闇の支配者  18

コウが理論を書き連ねていく様子を、エンヴィーは隣の椅子から覗き込んでいた。
むろん、エンヴィーにその意味がわかるわけではないが。
そうして忙しなく動いていたペンが、不意に動きを止めた。
筆跡を追っていたエンヴィーの目も自然にそこで留まる。
不思議そうに、コウの顔を覗き込んだ。

「どうかし……」

聞こうとして、口を閉ざした。
コウは口元を押さえ、酷く困惑した表情を浮かべていたのである。
そのただならない様子に、エンヴィーも焦った。

「コウ?どうしたの!?」
「……………った」

コウの口が、小さく動いた。

「何?」
「わかった……」

今度はその言葉を聞き取る事が出来た。
本来ならば喜ぶべき事の筈である。
なのに、コウは困惑の色を隠せない様子だった。

「…何か問題でもあるの…?」
「…この事、お父様には言わないで」
「何で…」

コウが、エンヴィーの手を握ってきた。
その手が震えていることに気づき、エンヴィーも困惑の表情を見せる。

「材料が……わかったの。多分、これなら犠牲は一人でいい」

震える唇で、そう紡ぐ。
エンヴィーは何も言わず、ただコウの言葉の続きを待った。

「でも、出来ない。絶対に出来ないっ…!」

首を振って、そう言う。
涙が頬を伝う。

「君を使って賢者の石なんて作れないよっ!!」

エンヴィーに抱きついて、涙を流した。
やっと見つけた答えが、こんなモノになるとは…。
エンヴィーもようやく涙の意味を知り、コウを抱きしめた。

「大丈夫だよ。お父様には言わないから。俺はどこにも行かないから…」

安心させるように、強く抱きしめてそう繰り返す。

放さないように、離れないように。

縋りつく腕を振り払うことなんて考えることすら出来ない。










コウの立てた理論はかなりの確率で賢者の石を作り出すことができる。
元々、コウの錬金術は思い入れの深いものほど、その効力が増す。

つまり、材料を思いの深いものに変えれば良かった。

ただ―――――問題は、コウが一番大切にしている物ではなく、者でなければならないと言う事。

すなわち、それは一番に思う者を使って、初めて成り立つのである。

コウの一番大切な者。
一番、誰よりも近くにいて。
誰よりもコウを理解していて。

コウが誰よりも愛する者。



それが意味する人物なんて、考える必要もない。







それがお父様であったなら、この理論をお父様に伝えればそこで話は終わったのだ。
欲している本人を材料としなければならない理論は必要ない。

だが……。
もし、それが別の誰かだったなら。
もし、それがエンヴィーなら。

実行するか、否か。

答えは――――――『Yes』。











コウが落ち着くまで、エンヴィーはその身体を抱きしめていた。
過去の記憶……数年前のあの日を思い出し、そして今のコウに過去のコウを重ねていた。


「ごめん」

コウがそう言ってエンヴィーの腕を離れた。
今まで、何度もお父様に「賢者の石を作れないか」と聞かれた。
そのたびに、コウは胸を痛ませながらも無理だと答える。

コウにとって、お父様の存在は掛け替えのないものだ。
本来、何よりも……誰よりも最優先に考えるべき存在。


思いつめた様な表情のままのコウ。
そんな彼女に、エンヴィーが声をかけた。

「大丈夫だって。賢者の石がなくても、計画は順調に進んでるんだから、さ」
「エンヴィー…」

本当は、コウの望みならばこの身を差し出すことすら惜しくはない。

だけど………わかっているから。
そんな事をすれば、コウが悲しむ事をわかっているから。
誰よりも彼女を知っていて思っている自分だからこそ、出来ない事。

「俺の方こそ、ごめん」

エンヴィーがコウの肩に頭を乗せて、そう言った。
すでに涙の止まった眼が、大きく見開かれる。

「縛り付けて、ごめん。泣かせて……ごめんね」

顔を上げると、涙の跡の残る頬を撫でた。
その眼が酷く傷ついていて……。
コウは言葉を発する事が出来なかった。

「でも、俺はコウの望みを叶えるよりも、傍にいたいから。

我侭だけど……隣にいさせて。抱きしめさせて」

望みを叶えた所で、コウが自分を思って泣くのでは意味がない。
本当の意味で、コウの望みを叶えてやりたい。

「僕の言葉だよ……それは」

そう紡ぐと、コウは微笑んだ。

「例え、お父様の望みを叶えられなくても。僕の一番の望みは君の傍に在る事」

頬に添えられた手に、自分の手を重ねて目を閉じた。
視界を閉ざせば、感じるのは愛しい熱だけ。


この世界に自分達以外存在しなければ…。
そうすれば、こんなにも思い悩む必要もないのに。

在りもしない事を考えて、馬鹿らしいと自嘲する。


君と等価交換で成り立つモノなんて、僕の世界には存在しない。
賢者の石――――――

それを得るための代価は、あまりにも大きかった。