Another World  09

無事筆記試験合格の通知が届いたのは、試験から一週間後の事だった。
そこに書かれていたのは実技試験の日程で、日取りは更に一週間後。
最後は「しっかりと実技に向けて準備を整えておくように」と言う言葉を難しく直して締めくくられていた。
もちろんコウが事前準備などするはずが無い。
いつも通り、昼間はどこへ行くでもなくルシアと散策に出掛け、夜はお声が掛かればウロボロスの仕事を手伝う。
そんな風に7日間を実に有意義に過ごし、向かえた実技試験当日。
以前かなり待たせてしまったこともあり、今回コウはルシアの同行を拒んだ。
始めはいい顔をしなかった彼だが、ごめんなと苦笑を浮かべられれば従わざるを得ない。
「失敗しないでね」と言うエンヴィーの有難くない言葉に背中を見送られ、コウは二度目の中央司令部を踏みしめた。

「実技試験を受けに来たんだけど?」
「はい。お名前の方をお願いします」

少し崩れた営業スマイルで頬を染める受付嬢にコウは自身の名をフルネームで名乗る。
何かの資料を確認し、それにチェックを入れたところで彼女は顔を上げた。

「試験会場は本館3階となっております。
各所にあちらのような案内を用意しておりますので、それに従って試験会場前の受付にて再度お声をお掛けください」

彼女の指した方向には『国家錬金術師 実技試験会場』と書かれ、矢印によって進路を示す案内板。
それを見てコウは頷き、一言お礼を残して案内板の示す方へと歩き出した。
初めての道にも動じる事無く颯爽と歩くその姿は、軍部内の視線を一身に集めている。
そんなものを気にするような小さな神経は、遥か昔に溝に捨ててしまっているが。
















試験専用の窓口で受付を済ませ、名を呼ばれるまで本を読んで時間を過ごす。
背表紙に書かれているタイトルは『空間移動の概念と錬金術』。
別に今の生活が不満だとか、元の世界に戻りたいなどは考えていない。
ただ、自分がこの世界にやってきた理由が知りたかった。
コウに言わせれば『ささやかな探究心』と言う奴で、この5センチ以上もある本を読もうというのだから感心する。
これもすでに半分ほどは読み終えていて、自分の望む内容ではないとわかっていた。
だが、途中で投げ出すのは嫌で、所謂惰性で読み続けているのだ。





読み始めてから20ページほど進んだ頃、不意にコウは目の端でこちらに向かって歩いてくる人影を捉えた。
まさか自分に用があるとは思わず、目の前で足を止められた時には訝しげに視線を上げてしまう。
そこに立っていた人を見て、コウは軽く目を細めた。
すでに驚かないのは、彼女が常人離れした適応力でこの世界を受け入れているからに他ならない。

「君がコウ・スフィリアかね?」
「ええ。あなたは?」
「これは失礼。私はロイ・マスタングと言う。階級は中佐だ」

そう言って手袋をつけていない手を差し出され、コウは人の良い笑顔を浮かべつつ握手を交わした。
コウの対応に満足したのか、彼は表情に笑みを浮かべたまま続けた。

「私は君の実技監督の一人を務めることになっている。頑張ってくれたまえ」
「…よろしくお願いします。中佐は錬金術を?」
「あぁ。数年前に国家資格も取ってある。“焔の錬金術師”とは私のことだ」

二つ名の前に『かの有名な』などと付きそうだと感じたのは、その声色がそんな感じだったからだ。
コウの予想以上に、彼は中々いい性格をしているようだ。
内心苦笑を浮かべ、彼女もそののりに付き合う。

「その二つ名は私も耳にした事があります。マスタング大佐がその錬金術師とは…会えて光栄です」

彼女の言葉に、ロイの目が軽く見開かれる。

半分本音で半分虚言だ。
言ってしまえば前半部分の『耳にした事がある』と言うのは漫画からの基礎知識で。
『会えて光栄』と言う部分に関しては、別に会えなくても問題はないし、会いたいと思ったわけでも無い。
漫画で感じていたよりは少し若いと言う印象を受けるのは、彼がまだ中佐の地位にいる頃だからなのだろう。

「(会えた事は収穫だな。これで原作の二年以上前だって事が確定したわけだ。)」

少なくともまだ“鋼の錬金術師”は存在しておらず、かつロイが大佐に昇進していない。
原作はさほど遠くは無いな、とコウは内心ほくそ笑んだ。

「ところで、実技監督と言うのは何人もいるものなんですか?」
「いや、君の場合は特例として中佐以上の錬金術に知識のある者が数名選ばれている」
「………それはまた…ご大層な事で」

少しばかり皮肉交じりに聞こえたのだろう。
ロイも苦笑を浮かべ「実力ゆえの事だ」と伝えた。
そこで彼はポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開いて時間を確認する。
国家錬金術師の証である銀時計を前に、コウは僅かに感動を覚えた。
漫画では表現しきれない美しさがそこにある。

「そろそろ時間だな。試験会場に案内しよう」

付いてきてくれ、と言う言葉に長椅子に下ろしていた腰を持ち上げる。
黒の上下なのでアクセントに、と思い腰に巻いてきたチェーンがジャラリと音を立てた。

「緊張しているかね?」
「別に」
「相手は中佐、大佐に名立たる将軍達だ」
「それは結構。是非とも名前を覚えてもらわないといけませんね。実力社会でも上を味方につけた方が有利」

言葉通りに全く緊張していない様子のコウに、ロイは内心感心していた。
あえて揺さぶりをかけるように将軍と言う言葉を出してみたが、それも逆効果だったようだ。
挑戦的な目を見せて口角を持ち上げた姿に、彼自身も思わず笑みを浮かべる。

「なるほど。君も実力主義か。中々気が合いそうだよ」
「恐縮です」

その会話が途切れた頃、一際豪勢に作られた扉の前に着いた。
両開きのそれを開き、先に入るロイに続いてコウも室内に足を踏み入れる。
部屋と言うよりはホールのような大きさのそこ。
真正面には軍旗が堂々と掲げられていた。
その前に立つのは10名ほどの人影で、皆一様に青い軍服に身を包んでいる。

「ロイ・マスタングです。コウ・スフィリアをお連れいたしました」
「うむ、ご苦労。下がりたまえ」

中心に立っていた男がそう声を上げ、ロイはコウの前から退き脇に移動する。
眼帯の男を真っ直ぐに見たコウは、心中で唇を吊り上げた。

「(今日は漫画のキャラとよく会う日だな。吉と出るか凶と出るか…)」
「受験番号と名前を」
「受験番号134。コウ・スフィリアです」

脇でファイルを抱えていた軍人の声に従い、澄んだそれを発するコウ。
彼女の返事に頷き、彼の言葉は続く。

「錬成陣を書くものは持っているかい?」
「―――…はい」

一瞬言葉を詰まらせたのは、必要ないと答えそうになったからだ。
先に暴露するよりは隠しておいた方が面白い。
軽く試験の内容を説明され、注意事項を述べられる。
気を抜けば聞き流してしまいそうな長い説明は、いい加減にしてくれと呟きそうになったところで終わった。

「一つ、質問させていただいても構いませんか?」
「何だい?」
「この試験、課題は何でもいいんですよね」

笑顔で問いかければ、説明役を務めていた男は頷き「実力を遺憾なく発揮してくれ」と告げた。
彼の答えに満足げに笑い、コウはその表情を引き締める。
精神統一とも取れる深呼吸を一度。
閉じた目を開き、彼女は口を開いた。

「…始めます」

自身の声を耳で拾い上げつつ、パンッと両手を合わせる。
その時大総統の目が細められたのを、彼女は見逃さなかった。
それを視界から押し出し、コウはその腰に手を伸ばす。
パチンと解いたチェーンは彼女の腰を4周していて、太さもそれなりにある純銀製のもの。
静電気を数倍大きくしたようなバチッと言う音が響き、コウの手元のそれを錬成光が包み込む。
それが収まった頃、彼女の手の中には銀色に光る剣が握られていた。
自身の手元に視線を落としてそれの出来を確認した後、コウは大総統に向き直る。
それを手にしたまま一歩、また一歩と彼に近づき、3メートルほどのところで立ち止まった。

「お手合わせ願えますか?」

にこりと笑みを浮かべ、コウは返事の声を待たずに床を蹴る。
彼女は、自身の言葉の後に大総統の口元が緩んだのを見ていた。
そんな彼が手合わせに反対の声を上げるはずなど無い。
確信に似た思いと共に、彼女は一瞬にして間合いを詰める。
キィンと刃の交じり合う音がその場に響いた時、二人の口元は楽しげに歪んだ。
それに気付いた者は、誰一人として存在していなかったが。

Rewrite 06.06.19