Another World  07

「悪かったって。いい加減に機嫌直せよ」

そう言いながらも、コウの表情は引きつった笑みを浮かべている。
腹を抱えて笑いたいのを何とか堪えている、と言った風な笑みだ。
彼女は自身の手を絶えずあちらこちらへと動かしては作業を進めながら、背後のエンヴィーを横目で捉えていた。

「…すぐに再生するんだから何も問題ねぇだろうがよ」
「問題ないけどね!気分的に裏切られた感じがするっての!!」

ふんっと顔を逸らしたエンヴィーに、コウは思わず「ガキみたいだ…」と呟いた。
その声はしっかり彼の耳に届いており、横顔が不貞腐れたのが目に見えてわかる。
そろそろ腹筋も限界っぽいな、と思いながら、彼女は自身の手に持っていたタオルを解く。
先程から彼女が行っていたのは、タオルである物を拭くという動作。
そのある物とは…

「よーし!綺麗になったな。男前だ」

満足げに笑い、コウは自身に甘えてくるそれを撫でた。
大型犬ほどの大きさで、毛並みは艶やかな黒。
胸の辺りから腹にかけては純白のそれが身体を包んでいる。
その道のプロでなくとも、この毛皮を売ればかなり遊んで暮らせると言う事がわかるほどに美しかった。
均整の取れた体つき、長くスラリとした鼻先と尾。

「見ろ、エンヴィー。やっぱかなりいい犬種じゃん」
「あーそうだね。その中に俺の一部が入ってると思うと小憎らしいけどね」
「ははは!兄弟だな」
「笑い事じゃないっての!」

ご機嫌斜めだな、とエンヴィーの声を笑い飛ばし、コウは犬を見下ろした。
澄んだ目は、褐色だが…この場合は、恐らく赤と表現した方が的確だろう。
赤い目はコウを見上げ、言葉を待っているように見えた。

「…何だ?腹減ったか?」

見上げてくる様子にコウは笑顔を浮かべ、その頭を撫でる。
先程使ったシャンプーの香りがふわりと鼻腔を擽った。

「お前、名前は?」
「…名前は無い」
「ふぅん…無いんだ。じゃ、俺が付けても問題ないよな。名前無いと不便だし」

どうしようか、とソファーに凭れながら天井を見上げ、頭を悩ませるコウ。
そんな彼女を見ながらエンヴィーは口を開いた。

「って言うか、まずその犬が人語を話してる事に対しての突っ込みは無いの?」

訝しげな視線を犬に向け、エンヴィーはコウに問いかける。
彼女は持ち上げていた視線を彼に向け、事も無げにこう言った。

「だって、エンヴィー入ってんだから当然だろ?」
「…そういう問題…?」

何だか深く考えているこちらが馬鹿らしく思えてくる。
エンヴィーはぐったりとソファーに座り込みながら、もう勝手にしてくれと思った。

「そこの黒いの。俺は犬じゃなくて狼だ」
「黒いのじゃなくてエンヴィーだよ。名無しの狼」

当て付けのようにそう答えるエンヴィーに、犬…では無く狼はグルル…と低く唸り声を上げる。
『名無しの狼』と言うのが気に入らなかったらしい。

「んじゃ、お前は今日からルシアな」

にらみ合う一人と一匹の傍らで悩んでいたコウだが、よし、と手を叩くとそう言って笑顔を浮かべる。
一瞬何の事だか理解できなかったらしいルシア。
彼は赤い目をまん丸にして彼女を見つめ、数秒置いてから嬉しそうに尾を揺らす。
そして、ソファーの足元から立ち上がると前足だけをそこに乗せてコウに擦り寄った。

「で。お前を助けられたのはあいつのおかげだから…ちゃんと礼は言っとけよ、ルシア」

ぽんぽんとその背中を撫で、コウは有無を言わさぬ笑顔でそう言った。
その言葉に嫌そうに表情を歪めるのはもちろんルシアだ。
狼なのに表情豊かな奴だな…と、彼女は楽しげにその反応を見つめている。
とてつもなく嫌そうに、ルシアは先程まで揺らしていた尾を垂れ下げてくるりと振り向いた。

「…ありがとう」
「凄く不本意そうな「ありがとう」だけど、まぁそれで勘弁しといてあげるよ」

そう言ってエンヴィーは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
彼のおかげで、と言うのは事実だ。





あの時、すでに事切れていたルシアを前に、コウはエンヴィーに犬になってくれと頼んだ。
それを聞き入れ変身したエンヴィー。
彼女はそれを見届けるなり、彼の尻尾をナイフで切断したのだ。
いくら再生するからと言っても痛いものは痛い。
突然の事に不平を垂れるエンヴィーの傍らで、コウは分解されないうちにそれを使って錬成を行う。
致命傷となっている傷付近の破壊された細胞を、彼の尾で代用したのだ。
上手くいくかは五分五分だったのだが、彼女は初めての合成獣の錬成を見事に成功させた。
その結果が、今目の前で座っているルシアという訳である。














どこをどう間違えたのかはわからないが、子狼だったルシアは錬成後大型犬ほどの大きさになっている。
恐らく、エンヴィーの身体を組み込んだ事でどこかしら反応が変わったのだろう…とコウは踏んでいた。
別に子狼でなければならなかったわけでもないので、何も問題はない。

「名前をつけてから聞くのもなんだけど、これからどうするんだ?」
「どう…とは?」
「帰る所があるなら帰ればいい。別に引き止めるつもりはねぇよ」

折角儲けた命だ、好きにしな。
そう言ってコウは彼の返答を待つ。
狼を前に、じっと口を噤んだまま視線も逸らさない光景は傍から見れば何だか面白い。
ルシアが話せない状態であったならば、さぞかし笑いものだっただろう。

「…なら、コウが拾ってくれよ」
「………飼い狼になるって事か?お前のプライドはそれでいいわけ?」

確か、自分の知識では狼は誇り高い動物だったはずだ。
例え知能が優れていようと、誰かの下に甘んじるような生き物ではない。
そんな考えは間違いだったのか…と思いつつルシアに視線を向ける。

「命を救ってくれた恩義に尽くすのが俺の誇りだ」

真っ直ぐな眼差しを一身に受け、コウは暫し沈黙する。
そして、ふぅと溜め息を吐き出すと共に肩を竦めてエンヴィーの方へと視線を向けた。

「問題は?」
「ありまくりだよ。邪魔な奴は必要ない」

どうやら歓迎するつもりはサラサラ無いらしい。
それだけを言ってしまうと、彼はふいっと視線を逸らす。

「…わかった。じゃあ、俺はルシアを連れて出て行くよ。連絡はラストを寄越してくれ」
「は?」
「行くぞ、ルシア」

エンヴィーの声など聞こえていないように、躊躇いも無く立ち上がると足元のルシアを呼ぶ。
彼は迷う事無く腰を上げ、コウに付き従った。

「ちょ…コウ!?」
「一緒にいなけりゃ気になんねぇだろ。ちゃんと仕事の方はするから安心しろよ」
「そういう問題じゃなくて!コウが出てったら間近で楽しめないじゃん!」

部屋の扉に手をかけた所で、エンヴィーのそんな声が彼女に届く。
手はノブの上に置いたまま、彼女は酷く綺麗な笑顔を彼に向けた。

「んじゃ、どうする?」

Yesか、Noか。
答えなど決まっている。

「………はぁ…。わかった。俺の負けだね。物凄く不本意な事この上ないけど、いいよ」
「よし。今日からよろしくな、相棒」

満足げに笑い、コウはノブに乗せていた手でルシアの頭を撫でる。
それに答えるように、尾を揺らすルシアの後ろではエンヴィーが諦めたように肩を竦めていた。

Rewrite 06.06.13