Another World 10
一旦距離を取る様に剣を弾いたコウは、その口元に楽しげな笑みを浮かべた。
彼女の動きに合わせて揺れる赤い髪は美しく見る者を魅了する。
「流石、ですね」
今の交わりで正攻法では勝てないと判断したのか、彼女の脳内では瞬時に様々な計画が浮かんでは消える。
その一つを掬い上げた彼女は、再度床を蹴った。
先程と同じように真正面から大総統へと向かう。
結局力で押してくるつもりなのかと思われた、その時。
彼女は剣を口で咥え、自身の両手をパンと合わせる。
大総統は、彼女の手が空を掻くと同時に、それを追うように何かが生み出されているのを見た。
次の瞬間には、彼の視界はその場に発生した霧によってそれを奪われる。
霞んだ視野の右下に赤が飛び込んできたのは、そのすぐ後だった。
「…なるほど。空気中の水分を凝縮し、発生させた水を霧へと変化させたか…」
「その洞察力には感服いたします、大総統閣下」
奇襲攻撃も、彼の着衣の裾をほんの少し掠めるだけに終わった。
だが、コウとしてはそれで満足らしい。
それ以上は何をするつもりはないという意思表示か、彼女は無防備にスタスタと大総統から歩いて離れる。
そして、一定の距離の所で彼を振り向き、一礼を見せた。
顔を上げると彼女は手に持っていた剣を一瞬のうちに元のチェーンへと戻し、腰に巻きつける。
「…以上で終了ですが」
「………は?」
「だって、持ち時間5分ですよね?今が丁度5分ですよ」
部屋の片隅に小さく見える時計を指差し、コウが答える。
全員の視線がそちらへと向き、そして彼女へと戻ってきた。
その頃になって漸くハッと我に帰る軍人達。
「貴様!大総統に何たる事を…!!」
「いや、止めるのは遅すぎませんか」
かぁっと頬やら鼻筋やらを上気させて怒鳴り来る軍人一名に向けて、コウはそう言わずには居られない。
すでに終了を宣言してから文句を言われても、こちらとしてもどうしようも無いというのが現状だ。
止めるなら途中で止めろよ、と毒づく彼女の心中など知る由も無く、彼は更に続ける。
そんな彼の声を遮り、「それに…」と紡ぐコウ。
「課題は何でもいいのかって確認しましたよ、俺は。俺の課題は『閣下との手合わせ』」
手合わせもそうだが、勝負と言うのは一瞬の判断や行動力が勝敗を左右するものだ。
錬金術をその中に活用するとなれば、その速さや正確さを問われるのは当然の事。
敢えて戦いの最中にそれを使う彼女もどうかとは思うが、それは彼女が彼女故のことだろう。
その意図を読み取ったのか、更に口を開こうとした軍人を制したのは大総統本人。
「別に失格にする理由はどこにもない。命を狙ったわけでもあるまい」
「しかし…!」
「現に、私はこうして生きておるよ。さて、スフィリアくんと言ったか」
大総統が自身に向き直ると、コウは軽く頷いた。
笑みを浮かべて尚、損なわれる事のない威厳は流石と言えよう。
「試験結果は追って知らせる。そうだな…午後を迎える前に出るだろう」
「わかりました」
「一つ、いいかね?」
改めて問いかける彼に、コウはきょとんと目を見開いた。
彼に質問されるような事は何もしていないように思うが…と内心で考えつつも頷く。
「最後の一撃、左サイドからの攻撃なら確かに入っていただろう。何故、死角を狙わなかった?」
左目に眼帯を纏う大総統。
普通に両目とも視力を保つ人間とは違い、眼帯を装着している側にはどんな者にでも死角が生まれる。
少しでも勝ちを望むならば、本来はそちら側を攻めるべきだった。
だが、コウは敢えて彼の右側から最後の一撃を加えたのだ。
「…別に命がけの勝負じゃありませんから。弱点を突くことに意味はありません」
「正々堂々と…か」
「真剣勝負でそれをするほど愚かじゃありませんけどね。その時は容赦なく死角を突かせてもらいますよ」
冗談めかして言ってはいるが、彼女の言葉は本心だろう。
それだけを言い終えると、コウは全員を見回して深く頭を下げ、踵を返して部屋を出て行く。
彼女が去り、扉が完全に閉じるとその場には様々な論争が巻き起こった。
そんな中、ロイ・マスタングは一人口元に笑みを浮かべる。
彼の笑みに気付いた大総統だが、それを気づかせる事も無く、あれやこれやと言葉を交わす軍人を眺めていた。
本を読んで時間を潰す事、約一時間。
まぁ、試験で更に当日結果発表と言うのだから妥当なところだろう、とコウは思う。
自分を呼びに来たらしい彼は実に晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
コウからすれば『胡散臭い』笑顔だ。
「やぁ、スフィリアくん。結果が出たよ」
「わかりました。どちらへ行けば?」
「大総統室だ。案内しよう」
また付いてきたまえ、と先を歩いていくロイの背中を追う。
その青い軍服をぼんやりと目の端に納めながら、コウは軍部内に視線を向けていた。
忙しなく動く軍人が右へ左へと移動していく。
足並みもそれぞれに違い、中々面白い光景ではあった。
「此処だ」
数分歩くと、ロイが一室の前で立ち止まってコウを振り返る。
彼女が追いついていることを確認し、その扉にノック音を響かせた。
「マスタングです」
中から「入りたまえ」と言う声が聞こえ、彼はドアノブを捻って室内へと進入する。
コウが彼に続けば、大きなデスクの向こう側に座る大総統と、その傍らに控える軍人が目に入る。
睨みつけるような目線は、生まれ持った顔と彼の仕事が護衛である事が関係しているのだろう。
「待たせてすまなかったね」
大総統はそう言葉を始めた。
そして彼はデスクの端に置いてあった書類を持ち上げ、彼女の方へと向ける。
「結果だが…満場一致で合格だ。おめでとう」
裏を語るならば、あの場の監督の意見は二つに分かれていた。
彼女を合格にすることは全員が頷いている。
言うまでも無く、問題となったのは大総統への行為だ。
罪として咎めるべき、と言う者と、課題としては問題ないとする者。
最終的に大総統が両方を宥め、一つの提案を出す事で話は決着する。
「君の背負う二つ名は“天操”」
「…“天操の錬金術師”…か」
「天を操る。君にはぴったりだと思わんかね?」
試験の時の目くらましの事を言っているのだろう。
雨を生み出す原理を生かし、水を発生させ、霧の原理で視界を奪う。
彼女の錬金術は確かに天を意のままに操るものだった。
「これは銀時計だ。無くさんよう活用してくれたまえ」
「ありがとうございます」
しっかりとした箱に収められたそれと、資格取得の証明証を受け取るコウ。
箱の蓋を開けば、肌触りの良い布の上に鎮座する例の銀時計が彼女を見上げた。
それを手に取り、確かな重みをその手で受け止める。
「さて。新たな国家錬金術師の誕生を祝うのはこの位にして…」
大総統が、声の調子を変えつつそう切り出した。
箱の中に銀時計を戻し、コウは彼の言葉を聞く。
「一つ、君に提案があるのだが…その前に。彼女と二人にしてもらいたい」
有無を言わさぬ調子の彼に、護衛の軍人とロイは退室を余儀なくされる。
パタンと扉が閉じ、その部屋の中にはコウと大総統だけになった。
「君に、一つ提案がある」
「はい」
「そう硬くならんでくれ。“蛇”の話だ」
ピクリと、コウが僅かな反応を示す。
見落としてしまいそうな小さな反応だったが、彼には十分だ。
「君には軍に入ってもらいたい。嫉妬から話は済んでいるかね?」
「…軍に入ってもらう…ような話は聞いたな」
蛇…それが指すのは、即ちウロボロス。
自身を作る必要も無いと判断したコウは、まず敬語をやめた。
コウの答えに彼は満足げに頷く。
「私への無礼は罪には問わぬ事となった。代わりに、運良く監視下に置いてはどうかという意見が出ている」
「なるほど。軍に入れて縦割り社会に放り込んでしまえば何かをしようとしても即座に対応出来るってわけか」
「要はそう言う事だ。君の仕事はあの若造の監視だ」
その言葉が指すのは、恐らく彼だろうとコウの中で予測を立てる。
軍の内部にいるだけに、野放しにしておくには少し大きすぎる存在。
「この場で即答するのは変だ。三日後に改めて返事に来るよ。それでいいか?」
「あぁ、構わんよ。それまでに書類を用意しておこう」
「頼むよ。んじゃ、今日はひとまず帰るわ」
「今度は君の相棒も連れてきたまえ」
背中に掛かった声に、コウは肩を竦めて返事の代わりに片手を持ち上げる。
よく聞こえる耳をお持ちで、と苦笑を浮かべた。
Rewrite 06.06.23