Another World 32
ハンドルに両腕を乗せて、その上に顎を乗せる。
第五研究所の裏に止めた車の中で、コウは呟いた。
「ただ今エドは元死刑囚と戦闘。アルも同じく」
決して中の様子が見えているわけではない。
ただ、記憶にある出来事を復唱しているだけだ。
「ナンバー46……6だっけ、8だっけ…?」
「俺が知るか」
問いかけるように語尾を持ち上げたからだろうか。
隣の助手席に伏せていたルシアが短く答える。
だが、その冷たい反応に気を悪くするでもなく、コウは目の前に広がる闇の世界を見つめていた。
「そろそろエドとエンヴィーのご対面の頃かな…」
薄暗い建物はそれだけで不気味さを増し、その場にひっそりと佇んでいた。
彼女はポケットから手の平よりも少し大きめの箱を取り出す。
その中から一本の煙草を引き出すと、そのまま唇に銜えた。
「吸うのか?」
「いや。口が寂しいから銜えるだけ」
こんな事なら、何か間を潰す術を持って来ればよかったと思う。
最近シェスカから貰った六法全書並みに分厚いあの空間移動系の本など、いい時間つぶしになっただろう。
失敗したなぁ、と前歯で煙草を噛み潰した。
「…止めたいか?」
コウから滲み出る苛立ちに気付いたのだろう。
ルシアは前足の上に乗せていた顎を持ち上げ、彼女の方を向きながら問いかける。
「……止めたいな」
彼の言葉に、コウは苦笑交じりにそう答える。
視線を合わせる事はないが、彼が自分を案じていることはその声色などから伝わってきた。
「でも、決めたから」
未来を変えないと、決めた。
そう呟いた時、腹に響く地響きを感じとる。
「―――終わったな」
そう呟き、ハンドルから上半身を離すと、車のエンジンをかける。
「ルシア、後ろに移れよ。あいつらが来るから」
その言葉に、素直に後部座席へと移動するルシア。
コウは黙って闇を見つめていた。
それから少しもしないうちに、ラストが闇の中より姿を現した。
車の後ろのドアを開くと、ルシアの隣に腰を下ろす。
「お疲れ。あれ、エンヴィーは?」
「坊やを届けているわ。外に軍の人間がいたから…すぐに戻るでしょう」
「そっか。んで、守備は?」
「48が余計な事を話してくれたみたいよ。まったく…迷惑な事だわ」
「ああ、戻ってきたみたいだな」
車の前方にエンヴィーの姿を見つけて、コウがそう言った。
そのまま車を前進させると、エンヴィーのすぐ脇で止める。
「お疲れさん」
助手席に乗り込んだエンヴィーにそう話しかける。
エンヴィーがドアを閉めると、すぐに車を発進させた。
サイドミラーに崩壊しつつある第五研究所が映る。
それを背に、闇夜を進んでいく。
「アイツはどうだった?」
「おチビさん?ああ、外にいた軍人に押し付けてきた。ま、入院くらいはするんじゃない?」
コウの家へと戻ってきた三人。
ラストはすぐに予定があると出て行った。
リビングで寛いでいるエンヴィーに、コウが今日の様子を聞く。
「かなり参ってたみたいだね。48にやられたっぽいけど…怪我はしてたよ」
「そうか…」
「心配?」
僅かに口角を持ち上げてそう問いかけるエンヴィーに、コウは軽く肩を竦めた。
心配でないと言えば嘘になるが、すぐに駆けつけたいほど切羽詰った心境ではない。
淹れたてのコーヒーをエンヴィーの前に置くと、自分のカップに口を近づけつつ向かいに腰を下ろした。
「んで、そっちは何か情報は?」
エンヴィーがコウを見て問う。
コウはルシアの方を見ると、視線をエンヴィーに戻した。
そして、言い難そうに視線を逸らす。
彼女の反応に、特に情報など無いだろうと思っていた彼は首を傾げる。
「?………何?」
「……中央の、マース・ヒューズ中佐……」
「そいつが、何?」
「かなり頭のいい人で…」
そこまで言って、コウは口を閉ざした。
言わなければならない。
でも、言いたくない。
彼には、出来るなら生きていて欲しい。
「コウ。言わないなら、問答無用で処分するよ?」
彼女が躊躇う理由に気付いたのだろう。
少し声を低くして、そう言うエンヴィー。
黙秘と言う選択肢など初めから用意されておらず、遅かれ早かれ口を割る事になる。
死をチラつかせられてからよりは…と、ゆっくり口を開いた。
「………何か勘ぐってるかもしれない。ルシアが調べた事だ」
「…そう」
殺気が消え、コウは人知れず息を吐いた。
死なない身体とは言え、直接殺気を向けられるのは決して気分のいいものではない。
未だ視線を逸らしたままのコウは、エンヴィーが近づいてきている事に気づかなかった。
「!」
行き成り頭にふわりとした感触を受け、驚いて顔を上げる。
そこには、いつもの笑みを携えて頭をぽんぽんと撫でるエンヴィーがいた。
「……エンヴィー?」
「俺たちに支障がなかったら、殺さないよ」
安心させるように、優しく言うエンヴィー。
こんな彼らしくない行動を取らせるほどに自分は弱りきった様子を見せていたのだろうか。
コウは見慣れぬ彼の表情に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せた。
「何て顔してるのさ」
クスクスと笑いながら、コウの頬に手を滑らせる。
滑らかなそれを暫し楽しんだ後、名残惜しげもなくその手は離れていった。
逆に、熱を失った自分の方が引き止めてしまいそうなほどに、あっさりと。
人の熱を求めるほどに弱っているのかと思うと、最早苦笑しか漏れない。
「エンヴィー」
「ん?」
「ありがとう、な」
ポスンッと前にあるエンヴィーの胸に額を預ける。
どうなろうと、結果は同じ。
この先、彼は確かにエンヴィーたちに支障を来たす情報を得て。
そして―――――。
未来を知るコウにとって、エンヴィーの言葉はただの慰めでしかない。
それでも、その言葉は確かにコウの心を和らげた。
背中に回された手から伝わる体温は心地よくて。
コウは目を閉じた。
今この時だけは、全てを忘れて安らぐ事を許してください。
Rewrite 06.10.12