Another World 22
「よっと」
お気楽な声とは裏腹に、コウは玄関のドアを蹴り開ける。
バンッと派手な音を立てたのは、中に居る人に自分が来たことを伝える意図があったのだろう。
そのまま止まる事無く歩いていく彼女の足に迷いは無い。
ルシアは、無表情とも言える彼女を見上げつつ、その隣を歩いた。
「ふざけんな!!」
二つほど向こうの扉の方から、エドの怒鳴り声が聞こえてくる。
ルシアの耳がピクリと動き、様子を窺うようにコウを見上げるが、彼女の視線が向けられる事はなかった。
変化と言う変化は無く、強いて言えば彼女の足の速度がほんの少し速まったくらい。
薄く開いたままの扉を勢いよく開き、中へと足を踏み入れる。
「エドワード」
「…ッコウ!!何でここに…」
「虫の知らせだ」
コウは足を止めず、タッカーに掴みかかった状態のエドの手を外させる。
未だ殴ろうと握り締められた拳をそっと包み込み、彼の背をぽんぽんと叩いた。
そして、傍らに座る「彼女」に視線を向ける。
栗色の鬣を持つ、犬のような合成獣。
「はは…きれいごとだけでやっていけるかよ…」
壁に凭れかかったタッカーは、口元に笑みすら浮かべてそう言った。
何度もエドの機械鎧に打ち付けられた彼の頬は赤く腫れ上がっていて、口の端からは血が伝う。
「きれいごと…か」
合成獣の前に跪き、その喉元を撫でる。
甘えるように手に頬を摺り寄せる彼女に、コウは眉を寄せた。
そして、名残惜しげに彼女から手を離すと、そのままタッカーの胸元を掴みあげる。
「きれいごとでやっていけねぇ自分の脳の無さを棚に上げてふざけた事抜かしてんじゃねぇよ!!」
壁に押し付けるようにして、コウは声を荒らげる。
視線が人を殺せると言うならば、タッカーの命はすでに尽きているだろう。
ビリビリと肌に感じるほどの彼女の怒りに、エドとアルもその場に縫い付けられたように佇んだ。
「二度も同じ事しやがって…!くそっ!!」
ダンッと胸倉を掴んでいた拳が彼の頬すれすれの壁に打ちつけられる。
軽く凹んだそれを見る事無く勢いよく手を振りほどけば、怯えすらも見せていたタッカーは床にへたり込んだ。
「…エドワード、アルフォンス。迎えを呼ぶから、一緒に軍部に向かってくれ」
「………こいつは?」
「軍が裁く」
怒りを消した彼女の眼差しは「無」だった。
そんな彼女の横顔を見て、それ以上何を言うでもなく口を噤む。
彼女の右の拳が、彼女に代わって一滴の赤い涙を落とした。
廊下を歩いていたコウは、一際大きく立てられた足音に眉を寄せる。
まるで、自分にその存在を知らせるような音だ。
それを無視するわけにもいかず、渋々ながらも表情には出さずに足を止める。
「…何か用か?」
「相変わらずな態度だな」
「これは失敬。大佐殿とは露知らず」
「…謝られているようには思えんな」
「あぁ、謝ってないからな」
赤い髪を掻き揚げ、彼女は「それで?」と用件を促す。
こうしてわざわざ足を止めさせたのには、やはりそれなりの理由があるのだろう。
何もない、とは言わせないというのが本音だ。
「何故、私に報告せず勝手に動いた」
「…仰る意味を理解しかねます」
「惚けるな。タッカーの事だ」
「報告ならルシェリ中尉がしてくれてると思いますが…違いますか?」
首を傾げれば、彼…ロイの表情が顰められる。
何をしておけと言い残したわけではないが、ティルは自分の判断で動いたようだ。
なるほど、自分はいい部下を持ったものだとどこか人事のように思う。
「何も問題はないでしょう?」
暗にもう行っても構わないかと含め、彼女はロイを見つめる。
お互いに真っ直ぐに視線を返し、暫しの沈黙がその場を包んだ。
「いつ、気付いた」
「前の合成獣の一件なら、ついさっき…タッカー氏の家に押しかける前。
ルシェリ中尉にタッカー婦人に関して調べてもらった。だが………間に合わなかったな」
窓の外を見つめれば、ガラスを打ち付ける雨が列を成して上から下へと流れていくのが目に入る。
空は誰かの代わりに泣いているんだよ、と言った父親の声が脳裏に蘇った。
今彼の言葉を思い出すとは………自分も、かなり精神的にやられたらしい。
自嘲の笑みを零す彼女に、ロイは軽く溜め息を吐き出した。
「君だけの所為ではない」
「俺の所為だよ。俺は―――」
知っていたのに、動かなかったんだから。
その言葉は声にならず、ただ彼女の脳裏に消えていく。
「だから、出来る事は何だってしてやるさ」
「………勝手に動くなよ」
「…俺は止められないぜ?大佐」
最後の大佐という部分を強調して、彼女はロイに背を向けて歩き出す。
先日昇格したばかりとは言え、同じ階級という事実は変わらない。
命令など出来ないのだと、彼に向けて牽制した。
「あぁ、エルリック兄弟は大佐に任せるよ。結構キツイと思うから、何とかしてやってくれ」
顔を振り向かせる事なく背中でそう言う。
そして、一度も自分を振り返る事無く立ち去った彼女に、ロイは浅い溜め息を零した。
「“君だけの所為ではない”か…」
むき出しの渡り廊下を、傘もささずに歩く。
ふと呟きが零れると同時に足を止めた。
頬や首、額に髪が張り付くのを感じるが、そんな事はどうでもいい。
「原因は俺に無くても………アイツと何もかわんねぇ…。こうなるとわかってて…何も出来ない臆病者だ」
昔読んだ小説の中で、過去にタイムスリップした少年が居た。
彼は過去を変えてはいけないと叫んだが、ならば未来はどうなのだろう。
変えられる位置に居たとしても…やはり、踏み込んではならない領域なのだろうか。
「…馬鹿みてぇ…。“約束”って何なんだよ………何のために、俺はここに居るんだよ…?」
降り続ける雨は止む気配すら見せず、彼女を濡らしていく。
水分を含んだジャケットがずしりと彼女の肩に重みを伝えてくる。
それが無くとも、彼女はここから歩き出す術を忘れていた。
「風邪を引きますよ、スフィリア大佐」
「…ホークアイ中尉…珍しいな…ロイから離れてるなんて」
「向こうの窓から大佐の姿を見つけて、つい」
そう言いながらリザは傘を彼女の頭上にさす。
雨が遮られる代わりに、ビニールの上にそれが落ちる音が始まった。
「…マスタング大佐も心配していましたよ。いつもの覇気がないって」
「はは…悪いな。流石に、アレを見せられていつも通りに居られるほど人間捨ててねぇんだわ」
半分くらいは捨ててるかもしれないけれど。
そんな事を考えたが、何も声に出してリザを困惑させる必要は無い。
傘と共に渡されたタオルだけを受け取り、彼女に礼を言った。
そして、そのまま傘の下から歩き出して再び雨に打たれる。
だが、今度はその足を止める事無く渡り廊下の終着点まで到達した。
「…全てに強い人なんて…居ないのね…」
いつもは自分の上司以上に自信に満ち溢れたその鋭気を宿す眼差し。
それが霞む事など想像も出来なかったが…彼女の現状は、まさにそれだった。
不必要になった傘を見上げた後、リザは踵を返してその場を後にする。
Rewrite 06.08.21