Another World 11
廊下を出口の方へと進んだコウは、玄関の所で見覚えのある軍人に引き止められた。
軽く目を細め、彼に応対する彼女。
「君が噂の赤の君かね?合格おめでとう」
「ありがとうございます。あー…ハクロ将軍?」
思い出すようにそう言った彼女に対して、ハクロはその通りと笑みを深める。
それに比例するように彼女の眉間の皺が深さを増した。
昼食間際の勤務中ということもあり、その場には二人しか居ない。
人の良い笑みを浮かべているとまるで別人のようだなと思いつつ、コウは溜め息を吐き出した。
「で、何の用だ。エンヴィー?」
「あれ?ばれてるんだ?」
「理由は簡単。ハクロとはさっき大総統室を出たところで会ったばっかりだ」
今のこの場にいるのが本人のはずが無い、とコウはハクロを指差した。
気色悪いからさっさと戻れ。
そう言った彼女に、彼はにぃと口角を持ち上げ、人の目が無い事を確認するとその姿を崩す。
バシンという音の後、その場には軍服を纏ったエンヴィーの姿があった。
「気色悪いなんて失礼だなぁ。折角迎えに来てあげたのに」
「要らん」
「だろうね。そう言うと思ったよ。ま、迎えって言うよりもー…ただの嫌がらせ?」
楽しげに笑う彼に、コウはその方がよっぽど性質が悪いと思った。
口に出せば彼を喜ばせるだけなので、唇は噤んだままだったが。
そのままくるりと踵を返し、彼女は玄関を出て行く。
足音の無い彼の薄い気配を背中で感じ取りながら。
「あぁ、もう一つ理由あったな」
「何?」
「気配。ハクロの野郎は隠してないから丸わかり」
「…あぁ、無意識に消してたね」
そういえば、とエンヴィーが頷く。
仕事上、気配は消しておくに越した事は無い。
普段からの癖が、思わぬところで彼にとって不利益を被ったようだ。
尤も、取るに足らない不利益ではあるが。
「ラースから話は聞いた?」
「軍に入る件か?」
「そうそう。よく考えたらちゃんと話してなかったなーって思ってさ」
悪びれた様子も無くそういったエンヴィー。
そう言う大事な事を忘れてくれるな、と思いつつも、その言葉も何とか飲み込む。
言ったところで次に生かすような人間なら、もっと全うに生きているはずだ。
「蛇の話なんだから、元々断る理由はねぇだろ。ま、即答は変に勘ぐられるからな。三日貰っておいたよ」
「流石だね」
「当然。階級は少佐からで、東方司令部所属。仕事としては―――…焔の監視」
「ちゃんと聞いてるんだね。階級は元々国家錬金術師自体が少佐相当だから、妥当なところでしょ」
逆に、少佐以下となると錬金術師としての地位だけが頭一つ分だけ飛び出てしまう事になる。
確かに妥当なラインだ。
ふと、エンヴィーが「そうそう」と思い出したように声を上げる。
そして、一見屈託の無い笑顔をコウに向けた。
この男の場合、腹の底で何を考えているかわかったものではないが。
「合格おめでとう。晴れて軍の狗だね」
「…ありがとう。後半部分は嬉しくも何ともねぇけどな」
「まぁまぁ。それはそうと…二つ名は?」
エンヴィーの問いかけに、コウはにっとその口角を持ち上げる。
両手を合わせたかと思えば、彼女は自身の手を彼の目の前に翳した。
バチッと火花のような錬成光が彼女の手の上の空間を走り、その場に目に見えるほどの水分が集う。
かと思えば、次の瞬間には彼の視界は霧に覆われた。
まさに一瞬の事に、エンヴィーは珍しくも目を見開いて隙を見せる。
彼が我に返ったのは、自身の首筋に添えられた低めの体温の手の感触を感じた後だった。
「天操。“天を操る”」
「…言い得て妙なり、だね」
「だろ?俺も気に入ったよ」
すっと彼の首に添えた手を離し、コウはにこりと笑う。
その楽しげな笑みは、ただ純粋に資格取得を喜んでいるように見えた。
「しかし…焔の監視となると、場所はイーストシティか?」
「あれ?ちゃんと中佐に聞いてきたの?」
エンヴィーが流石、と頷く。
彼の返答に、コウは表情に出さないまでもしくじったと内心舌を打つ。
「………まぁな。その辺りに、抜かりは無い」
まるで何でもない事のように答える彼女のポーカーフェイスはほぼ完璧だった。
気を抜けば自分に知識がある事を悟らせてしまいそうだと、改めてそれを引き締める。
この時、彼女はまだ自身の犯したミスに気付いていなかった。
三日後、コウは再び軍部を訪れていた。
彼女の手には記入済みの書類、傍らには尾を振ってご機嫌のルシア。
決してヒールは高くは無いが、硬い靴底で足音を響かせつつ、颯爽と歩く姿は目を惹く。
相変わらず視線を総なめだなと自嘲の笑みを零した。
尤も、周囲から見ればその笑みすら彼女を惹きたてる物であっただろう。
「大総統への謁見をお願いします」
「承っております。コウ・スフィリア様ですね。大総統室へどうぞ」
にこやかな笑顔に見送られ、一度は通った道を歩いていくコウ。
二度目の道は彼女の歩みに更なる自信を持たせていた。
大総統室の前で護衛を勤めていた軍人が、歩いてくるコウに気付く。
すでに話は通されていたのか、彼はその姿を認めるなり扉を叩いて中の住人に声を掛けた。
そして、返事を受けて少し豪勢な造りの扉を開く。
コウが部屋に入り、入れ替わりに大総統の護衛をしていた軍人が軽く頭を下げて部屋を後にした。
三日前と同様に室内は大総統とコウの二人だけになる。
今日はルシアも一緒なので二人と一匹になるが。
「待っていたよ。書類を受け取ろう」
「や、普通は返事を聞く方が先だろうが…」
にこりと笑って催促とばかりに手を差し出してくる大総統に、コウは呆れたように肩を竦める。
そして封筒入りの書類を彼の手ではなくデスクの上に滑らせた。
「居住はどうする?書くわけにもいかねぇから空欄にしてあるんだけどさ…」
「あぁ、その部分には…」
彼はキィと椅子を回し、脇においてあった整理棚から何かの資料を抜き取る。
そのトップに挟み込んであった紙切れを彼女の前に置いた。
そこには、セントラルの端…イーストシティに限りなく近い場所の住所が書かれている。
「…これは?」
「君の拠点だ」
「………ちなみに名義は?」
「もちろん、君以外に有り得るかね?」
家を用意してくれたことには感謝するが、勝手に進めるのもどうなんだ。
そう思うコウだったが、とりあえず素直に受け入れておく事にした。
一言声を掛けてデスクの上に乗っていたペンを拝借し、空欄になっていた場所にその住所を書き込む。
しっかり埋められたそれを上から下まで確認するように一瞥すると、コウはもう一度それを差し出した。
「用意周到なことで。行き成り借金生活か…」
「何、家の一軒くらい研究費の五分の一にも満たんよ」
ちなみに、コウが国家錬金術師として二つ名を受け取った時点で、今年の研究費は彼女の口座に振り込まれている。
彼女は自分の想像以上の金額が入っているのだと言う事実に驚かされた。
漫画の知識で国家錬金術師には結構な金がある、と言う事はわかっていたが、家一軒が五分の一に満たないとは。
「…うわ…俺って金持ち?」
「更に少佐ともなれば軍からの給料も大した額になる。しっかり稼ぎたまえ」
別に今まで金に困る生活をしてきたわけではないが、突然想像も出来ない金を手にしたとなれば話は別。
自分が考えている以上に、国家錬金術師と言うのは凄いらしい。
彼女の心中の葛藤を知ってか知らずか、ルシアがきょとんと首を傾げて彼女を見上げていた。
Rewrite 06.06.25