Another World  25

時折、眉を顰めたくなるような負の臭いが鼻をつく。
町を見回すほどではないにせよ、見通しの良いバルコニーにある人影は三つ。

一つ、色欲の名を持つラスト。
二つ、暴食の名を持つグラトニー。
そして、嫉妬のエンヴィー。

硝煙の臭いを気にする事無く、三人はその場に居た。

「イーストシティのショウ・タッカーが殺されたって」
「タッカー…あぁ、綴命の錬金術師。いいんじゃないの、べつに。あんな雑魚錬金術師」

ラストはエンヴィーの言葉に思い出すように記憶を探り、そして正しい人物を引きずり出した。
とは言っても、彼女が気にしなければならないような人間ではない。
そんな彼女の答えにエンヴィーは肩を竦めた。

「タッカーの事はいいんだけどさ。また」
「例の“奴”なんだよな、これが」

彼の声に、少し高めのそれが被る。
話していた二人のみならず、グラトニーまでもが声の方を向いた。
いつの間に階段を上がってきていたのか、そこに居たのはコウ。
彼らに合わせるように黒一色の服に身を包んでいる所為か、その赤い髪だけが酷く目立つ。

「よぉ、久しぶりだな」
「遅かったじゃないの、コウ」
「これでも朝一の汽車に乗ったんだ」

お蔭で腰が痛ぇ。
そう言って彼女はさながら老人のように腰に手を当てる。
乗り心地の悪い汽車で長い間揺られれば、仕方のないことだろう。

「コウ…髪…」
「んぁ?あぁ…髪な。ばっさりやられた」

エンヴィーが彼女を指差して声を発する。
それに気付いた彼女は、一昨日の切りっ放しの状態ではなくきちんと綺麗に揃えた髪を指先で摘んだ。
首筋に髪が掛かると言うのは数年ぶりで、何とも言えずむず痒い。

「やられたって…誰に!?折角気に入ってたのに!」
「文句言うな。やられたのは…あの雑魚をやった例の“奴”だぜ」
「会ったの?」

ラストがコウの言葉に軽く眉を寄せる。
やられた、と言う事は一方的に見ただけではなく接触したと言う事に他ならない。
あの男は中々厄介な相手だとわかっているだけに、彼女はあまりいい反応は見せなかった。

「会ったも何も……あの雑魚が死ぬ所をしっかり見た」

事も無げにそう答えるが、その現場に出くわしたならば怪我の一つも負っているのが普通だ。
まぁ、あの男を相手にした場合はその怪我一つがすでに致命傷だが。
被害が髪だけに済んでいるのは素晴らしい好成績と言えるだろう。

「まったく無茶をするわ…死んだらどうするの」
「や、多分死なないし」
「死ぬほどの怪我をさせた事はないはずよ」
「そうだっけ?」
「試してあげましょうか?」
「…謹んでご遠慮させていただきます」

どんどんラストの声が低くなっていくのを肌で感じ、コウは素直に折れた。
これ以上反抗すれば、それこそ命が危うい。
そう易々と死ぬほどの怪我を負わされるつもりもないが、そっち系の仕事も多い彼女には恐らく敵わない。
最終的な自分の行く末など考えるまでもなかった。

「相変わらずラストに弱いね、コウ」
「美人に凄まれると頷かざるを得ない気がする…」

どこか疲れたように答えるコウに、エンヴィーが楽しげに笑う。
人の不幸は蜜の味、と言う奴だろうか。

「所で…話は変わるけど、今イーストにおチビさんが居るって本当?」
「おチビさん……あぁ、エルリック兄弟か?」

問いかければ彼はこくりと頷く。
それと共に彼の黒髪が揺れた。
あそこまで長いと鬱陶しくはないんだろうかと言う何とも場違いな感想を抱きつつ「居る」と答える。

「あの坊や達ね…。私達の仕事の邪魔をしてくれたのは腹が立つけど、死なせるわけにもいかないわね」
「そうそ、大事な人柱だし」

肩を竦めるエンヴィーに近寄っていき、コウはバルコニーの手すりに腕をかけた。
それに凭れかかる様にして、そこから見える光景に目を細める。

「愚かだなぁ…」
「コウ?」
「人間ってのは、何でこうも愚かなんだかな…」

浮かぶ苦笑に、エンヴィーは怪訝な表情を見せる。
勝気な表情ならば嫌と言うほど見た。
でも、こうして儚いそれに対しての免疫はない。
出逢ったばかりの頃の、あの窓際で浮かべた表情と同じそれ。

「ま、それが人間だしね」
「そうだな。そして俺も…同じ人間だ」
「それは違うね」

きっぱりと。
迷いなく紡がれた返答に、コウは少しばかり目を見開いて彼の方を向いた。

「人間には変わりないかもしれないけど…コウはあいつらと同じじゃない」
「エンヴィー?」
「愚かじゃないよ。コウは、あいつらよりも俺達に近いんだ」
「………そっか」

喜んでいいのか微妙なところだが、一括りにすることに不快感を覚えてくれた事は素直に嬉しい。
コウはふっと表情を緩めた。













「ラスト~ごちそうさまでした~」
「ちゃんと口のまわりふきなさい、グラトニー」

その場の空気を一掃するような声。
即座にそう返す事の出来る辺りは、すでに慣れの領域だろう。
ラストが言ったように、グラトニーの口元は酷く濡れていた。
赤い、赤い血によって。

「よぉ、グラトニー。またエグイもん食ってんのな」
「コウも食べる~?」
「全部残さず綺麗に食ってから聞く台詞じゃねぇよ?」

そう言いながら寄り添ってきた彼の頭を撫でる――髪の毛のないそれを撫でても面白くも何とも無いけれど。
だが、グラトニーの方はそうではないらしく、嬉しそうに「わーい」と声を上げて喜んだ。
弟が出来た気分だ――随分と年上だけれど。

「ほら、さっさと拭けって。だー、俺につけるな!この後汽車に乗るんだぞ!」

脇にあったテーブルクロスだか何だかよくわからない布を引っ張ってきて彼の口元に押し付ける。
抱きつかれたところで困る事はないが…服が汚れると言うならば話は別だ。
自分を呼ぶ名前が篭り、布の中に吸い込まれる。

「そう言えばさ…あの…例の“奴”だけど」
「スカー?」
「そうそう。アイツ、結構やるのな。俺の攻撃はたった一回掠っただけ」

肩を竦めながらコウはそう言った。
そんな風に諦めたような仕草を見せる彼女だが、目が違う。
爛々と内に燻る感情を隠すようなそれ。
随分と、対抗意識を燃やされてきたようだ。

「命があって何よりだわ」
「わーお。ラストさんからそんな台詞が聞けるなんて感激ー…」

コウの棒読みの台詞に、ラストの鋭い眼光が彼女を射抜く。
ふざける場所を間違えたと感じるのは気のせいではない。

「ま、スカーならその内片付ける事になるだろうから…それまで放っておけばいいよ」
「そうなのか?」
「うん。あのイシュバール人、邪魔だしね」

色々と、とエンヴィーは笑う。
片付けると言う事は即ち殺すと言うこと。
そんな事は、笑顔で話す事ではない。

「ふぅん…何か、結構悔しいんだよなぁ…勝ち逃げされたみたいで」
「コウが片付けたい?」
「ま、どっちでもいいよ。その時暇ならやらせてもらう」

悔しいと言う感情はあるようだが、それ故に我武者羅になるような事はないらしい。
『暇なら』と言う辺りが何とも彼女らしい。

四人は他愛ない話も交えながら、久々の再会を大いに楽しんだ。
一般の人が聞けば恐ろしさに身を震わせるような内容も少なくはなかったと、ここに記しておこう。

Rewrite 06.09.08