Another World  38

頭蓋骨に沿って撫でた髪を乱すように、クシャリと指を通す。
オールバックが崩れ、赤い髪が何筋か額に流れ落ちた。
それを鬱陶しそうに脇へと払いのけ、コウは眼前に見えるそれを見下ろす。

「マスタング大佐はお帰りになりました」

背後からそう声を掛けられ、彼女は頷いてそれに答える。
そして、真新しいそれに刻まれた名前を見て、苦く笑った。

「ヒューズ准将…って呼んだら怒られますね」

堅苦しい呼び方を嫌う彼は、コウにそれを望んだりはしなかっただろう。
今となっては、それを確かめる術は無いけれど。

「ルシェリ中尉」
「はい」
「少し…一人にしてもらえるか?」

静かにそう言えば、ティルはその場で頭を下げて踵を返す。
去っていくのを気配で感じ取りながらも、背を向けたまま振り向く事はない。
やがて、その場の人気が完全に消えると、コウはそっと膝を着く。

「…俺は、あなたを救いたかった。こうなる事が運命として定められていたのだとしても…それに抗いたかった」

死後の世界など、信じてはいない。
彼…ヒューズの墓を前に、こんな事を言ったところで、彼に届くはずは無い。
そう思いながらも、語らずには居られない矛盾。

「化け物と呼ばれた俺を受け入れてくれた…それだけで、付いていく理由には十分過ぎるんです」

人間としてはありえない自己治癒力。
常人離れした知力。
人は、普通ではない物に対しては優しくはなかった。
今所属する軍内部でさえ、恐れられている事を彼女は知っている。
まるで階段でも駆け上がるかのように、僅か三年で大佐の地位まで上り詰めた彼女。
初めこそコネだと陰口を叩かれる事もあったが、それは次第に畏怖の感情へと変化していった。
どんな年長者にも引けを取らぬ知識と、その錬金術そして現場での統率力。
こんな逸材が今までどこに隠れていたのだと疑問の声を上げる者もいれば、それを妬む者も居る。
彼女の赤髪は今まで殺した人間の血だと囁いた者も居た。

「俺には、もうここしか残されていない。縋るしかないんだ…」

呟きと共に、ぎゅっと手を握り締める。
一人で生きていく自信はある。
だが、全ての関わりを絶つ事など出来ないのだから、どうせならば自分の居場所の在るところに居たかった。

「ティルと同じ空気を持つあなたが好きでした。あなたに彼を重ね…だからこそ、生かしたいと思った」

結局は彼と同じ道を辿ってしまった。
しかも今回は自分の目の前で、だ。

「こんな小娘を気にかけてくれてありがとうございました。俺が言えることじゃないけど…どうか、安らかに」

帽子を深く被り、空を仰ぐ。
ロイのように涙が頬を伝う事はなかった。
だが、心はそれと同じくらいに泣き叫んでいるような気がする。
近しい人の死は、これほどに苦しいものだったか…どこか第三者のように、そんな事を考えた。














待たせたな、とティルと合流を果たしたコウが言った。
彼女は何も言わず、ただ構わないのだとばかりに首を横に振る。
その目元は少し赤らんでいて、彼女も辛いのだなと理解した。

「俺はこれから軍法会議所に行って来る。中尉は帰っていい」
「しかし…」
「俺の片付けた仕事を提出しておいてくれ。それが終われば帰っていい」

提出だけならば、小一時間もあれば全て完了するだろう。
それに気付いたのか、彼女は頷く事を渋った。

「…顔色が悪い。大佐命令だから仕事が終われば帰れ。中尉が倒れると困るんだ」

わかったな?と念を押せば、彼女はまだ渋りながらも確かに頷いた。
それに対して満足げに笑うと、コウはコートの裾を翻して歩き出す。
背中にティルの視線を感じるが、結局呼び止められることもなく車に乗り込んだ。

















軍法会議所やその他数箇所を回り、ヒューズの一件についての情報を集める。
それが終わったコウは、とある建物のとある一室で壁に背中を預けていた。

「で、俺は今後何を?」
「君には今後私の下についてもらう」
「それはまた…。いよいよ上の反感を買うなぁ」

そう答える彼女の表情は、とても嫌だといっている風には見えなかった。
寧ろ、その状況を楽しんでいるかのようだ。

「焔の大佐の監視はどうするんだ?」
「あの男も近いうちにセントラルに移動だ。問題はない」
「なるほどね。邪魔な奴は目の届く範囲に置いておくってわけか。俺の階級はどうなる?」
「特に変える必要も無いが…必要ならば、新しい席を用意しよう」

そう言って指を絡めると、隻眼の彼…大総統は「どうかね」と首を傾げた。
そんな彼に対し、コウは軽く肩を竦めて口を開く。

「遠慮しておく。これ以上は色々と面倒そうだからな」
「上からの圧力は軽減されると思うが…」
「あぁ、別にいいよ。どの道、大した圧力じゃない」

コウの答えは予想通りだったのだろう。
傍から見れば人の良い笑みを浮かべ「わかった」と頷く彼。
しかし、彼の本質を知る彼女からすればどこか裏の見える笑顔だった。

「所で、その焔の大佐だが…マース・ヒューズの一件を調べて回っているらしい」

どうする、と彼に問いかける。
その言葉は、自分が何か手を回しておくのかと言う意味もあった。

「ふむ…放っておいても構わんだろう。すでに口止めはしてある」
「お早い事で。まぁ、大総統自ら動いてるなら、今回の一件に俺の手は必要ないな」

大人しくしてるよ。
そう言って彼女は前髪を掻き揚げた。
と、そこでこの部屋の前の廊下に人の気配を感じ、二人が同時に反応を見せる。
僅かに警戒心を窺わせたところで、コンコンとノック音が響いた。

「失礼します。スフィリア大佐はこちらにいらっしゃいますか?」
「ああ。大総統、入ってもらっても?」

振り向いて彼に尋ねれば、彼は深く頷いて答える。
それを見ると、コウは扉に向かって入ってくれと声を掛けた。
その言葉を聞くと、失礼しますと紡ぎながら一人の軍人が部屋の中に入ってくる。
そして、上官二人に向けて敬礼のポーズをとった。

「スフィリア大佐。ルシェリ中尉から一般回線にてお電話です」
「伝令ご苦労。確認は取れてるんだな?」
「はい」
「なら、すぐに向かうよ。助かった。―――では、大総統。この続きはまた日を改めて伺う事にします」

くるりと振り向き、彼に向けてピッと敬礼する。
満足げに頷く大総統に背を向け、コウはドアのところに立ったままだった軍人の脇をすり抜けた。

「今後の働きに期待しておるよ、スフィリア大佐」

ドアが閉まる直前に、そんな大総統の声を聞いた。
だが、振り向いた先にはすでに閉じてしまったそれがあるだけ。
今更返事のために戻るのも不自然だと判断し、彼女はそのまま歩き出した。

Rewrite 06.11.02