Another World  40

ガチャリ、とノックもなしにドアが開く。
コウは、入ってきた人物を視界に捉えるなり、半ば反射的に敬礼するティルに密かに苦笑した。

「やぁ、仕事は捗っておるかね?」
「ええ、まぁそれなりに」

部屋に入ってくるなり、古い友人と挨拶を交わすかのような声色を発するその人物。
その人物こそ、この国で一番エラい方であった。
視界に彼を認めるなり、敬礼のポーズを崩さないティルに内心で苦笑を浮かべ、助け船を出してやる。

「…ティル、この資料を資料室から借りてきてくれないか」
「は!大総統、失礼します」
「うむ」

ピシピシとした態度で動き、ティルが部屋を出て行った。
国一のお偉いさんを前にああなってしまうのも無理はないだろう。

「で、用件をどうぞ?大総統閣下」
「さすがに話が早い」
「ま、大総統がこんな一大佐の様子を見に来るなんておかしいでしょう?関係があるとすれば…」

額にかかってきた髪を掻き揚げて挑戦的な笑みを浮かべるコウ。
そして、自身の閉じた瞼をトントンと指で叩いた。

「ウロボロス」

大総統の目が細められた。
軍部内でその言葉を発するのはあまりに危険な事のようにも思える。
が、この部屋に盗聴器の類が仕込まれていないのはルシアが調査済みだ。
絶大な信頼を置いているコウだからこそ、こうして案じる事なく話す。
もっとも、それ以上深みにはまるような言葉を発するつもりはなかったが。

「南部への戦線視察に同行してもらおうと思ってな」
「南部と言えば…エドワードが向かっていたと聞いたな」
「鋼の錬金術師か」

ふむ、と顎に手をやる大総統を横目に、コウは自分の予定を書き込んである手帳を引っ張り出す。
挟んであった栞を解き、今日以降のページに視線を落した。
添えつけてあるペンを指の上で回しながら彼に問う。

「で、戦線視察はいつ?」
「明日だ」
「明日ね…。……………明日ぁ!?急すぎだろ!!」

予定にチェックを入れようとして日付を追っていた視線が持ち上げられる。
大総統は悪びれもなく、頷く。

「ったく…。もっと早めに頼むよ。俺の方も仕事があるんだからさ…」
「何、君なら一日で終わるだろう。それに、今日はあまり仕事を渡さぬよう通達が行っている筈だが?」
「そう言えば今日は少なめだな。それの所為か」
「“おかげ”とでも言えんのかね、君は」

呆れたように息をつく大総統だが、その目は楽しそうに細められていた。
普段の『大総統』としての威厳は…まぁ、どこかへ出張しているようだが、コウとしては気に入っている。
頭の固いお偉方とは違うな、とコウは微笑んだ。

「所で、天操の錬金術師よ」
「ん?」

手帳を仕舞うコウに、大総統がそう声をかけた。
二つ名で呼ぶのは珍しいなと思いながらも返事を返す。
返って来たのはにっこりと形容できる笑みと、そして次の言葉だった。

「今年の査定は済ませてあるのかね?」
「…………………お?」
「まぁ、君の場合は免除する事も出来るが…」
「いや、いい。ちゃんと受けるから」

本当に忘れていたらしく、コウはバツが悪そうに苦笑を浮かべて頬を掻く。
彼女のデスクの下でルシアが首を擡げた。
ルシアの頭を撫でるコウ。
そんなコウを一瞥すると、大総統はルシアに視線を向ける。

「それのレポートを提出すればよかろう?」
「“それ”って言わないでくれるか。俺の大事な相棒だ」

コウの言葉が嬉しかったのか、ルシアが彼女の足に擦り寄る。
嬉しげに揺れる尾を見て、コウも微笑んだ。

「これは失言だったな。で、出さんのかね?」
「ルシアを研究対象として狙われるのはごめんだからな。別の物にするよ。ま、ネタはいくらでもある」
「そうか。では、私はこれくらいで戻るとしよう」
「毎度の事ながら探す部下が可哀相ですね、閣下?」
「それも仕事の内だ。では、明日はよろしく頼むよ、スフィリア大佐」

ドアへと向かう前にそういい残す大総統。
コウは立ち上がって敬礼の姿勢をとりながら答えた。

「謹んでご同行させていただきます、大総統閣下」

パタンッと静かにドアが閉じられると、コウは再び椅子に腰を下ろす。
口寂しいのか、ポケットのタバコの箱から一本抜き出して銜えた。

「査定はどうするんだ?」
「あぁ、あんなの適当で問題ねーって。結局はラースが即OK出すんだからな」

瞼を閉じようとしたコウだが、僅かな視界に入り込んだ錬成光にそれを持ち上げる。
目線だけを向ければ、そこにはいつもの黒い服に身を包んだルシアの姿があった。
長い髪が鬱陶しいのか、すぐさまコウの腕にあったゴムを奪うと慣れた手つきで束ねる。
そんな彼の様子を見ながら、コウは広いデスクに肘をついた。

「どうしたんだ?」
「別に。久しぶりに人型になっておきたいと思っただけだ」
「まぁ、別にいいけどよ…。もうすぐティルが帰って来るぜ?」

コウがそう言った途端に、廊下を響く足音が近づいてきた。
ルシアの聴覚を持ってすれば、それが誰の物なのかすらも特定できる。

「噂をすれば、だな。んじゃ、俺は散歩にでも行って来るぜ」
「おう。変な奴に気をつけろよ」

デスクの背後の大きな窓からその身を逃がすルシアに、コウは背を向けたまま手を振る。
やがて去っていく足音と共に、ドアをノックする音が響いた。

「大佐。資料をお持ちしました」
「入ってくれ」
「大総統はお戻りに?」
「あぁ、あの人も仕事の多い人だからな」

デスクの前までやってきた彼女から資料を受け取ると、脇に避けてあった書類の山を中央に引っ張る。
慣れた手つきで目的の物を取り出すと、資料を元にペンを走らせた。
不意に、カリカリと断続的に響いていた音が途絶える。

「ルシェリ中尉」
「何でしょう?」
「明日から出張だってさ」
「…その予定はなかったと…あぁ、大総統閣下からですか?」

ティルの言葉に頷くと、コウは最後の締めを書き上げてペンを手放す。
身体を伸ばすように腕を持ち上げ、話題を戻した。

「南部戦線視察に行くらしい。中尉は通常業務だ」
「わかりました。南部の視察と言えば…アームストロング少佐が大総統の護衛として抜擢されていましたね」
「少佐が…?」

それは初耳だったらしく、コウは眉を寄せる。

「暑苦しいなぁ、もう…」

溜め息と共にそう言ったコウに、ティルは苦笑を浮かべた。
何とも正直な上司である。
これで不快と感じさせないのは、彼女の持って生まれた人格のおかげだろう。

「南部は治安があまりよくないとお聞きします。お気をつけくださいね」

自然と口に出していた言葉に、コウが顔を上げてティルの方を向く。
そして、嬉しそうに微笑んで答えた。

「ありがとう。すぐに帰れると思うよ。こっちの仕事は任せた」

コウは知らない。
小さな錬金術師だけでなく、『強欲』の名を持つ者と対面すると言う事を。

Rewrite 06.11.14