Another World 23
頭からタオルを被り、革張りの椅子に浅く腰掛ける。
もう数センチ前に腰をずらせば落ちそうなほど不安定な姿勢だ。
タオルがすっぽりと顔を覆い隠し、その隙間から自慢の赤髪を覗かせている。
その傍らには、ポタリ、ポタリと水滴を落とすジャケットがかけられていた。
「失礼します。大佐、風邪を召されますよ」
ノックの後に扉の開く音がする。
それにあわせて、ふわりとコーヒーの香りが鼻腔を掠めた。
「タッカー氏の報告書は概ね出来上がっていますので、後でお持ちします」
「あぁ、助かる」
パサッとタオルをおろし、コウがデスクの前に立つティルを見上げた。
彼女は持ってきた少し大きめの白いカップをコウの前に置く。
湯気立つそれは、先程の香りを深くする。
「合成獣に関しては…大佐自ら立ち会われると思いまして、処理の方はまだ何も」
「ああ。今日はもういいよ。お疲れさん」
定時になっていることを確認したコウは、手をひらひらと揺らして彼女にそう言った。
傍から見ればさっさと出て行けとでも言いたげな仕草だが、ティルはそう取らなかったらしい。
軽く頭を下げるとそのまま執務室を後にした。
水滴は落ちてこないものの、未だ纏まりのある赤髪を指で摘み、コウは静かに息を吐き出す。
「…行くか…」
「手を出すのか?」
「さぁな…どうするか…」
背もたれにだらりと凭れると、椅子がギィと悲鳴を上げる。
煙草でも吸ってゆっくりと考えを巡らせたいところだが、出来れば室内では吸いたくない。
考えていても無駄だな、と上半身を背もたれから離したその時、背後の窓がカッと光る。
真上にある雷雲は激しい雨と雷を運んできたらしい。
「そろそろだな」
この悪天候の中出て行かなければならない事実に、ルシアがデスクの脇で嫌そうに顔を顰めた。
今日はよく濡れる日だ。
そんな事を考えつつ、コウは足元の水溜りにブーツを沈める。
透明の雨を止まらせているそこには、赤い液体が混ざりこみつつあった。
その傍らに伏せる骸から目線を外して、彼女は額に張り付いた赤髪を掻き揚げる。
「死んでいるぞ」
「あぁ、見りゃわかる。急いだ方が良さそうだ」
そう言ってコウはトンと地面を蹴った。
今まで全力で走る事などなく、常に余裕を持って歩いていた彼女。
だが、今はそうすべきではないと判断した。
寧ろ…間に合わなければ。
後ろをついてくる足音を耳で捕らえつつ、記憶を頼りに階段を駆け上がる。
部屋の見取り図を頭の中で思い浮かべながら、この辺りの部屋だと予測する。
そして、回し蹴りの要領で容赦なく扉を蹴り飛ばした。
悲鳴を上げる暇すらなく、扉は部屋の中へと吹き飛んで壁にぶち当たる。
「…ビンゴ」
場合が場合なだけに、流石にぐっと親指を立てたりはしない。
でも、唇をついて出てしまった言葉は場違いなものだった。
室内の様子はと言えば、一触即発。
ガタイの良い男に頭を掴まれた状態のタッカーの眼がコウを捕らえる。
その目に映る恐怖の色を悟り、コウは考える間もなく半ば反射的に銃を構えた。
「その男から手を離せ」
「何者だ…」
「俺はコウ・スフィリア。またの名を“天操の錬金術師”。錬金術師歴3年の新米国家錬金術師だ」
真っ直ぐに銃口で睨みつけたまま、少しおどけるようにそう言ってみせる。
今すべき事は、男の意識をタッカーからこちらに向けることだ。
そうでなければ、彼は一瞬のうちに物言わぬ肉塊と化すだろう。
「国家錬金術師か…っ!!」
「生憎、その男を裁くのはお前じゃない。然るべき所に送り込んでやるのが俺の役目」
わかったらさっさとその手を離しな、そう言って銃を握らない方の手をクイクイと自分の方に引き寄せるように動かす。
コウの足元ではルシアが体勢を低く唸り声を発している。
チラリと男の視線がルシアに動いた。
「それもまた哀れな合成獣か…」
「おっと、お前の物差しで計ってくれるなよ。こいつは自分の意思でこの場に止まってるんだ」
「神の道に背きし錬金術師…どれほど罪を重ねるつもりだ!」
「消えようとしてる命の灯火を救うことが神に背くってんなら、神なんざ必要ねぇ!!」
男が声を荒らげるのに答えるコウの声も半ば怒鳴り声に近かった。
今日と言う日の苛立ちをぶつけるようなそれは、彼を刺激する。
グシャッと肉の潰れる嫌な音が響いた。
「次は貴様だ!天操の錬金術師!!」
床に崩れ行くタッカーを気にしている余裕などない。
立て続けに3発撃ち込み、コウは脇へと飛んだ。
突き出された男の手を逃れ、ぐるりと床の上を転がって体勢を整えてもう3発。
「速いっ!」
忌々しげにそう吐き出しつつ、新たに突き出される手を避ける。
だが、今度は若干反応が遅かったらしい。
コウの頬を爪が掠め、改めて距離を取ると足元に赤い髪が落ちる。
「諦めろ、天操の錬金術師。神は全てを受け入れる」
「…!待て!!」
いつの間にか、男は合成獣の傍らに居た。
漆黒のルシアの傍ではなく、茶色い鬣を持つ彼女の傍に。
ひたりと彼の手が彼女の額に添えられた。
制止の声など、無意味に近い。
あの嫌な音が耳に届き、赤が舞う。
「ニーナッ!!!」
まだあの男が傍に居ると言う事も忘れ、コウはその傍らに膝を着いた。
彼女に向けて伸ばされた右腕を男が掴む。
邪魔をするなと、その鋭い眼光が男を見上げた。
「貴様も神の元へ帰してやろう」
何を言う間もなく、バチィと激しい音が鳴る。
だが、コウが男を弾いたわけではない。
「!?」
まるで拒絶反応のようなそれを受けた男は、数歩下がってコウを睨む。
何をした、とでも言いたげなその視線に、彼女は冷たく嘲笑った。
「錬成過程は“理解”、“分解”、“再構築”の三つ。てめぇのは、この分解で止めてある錬金術だ」
下ろしていた腕をゆっくりと持ち上げ、立て続けに弾丸を撃ちつくしたそれを新たに装填する。
そして、真っ直ぐに彼に向けた。
「ここまで分かれば俺の分野だ。てめぇと同じく分解で止めれば、相反する力は反発を招く。
人体錬成に近いが、分解と共に再構築を行う。そこだけを別の物質に作り変える」
左手の指が、その方法の数を数えるように1本2本と持ち上げられる。
最後とばかりにそれをぎゅっと握りこみ、コウは言った。
「伊達や酔狂で二つ名を背負ってるわけじゃねぇ。俺の専門分野でやり合おうっつーんだ…覚悟は出来てるだろうな」
連射されたそれの一つが男の頬を掠める。
銃弾の嵐を逃れるように動く彼は、何を思ったのか彼女の方へと突進してきた。
攻撃には思えないそれに、ギリギリまで撃ち続けて側方へと飛ぶ。
ガシャンとガラスの割れる音と共に、男が部屋を飛び出していった。
「追うな、ルシア」
今までコウの邪魔にならないように動いていたルシアが割れた窓から下を見下ろす。
雨で悪い視界で、それでも確かにあの男の背中を捕らえた。
小さくなっていくそれは、やがて脇道にでも入ったように突然消える。
「…ちっ。折角伸ばしてたってのに…」
すっかり短くなった赤髪は、首筋に掛かる程度の長さになってしまっている。
部屋の中を見れば、その美しい赤い髪が所々に落ちているのが見えた。
「怪我は無いのか?」
「あぁ、髪以外は無事」
肩を竦めてそう答えると、コウは銃をホルダーに戻す。
そして、今一度彼女の傍らに膝を着いた。
「…ごめん…な」
悲しげな呟き。
だが、彼女の眼に映るものは後悔ばかりではないように見えた。
「…これで、良かったと思っているか?」
「わからない。だが、安心してる部分は…ある」
ルシアの問いかけにそう答える。
そして、茶色い鬣を指先で撫でた。
雨はまだ止まない。
Rewrite 06.08.31