だから知らなくても無理はないだろうけど」
「メラノス」
「……売られた喧嘩を買うのも駄目なんだね、了解。努力はするよ」

つまらないけどね、と彼はぼやく。
ゆらりゆらりと左右に大きく、ゆっくりと揺らされる尾が彼の気持ちを物語っていた。



実の所、コウはメラノスがここまで好戦的だとは知らなかった。
コウ自身が人と深くかかわる事を、無意識に拒んでいたからである。
彼女は旅の中で出逢った人とは決して共に席に着く事をしない。
踊り子として各地を巡れば、誘われる回数も決して少なくはないのだ。
しかし今まで一度たりとも彼女はそれに乗らなかった。
それが、自らに定めた境界線でもあった。

コウは昨日の事を思い出す。
あそこまですんなりと人を受け入れられたのは、一人旅の中で初めてだった。
メラノスが驚いていたのも無理はない。
時折道路の調子に合わせて弾む車に揺られながら、コウはぼんやりと思考の波に身をゆだねた。













それから程なくして、一行を乗せた車はタッカー氏の家の前で止まる。
車内では膝の上を独占していたメラノスは慣れた様子でコウの肩へと移った。
スラリとした体格の彼は決して軽くはないが、早々に疲労を感じるほども重くはない。
敷地内に入るなり、メラノスは眉を寄せるような仕草を見せた。
不思議に思ったコウは彼の名を呼ぶ。

「メラ?」
「…コウ。頼むから僕を放さないでね」
「…?了解」

彼の言葉に首を傾げながらも、コウはそれを素直に了承する。
エドとアルが家の大きさに驚いている間、ロイは前方の方で家の呼び鈴を鳴らしていた。
不意に、ガサッと言う草木を分ける音がした。
同時に飛び出してくる大きな物体。
それは他の者には目もくれず、金髪の彼に飛びついたのだ。
この世のものとは思えないほどのエドの叫び声があたりに木霊した。

「い、ぬ…?」

地面と仲良くなっているエドの背に、大型の犬が嬉しそうに尾を振って圧し掛かっていた。
メラノスが引きつった表情でコウの肩に爪を立てる。
そう強い力ではなかったので肌が傷つく事はなかったが、痛い事は痛い。
その腹いせと言うわけではないが、コウは一歩エドの方に近づく。
メラノスが面白いくらいに毛を逆立たせてそれを止めた。

「コウ!!!犬は嫌いなんだよ!知ってるでしょ!?」
「あー…はいはい。耳元で怒鳴らないで…」

耳に痛いほどの大音響で叫ぶ彼。
よほど嫌ならしい。

「それより…これからは喋らないように」
「…?」

急に真剣になったコウの声に、メラノスは思わず口を噤んだ。

「あまり…いい雰囲気じゃない気がする」
「…わかったよ」

その言葉を境に、メラノスは口を閉ざした。
あくまで彼女の憶測の範囲だが…コウの勘は侮れないと言う事を彼は知っているのだ。










エドが襲われてから程なくして、タッカーは姿を見せた。
家の中の一室に案内される。

「あらためて初めまして、エドワード君。そちらはスフィリアさんでよかったかな?

綴命の錬金術師ショウ・タッカーです」

人の良い笑顔で彼はそう自己を紹介した。
彼らの中継ぎをするように、ロイが今回の訪問の説明をする。

「彼は生体の錬成に興味があってね。ぜひタッカー氏の研究を拝見したいと」
「ええ、かまいませんよ」

タッカーはそれを快く引き受ける。
しかし、そこまで答えて彼は真剣な表情でこう続けたのだ。

「でもね、人の手の内を見たいと言うなら君の手の内も明かしてもらわないとね。

それが錬金術師というものだろう」

―― 等価交換 ――

錬金術師にとって呼吸に等しく存在する考えである。
彼の言う事はもっともだった。

「なぜ、生体の錬成に興味を?」

タッカーは問う。

「あ、いや彼は…」
「大佐」

ロイの言葉を止めたのはエド本人だった。
彼は自分の上着の留めを外しながら答える。

「タッカーさんの言う事ももっともだ」

そう言って彼は黒い上着を脱ぐ。
その下に現れたのは鉛色に光る機械鎧だった。

「俺達は――― 「エド」」

話し出そうとした彼の声を、コウが止めた。
エドの言葉の出鼻を挫いてしまった事に申し訳なさそうに微笑み、彼女は席を立つ。

「ニーナと遊んでいるわ」

そう言って彼女は誰かが止める間もなく部屋を出て行く。
閉まりそうな扉の合間を潜り、メラノスも彼女を追った。
彼女の背中を見送り、エドは静かに溜め息をつく。
コウが出て行ったのは間違いなく自分のためだろう。
この場に留まれば、不可抗力とは言え、自分の話していない事まで彼女が知る事になる。
彼女の過去を少しにしろ聞いてしまったのだから、エドも自分の事を話すつもりではいる。
小さな心遣いが、思わぬほど嬉しかった。






「『…代償はその左腕なのか…』か…」

廊下を進みながらコウは呟く。
足元について来ていたメラノスが声を上げた。

「コウ、思い出す必要はないよ」
「わかってるわ。でも、逃げているわけには行かないのよ。彼らみたいに…向き合わないと…」

パチンと言う音が静か過ぎる廊下に響いた。
腕を覆う黒い布がコウの右手によって取り払われる。

「忘れては駄目…目を背けては駄目…」

左腕を抱きしめるように身体を縮ませる。
―――― 機械鎧は重い。

05.08.17