Another World 19
今まで空いていたからと言う理由で度々使っていた部屋が、正式にコウの執務室となった。
そして、彼女の地位は―――
「二階級特進。俺は一度死んだな…」
殉職と同じ昇進に、彼女は思わずそんな事を呟いた。
机の上には書類に必要な資料やペンが転がっているだけで、他に不必要なものは何一つ無い。
部屋自体も使いやすさを重視した結果、いたってシンプルな姿を見せていた。
「失礼します、スフィリア大佐」
扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、コウ直属の部下。
階級はリザと同じ中尉で、名をティル・ルシェリと言う。
一見すれば男性とも間違えそうな名前ではあるが、れっきとした女性だ。
母親が酷くおっちょこちょいで、女と知らずにその名前を付けてしまった…と言うのが風の噂。
事実は彼女自身に問うた事は無いので闇のままだ。
性格は………焔の大佐の部下の彼女と酷似しているとでも言っておこう。
学生だったならば学級委員でもしそうな真面目タイプ。
「以前大佐が仰っていたショウ・タッカー氏の件ですが、査定の期限が迫っているようです」
藍色のファイルを抱えて、その中から報告を読み上げるティル。
彼女はガラス越しの眼差しをこちらへと投げて、続きを紡ぐ。
「また、彼に関してはマスタング大佐の方からも多少の催促が入っているようです」
「って事は、ショウ・タッカーはマスタングの管轄か?」
「正確に言うと、さり気無くこちらに回ってきたと言うのが事実ですね」
はぁ、と溜め息を零してティルがファイルを閉じる。
そしてくるりと反転させ、コウに手渡した。
「…査定期限の切れてる奴は面倒だからな………厄介払いしやがったのか…」
「大佐の仕事が手元に残らないからまわされるんでしょうね」
「…俺、自分のところに仕事を溜めるの嫌いなんだよ」
サボってるみたいだろ、と彼女は肩を竦める。
実際に彼女はサボっているのだが、一日がかりの仕事を半日で終わらせ、残りを自由時間にしているのだ。
はっきり言えば、問題はない。
だが、当然周囲の目はそんなに優しくはなく、手が空いているならばとコウに仕事が回されやすいのも事実。
結果として、彼女は人よりも多い量の仕事をこなしているのだ。
これで残業にならないところが不思議だ…とティルは思う。
この上司の下で働くようになってからと言うもの、忙しくはあるが前のように不愉快なほどではない。
それは一重に、この上司の仕事が速く、自身のそれが滞る事がないからだろう。
通常よりも少し多い水でも、溜まらずに流れていればストレスにはならない―――それと同じだ。
「査定期限は来週です。差し迫っている仕事はそれくらいかと」
「了解。んじゃ、今日あたりにちょっと会って来るよ。そのタッカー氏とな」
そう言って、コウは重い腰を持ち上げた。
彼女が椅子から立ち上がると、デスクの傍らに伏せていたルシアも同じく顔を上げる。
コウと視線を絡めると、彼は何を言うでもなく部屋の片隅に置かれた彼女の鞄の元へと走った。
歯を立てないように器用に咥え、彼女の足元まで戻る。
「サンキュ」
そう言ってその優しい手で撫でられるのが、好きだった。
「今日も連れていらしたのですね」
デスクの向かいに立つ彼女からは、伏せていたルシアは見えていなかったようだ。
動き出して初めて気付いたその存在に、彼女は口を開く。
「気の利く相棒だからな。あぁ、机の上の分は全部終わってる。持って行くなら持って行ってくれて構わないから」
鞄の中から取り出した車のキーを指先で遊ばせつつ、コウは執務室を後にした。
ショウ・タッカーの家の脇に車をつけ、コウは門を潜った。
そうして見えてきた風景に、きょとんと目を見開く。
「ガキが3人…」
ポツリと呟く彼女の目線の先には少女と遊ぶアル、そして大型の犬に追いかけられているエドだった。
結局、コウはあの大総統からの電話の日、急な仕事によりエドたちと行動を共にする事は出来なかったのだ。
後から聞いた話では、タッカーの家に生態関連の蔵書を見せてもらいに来ている筈だったのだが…。
「遊んでていいのかねぇ…。………ま、ガキの頃はしっかり遊んでおくべきか」
普段大人の中で気を張り詰めている彼らだからこそ、時には子供らしくあることも重要だろう。
屈託の無い笑顔を浮かべる3人の子供を眺め、コウは止まっていた足を動かした。
「あぁ、犬が居るけど…喧嘩すんなよ、ルシア」
「誰が犬ころなんか相手にするか」
「こりゃ失敬」
クスクスと笑い、コウはそのまま家の方へと歩き出す。
しかし、目ざとい事に庭の端で追いかけられていたエドが彼女に気付いた。
「コウ!?」
驚いたように、でもどこか嬉しそうにコウを呼ぶ。
その声に気付いたアルも同じく彼女の方へと視線を向けた。
一人、わからないと首を傾げる少女と共に、彼はコウの元へと歩いてくる。
「コウさん、来てたんですね」
「ああ」
「あ、そう言えば…コウって大佐に昇進したんだよな。おめでとう」
「サンキュ。ロイから聞いたのか?」
アルとエド、順に言葉を交わし、コウは傍らに居る少女を見下ろした。
長身の彼女と少女との身長差はかなりあり、太股半ばまでの高さしかない。
目線を合わせるように膝を着き、彼女に向けてにこりと微笑んだ。
ここでしゃがまない所が何ともコウらしい。
「初めまして、お嬢さん。コウって言うんだ」
宜しくな?と首を傾げて見せれば、彼女は警戒を解いて顔を綻ばせる。
差し出されたコウの手をきゅっと握り返し、必死にその小さな唇を動かした。
「ニーナって言うの!宜しくね、コウお兄ちゃん!」
「ニーナな。可愛い名前だ」
そう言って彼女の頭を撫でてあげれば、嬉しそうにきゃっきゃっと笑う。
そんな彼女にそっと眼を細め、ふと感じた視線に顔を上げた。
「コウさんって意外と子供の扱い上手いんですね」
「あー…まぁ、初めは迷子案内とかの仕事もあったし…。その時に慣れたんだろ」
結構懐かれるんだ、とコウは肩を竦めた。
派手な出で立ちは一見すれば近寄りがたい雰囲気を持っている。
見た目に囚われがちな大人であれば、彼女を知らなければ不良に近い彼女に自ら近づこうとはしないだろう。
だが、子供と言うのは意外と内の性格に気付くものだ。
見た目で判断せず、取っ付き難そうであったとしても優しければ歩み寄っていく。
心が純粋な分、人の心を読み取る事に優れているとでも言うのだろうか。
「ニーナ、お父さん居るかな?」
「パパにご用?」
「そ。ちょっと話がしたいんだけど…」
そう言うと、彼女はどこか悲しそうな表情を浮かべる。
彼女の表情の変化にコウは内心首を傾げた。
「パパ、いじめない?」
「…いじめないよ。ニーナのお父さんのお仕事に興味があって、話が聞きたいだけだから」
ぽんぽんと撫でられる手から、コウの優しさが伝わったのだろうか。
大丈夫だと言われているような気がして、ニーナは表情に笑みを戻した。
ついてきて!とコウの腕を引いて家の方へと駆けて行く。
「…兄さん、コウさんは…」
「あぁ。恐らく仕事…だろうな」
残された兄弟は小さく言葉を交わし、どちらとも無く彼女らを追うように家の中へと入っていった。
Rewrite 06.08.03