Another World  12

パンッと言う音が地下室に響く。
十メートルほど向こうの的を見つめ、コウは低く唸った。

「うーん…やっぱ衝撃が大きいな…」
「何やってんの?」

呟きに対する返事ではなかったが、それでも自身に向けられていることに変わりは無い。
コウは自身の腕を下ろしつつその声の主を振り向いた。

「何って…射撃練習」
「ふーん…撃ってみてよ」

珍しく興味を惹かれたらしいエンヴィーは、脇に置いてあった椅子に逆向きに腰掛けてコウを急かす。
溜め息一つのあと、彼女は再び的に向き直った。
5重にかかれた円のど真ん中から少し上に、先程撃った弾の後が残っている。
今度はそれの二の舞にならないようにと、コウは手の中のそれを真っ直ぐに構えた。

「………構えは悪くないね。前に使ったことあるの?」
「…俺、こう見えてもいいとこのガキなんだよ。護身用にって扱えるようになってた」
「へぇ、初耳。ま、それはいいんだけどさ…。出勤時間過ぎてるよ」

クイッと彼の親指が指した先にあるのは地下室の壁に掛けられた時計。
時計の針は、コウが出勤時間としている30分後の時刻を刻んでいた。

「…………………」

無言でコウは拳銃の弾を装填する。
そして、エンヴィーが口を開くよりも早く、弾丸が彼の頬を掠めた。
一筋の赤は、瞬き三度ほどの間に修復される。

「ちょ!当たるから!!てか、何で俺に向かって撃つのさ!!」
「明らかに遅刻じゃねェか!!」
「いやいやいや!それ、コウの所為であって俺の所為じゃないから!」

完全防音の地下室の音が外に漏れる事は無い。
自身に向かってくる弾丸の群れから逃れるようにして、彼は一階への階段を駆け上がっていった。
的を失ったコウは、溜め息を一つ吐き出した後拳銃を壁のフックに掛かったホルダーに戻す。

「あー…やばいな…マスタングはいいとしても、ホークアイ中尉に睨まれるか…」

それは嬉しくないな…と前髪を掻き揚げた。
完全に遅刻と言うわけではなく、急げばまだ数分の遅刻で済む時間だ。
それでも急いだりせずにのんびりと歩く辺りは何とも彼女らしい。

「ルシアー。行くぞ」
「今日は少し遅くはないのか?」
「…わかってたなら呼びに来て欲しいもんだな」

白いファーのついたジャケットを羽織ると、コウはルシアを呼ぶ。
ひょっこりと二階から顔を覗かせた彼は、そのままトントンと軽快に階段を下りてきた。
彼の言葉にコウは思わず肩を竦めてそう答える。

「あの部屋は鼻も耳もおかしくなる」
「まぁ、狼のお前には辛いか」

人間の数倍の聴覚と嗅覚には、確かにあの地下室は拷問に近いだろう。
そう苦笑を浮かべると、コウはそのまま玄関に向かって歩き出した。
ドアを開き、ルシアを外に出してからリビングに向かって口を開く。

「じゃ、俺行って来るから」
「ん。行ってきなよ。ボロを出さないようにね」

リビングの開かれたドアから返ってきた声に「当然」と返し、コウは玄関を閉ざした。
朝の日差しに軽く目を細めると、漸く軍部への一歩を踏み出す。
ポケットから取り出した銀時計が示す時間はすでに勤務開始時刻だ。

「…ま、この際のんびり行くか。どうせ今日の午前中の分は終わらせてあるしな」

誰に言うでもなくそう呟くと、声に反応して顔を上げたルシアの頭を撫でる。
そして、まだ寝起きの顔を見せる街中に向けて足を踏み出した。














昼休みの後、コウはロイ・マスタングの部屋に呼ばれていた。
彼は中佐で自分は少佐。
当然の事ながら拒むと言う選択肢はなく、ほぼ強制的であったとここに記しておこう。
彼女の眉間に寄せられた皺がそれを物語っている。

「で、ご用件は?中佐殿」
「不機嫌だな」
「生憎男に呼ばれて喜ぶ趣味はねぇ」
「奇遇だな。私もだ」
「じゃあ仕事の途中で呼ぶなよ。折角明日の朝の分を終わらせようとしてたってのに…」

時間が勿体無い、と言わんばかりの表情に、ロイは笑った。
上下関係に敏感でありながらも、必要のない場所を綺麗に使い分けるこのさっぱりした性格。
それで居て不愉快に思わせないところは、彼女という人間の良さを浮き彫りにしているように思えた。

「出張に付き合いたまえ」
「何で俺が」
「上司命令だ」
「………はぁ、了解。お供させていただきますよ」

肩ほどに手を持ち上げ「降参」と言う姿勢を見せてそう告げる。
ロイは満足そうに頷き、机の上に乗せてあった資料を彼女に差し出した。
首を傾げるコウに対して読めと目で訴える。
視線が渡された用紙の中ほどを進んだところで、コウは口を開く。

「あらま。昇進ですか。おめでとうございます」

祝うつもりがあるのかと問い返したくなるような口調だ。
それでも十分だったのか、ロイは組んだ手の上に顎を乗せて口角を持ち上げた。

「本日付けで大佐となった。……君の予言通り、だな」
「予言…?何です、それ?」

そんなものをした覚えはない、とコウは眉を寄せる。
確かに彼が中佐から大佐に昇進する事はわかっていたが、その事実を彼に伝えた事はないのだ。

「以前私を『マスタング大佐』と呼んだことがあった。あまりにも自然に呼ぶので、予言のように思えたよ」

そんな彼の言葉に、コウは内心舌を打つ。
言われてみれば以前その呼び名を声として発した覚えがなくもない。
元の世界で呼んでいた「ロイ」と呼ばないようにだけは気をつけていたのだが、迂闊だった。

「まるで未来を予知したかのように、先週これを受け取った」
「…あなたはこんな所で止まるような人間じゃないと思いますから………その所為かもしれませんね」
「とりあえず、君には感謝しておこう」
「そうですか。あぁ、そろそろ仕事に戻らせていただきます。明日の出張には付き合いますので」

それ以上の問答を許さないとばかりにコウは敬礼して踵を返す。
バタンと扉を閉ざすと、盛大な溜め息を零した。
零したと言うよりは空気の塊を吐き出したかのようなそれだ。

「どうかしたのか?」

部屋の外で待っていたルシアが、彼女の元に歩み寄りつつ声を掛ける。
廊下に他に人はなく、彼が人語を話したところで何の問題もなかった。
コウは彼に苦笑を浮かべ、歩き出しつつ口を開く。

「あー…迂闊だった。まさか大佐って呼んじまってたとはな…気付かなかった」

コウにだけは忠実なルシア。
それを信頼して、彼女は未来を知っている異世界の人間なのだと彼に伝えてあった。
それ故に、すぐに事を理解したルシアは狼ながらに困ったような表情を見せる。

「大丈夫なのか?」
「まぁ、昇進が嬉しかったのか大して気にはしてないだろうけど…。きっかけにもなりかねないからな」

気を引き締めないと。
そう言ってコウはパンッと両頬を叩く。
これ以上のミスは許されない、そう自身を叱咤した。


未来を知っていると言う事は誰にも告げるわけには行かなかった。
少なくとも、自分が知らない未来に辿り着くまでは。

Rewrite 06.07.07