Another World  16

ふわふわと自身の口元から上に伸びる紫煙を眺め、コウはぼんやりと虚空を見つめた。
軍部の屋上とは思えない静けさに、彼女は身を任せる。
先に行くにつれて量を減らしてある髪型は、所謂ウルフカットと呼ばれるもの。
一番長い、まるで尾のように伸びた髪は彼女の背中の中ほどまでその赤を流す。
口の中に残る苦い味に軽く眉を寄せ、唇からそれを奪い座るコンクリートに押し付けた。

「…眉間に皺を寄せるくらいなら吸わなければいい」

隣から聞こえた声に、コウは驚く事もなく「そうだな」と答えた。
すでに火を消したとは言え、煙草は未だにその匂いを周囲に残している。

「人のもんはやっぱ慣れねぇわ。これからはハボックに貰うのはやめとくよ」
「いつもは咥えるだけで火は付けないのに、毎年この日だけは吸うんだな」

ルシアの言葉にコウは一瞬動きを止める。
そしてその後ガシガシと赤い髪を掻いて苦笑を浮かべた。
気付いていたのか、と言う彼女の言葉に、ルシアは「エンヴィーも気付いている」と短く答える。

「あの人の命日だからな。やめらんねぇって言ってた煙草の匂いを送ってやりたいんだ」
「また“あの人”、か」

幾度と無く聞いてきた“あの人”と言う言葉。
その人物を指し示す名前も、間柄も彼女の唇から紡がれる事はない。
ただ、その人物が彼女にとって人生すらも狂わせるほどに愛おしい存在だったと言う事だけは…理解出来る。

彼女が煙草を吸う姿を見るのは、これで4度目だ。
今回は“あの人”がすでにこの世に無い存在なのだと知る。
他の情報が彼女の唇から紡がれるのはまた来年か…とルシアはコンクリートに押し付けられた吸殻を見た。

1度目は“あの人”が自分にとって大切な人だったのだと彼女は語る。
2度目は、彼女がいつも肌身離さず持っている指輪がその人のものなのだと知る。
そして3度目、彼女が自身の性別を偽るきっかけが“あの人”にあるのだと、コウは酔ってもいない酒の勢いで語った。

「よし。仕事に戻るか」

ルシアの視線の先から吸殻を拾い上げると、彼女はポケットに入っていた袋にそれを放り込んで立ち上がる。
伏せたままだったルシアも、彼女が歩き出せばそれに従って屋上を降りる階段の方へと歩き出した。


















あの日から数日後、コウは自身の仕事部屋に戻るまでの道中、普段よりも賑わう軍部に首を傾げた。
そう言えば、朝の出勤時間に建物に入ってからというもの、ずっと屋上に居たなと思い出す。

「スフィリア少佐!今までどこにいらっしゃったんです!?」

この非常時に!と言う心の声が聞こえてきそうだ。
そんな事を思いながら、彼女は声のした方を振り向く。

「フュリー軍曹。何かあったんですか?」
「東部の過激派に汽車が乗っ取られたんです!午前から探し回ってたのに…どこに居たんです?」
「あー…悪かったな。で、現状は?」
「間もなく乗客名簿が上がる頃ですね。僕は機材の不足を取りに来たんですけど…。少佐も急いでくださいよ」

そう言って足早に去っていくフュリーの背中を見送り、コウはその場に立ち尽くした。
もうそんな時期か…と呟いた声は、ルシア以外の耳に止まる事はない。

「となると、3年ぶりの再会だな」
「今度こそ会うのか?」
「何だよ、ルシア。“今度こそ”って」

誤魔化すように、でもごく自然にそう声を上げるコウ。
彼女を見上げ、ルシアは軽く鼻を鳴らして言葉を続けた。

「よく言う。いつも、あのガキ共が東方司令部を訪れたと聞けば会わないようにしてただろ」
「流石に気付いたか」

彼の言葉にコウはニッと口角を持ち上げる。




コウがエドワードと出逢ったあの日から、すでに3年の月日が流れている。
その間にも幾度と無く彼らは彼女の働く東方司令部を訪れた。
だが、コウは彼ら兄弟が司令部を訪れていると知ると、彼らの前に姿を現そうとはしなかったのだ。
いつも絶妙なタイミングで仕事を抱え込んでは、建物の外の仕事へと出て行く。
何度も続けば不自然に思う者も出てくるかもしれないと言う一抹の不安はあった。
だが、彼女にとってはそんな輩の疑問は別に気にするものでもない。
コウにとっては、彼らと関わって不自然に未来が変わってしまうことの方が恐ろしかった。




漸く金縛りから解かれたように、コウの足はゆっくりと動き出す。
フュリーが向かった先にある部屋を思い浮かべ、恐らくはあの部屋だろうとめぼしを付ける。
その方向へと歩き出す彼女と、それに付き従うルシア。
その光景は、司令部内ではすでにお馴染みのものとなっていて、誰の咎めも受けることはない。
目立つ赤髪が横切れば女性の視線は一度彼女へと集い、そして慌てたように逸らされる。
慣れてしまっているコウは特に反応する事も無く、眼が合えば微笑み返すくらいで只管廊下を進む。





部屋の外にも聞こえるほどに賑わう部屋を前に、コウはノックと共にそのドアノブを回した。
一斉に中の人物の視線が集中する―――かと思われたが、静かに扉を開いたお蔭かすぐ傍の数人だけが気付く。

「おや、ようやくサボり魔のご出勤か」
「普段仕事を溜め込む人に言われたくないなぁ、その台詞」

即座に返せるのは、よくある遣り取りだからだろうか。
声の主を振り向くと、彼はコウに向けて資料を差し出してきた。
遅れてきた事に対するお咎めは無いらしい。

「…中々な連中ですね。ここまではっきりとした声明を送ってくるとは…」

パラパラパラ…と資料を走り読みしたコウがクッと口角を持ち上げる。
こう言う奴は嫌いじゃない、と言う彼女の心中がその笑みに浮き出されているように見えた。

「で、大佐は随分のんびりしてますね。何か秘策でも?」

乗客名簿を見る限り、上司であるハクロが家族共々乗り合わせている事はすでに知っているだろう。
焦りと言うものを見せていないロイに、コウはその理由を知りながらも尋ねる。
数年前のようなミスは、二度と繰り返さない。
未来を知っていると言うのは、彼女のトップシークレットなのだ。

「乗客名簿を上から見ていけばわかる」

彼は得意げに笑みを浮かべ、それだけを言うと他の軍人の元へと歩いていった。
恐らく何か変化が無いかどうかを聞きに言ったのだろう。
コウは乗客名簿を順に上から下へと眼を通していく。
そして、目当ての名前…ロイが指していた人物の名前を視線が捉えた。

「エドワード・エルリック…か」

その名前を紡ぎ終えると、コウはポケットから銀時計を取り出して時間を確認する。
身分証明として十分に使えるそれだが、彼女は専ら時計として有効利用していた。
時刻は、もう少しすれば乗っ取られた車両が駅に着く頃だ。

「スフィリア少佐、君も同行するかね?鋼の兄弟と会うのは久しぶりだろう」
「………んじゃ、ご一緒させてもらいます」

彼も時間を気にしていたらしく、部下数名を連れ立って部屋を後にする。
途中、未だ書類を眺めていたコウを誘い、彼女も彼らに続いた。






「…嬉しそうだな」
「そうか?まぁ…漸く会えるからな」

運転席でハンドルを切る彼女を助手席から眺めるルシア。
彼の言葉に、コウは視線を向けずに答える。
確かに自身の心が弾んでいる事は否めない。
自分は直向な彼らを気に入っていたんだなと、今更ながらに思った。
ここまで、自分が関わっていない事で未来は恐らく変わらないだろう。
この先はそれを変えてしまわないように動けばいいだけの話。
それが大変なんだけどな、と苦笑を浮かべつつ、彼女はアクセルを踏み込んだ。

歯車は正しく回りだした。

Rewrite 06.07.22