Another World  05

「輪切りはご免ですよ、お嬢さん?」

パタンと本を閉じ、コウはゆっくりと立ち上がる。
彼女の座っていたソファーは今やその中身をはみ出させ、銀色の壁が彼女を守るようにラストの爪を阻む。
ラストの攻撃を読んだコウが、瞬時にそれを錬成した結果だった。

「お嬢さん何て言う歳じゃないわね」
「それは失敬。ではお姉さんに変えておきましょうか」

名前を呼ばないのはラストから直接その名を聞いていないからだ。
紹介もされずに名を呼ぶのは失礼に値する…と言うのがコウの自論である。

「…動きは悪くないわね」
「光栄至り。で、他に調べたい事は?手短にお願いしますよ、時間が無いもんで」

両手を合わせてソファーを元通りに戻すと、コウはそれに腰掛けつつラストを見上げた。
自身の思惑を読み取ったコウの真っ直ぐな視線を受け、彼女はその眼差しにエンヴィーの言葉を思い出す。
確かに、一端の人間の弱さは見られない目。

「―――あなた、人を殺したことがあるの?」

エンヴィーは『話して突け』と言った。
しかし、どこを突けと言う助言は一切無い。
ラストはコウの目を見ているうちに浮かんだ質問をそのまま口にした。
それを受け、彼女は少しばかり眼を見開く。

「…ああ。自分の頭の中で…数え切れないほどにね」

自嘲ではなく、明らかに他者を嘲るような笑みを口元に浮かべ、コウはそう答えた。
隠すつもりが無かったのか、隠すという行為に意味を見出せなかったのか。
兎にも角にも、躊躇い無くそう答えた彼女と、そしてその眼を見てラストは確信する。
この人間は、限りなく自分達に近いところに居るのだと。
燃えるような赤髪とは対照的に、氷のような冷たい眼に見えたのは確かな焔。

「エンヴィーが気に入るのも無理は無いわね…」

小さく呟き、ラストは口元に笑みを零す。
自分でさえこうしてその眼を見て背筋が粟立ったのだ。
元来好戦的かつ、快楽主義者の彼からすれば、至極興味を惹かれる存在であっただろう。

「人間を手にかける覚悟はあるのかしら?」
「…別に構わないよ。俺に関するもんじゃなかったらな」

そうは言っているが、きっと彼女に関する者が目の前を塞ぐなら、彼女は迷う事無くそれを切り捨てるだろう。
先程のコウの冷たい眼は、それを感じさせるには十分すぎた。
偽りではないが、真実でもない彼女の返事にラストは口元を妖艶に歪める。

「ラストよ」
「EnvyにLustねぇ…。まぁ、酷く人間的な名前をお持ちのようで」
「ええ、そうね。愚かな人間の大罪…それが私達の名前よ」

あなたはどうかしら、とラストは問いかける。
そんな彼女の言葉にコウは笑みを深めるだけにとどまった。
どちらと返答するつもりは無いらしい。

「コウ・スフィリア。行くところもねぇし…これから世話になるよ」
「…歓迎するわ、コウ」

そう言うとラストはコウの隣に腰掛け、その頬をすいっと撫でる。
男であれば妖艶な女性にこのような行動を起こされればたちどころに堕ちるだろう。
しかし、ここで忘れてはならないのはコウの性別だ。

「悪いけど、お相手をするつもりはないよ。時間もねぇし」

すっと自身の手で彼女のそれを押しのけ、テーブルの上に乗せたままだった本を持ち上げる。
再びそれを開こうかと言う所で、ラストの声が届いた。

「……………あなた、不能なの?」
「失礼な。フェミニストなのは認めるけど、同性に手を出す趣味は無い」

淡々とそう答え、コウは分厚い本の表紙をめくる。
そして栞を元に先程読んでいたページを探り当て、再びその文脈を追う。
彼女の隣でラストは珍しくも、文字通り固まっていた。

「同性って………あなた、女だったの…?」
「へぇ、本気で気付いてなかったんだ。エンヴィーの方は手を握って気付いたけど…」

ラストの勘違いはコウが少し女性的な服装をするだけで十分に解決されるのだが、生憎彼女にそれを実行する意思はない。
コウは悪戯が成功した子供のように、くっと口角を持ち上げて見せた。

「こんな格好してるけど、間違いなく性別は女」

どうぞよろしく、と改めて自己を紹介するコウ。
彼女は悪戯にラストの手を持ち上げ、そして紳士の真似事のようにそこに唇を落とす。
尤も、彼女の場合はそれが様になるのだから咎める声を上げられないのが現実だ。

「………いっその事男の方がよかったかも知れないわね」
「…………………あぁ、俺も男に生まれたかったよ」

ふと、コウがまたあの眼を見せる。
それを見てラストは悟った。
その眼を見せる原因が、彼女の性別…そして男のように振舞うようになった原点にあるということを。

「男装の麗人ね。危うく騙されるところだったわ」
「しっかり騙されてたと思うけど?」

明らかに話を逸らすために用意された話題ではあったが、コウはラストのそれに乗る。
にっと笑みを深める彼女に、ラストは肩を竦めて立ち上がった。

「錬金術…?」

ひょいと山の上から一冊を持ち上げ、そこに書かれた『Alchemist』と言う単語を読み取る。
ラストの言葉にコウは顔を上げずに頷いた。
彼女の目は絶えず文を追い、ページは読み込んでいるとは言えない程度の速さで次のそれへとバトンを渡す。

「国家資格でも受けるのかしら」
「あぁ、多分な。エンヴィーが言ってたし…。国家錬金術師になったら色々と優遇されるんだろ?」
「最高級の応対が期待できると思うわ。軍からは、だけれど」

言葉を濁すと言うほどではないにせよ、彼女は本質を語っては居なかった。
軍の狗として戦争にまで借り出される。
大方、その事実を述べればコウが資格取得を断念するとでも考えたのだろう。
ラストの心配は無意味で、彼女はその事実を知った上で学んでいるのだとは知る由も無い事だ。
寧ろコウ自身は軍の後ろ盾があった方が世の中を上手く生きて行ける、そう考えていた。
ふと、コウはページにかけた指を止める。
中途半端に捲られたそれを見て、ラストが不思議そうな目を向けてきた。
そんな彼女を見上げてコウは問いかける。

「最年少で国家資格を取ったのって誰だっけ?」

的を射た質問ではなかった。
しかし、どう転んでもコウが知りたいと思う答えを得られる質問だ。
自身を怪しませず、かつ自身の欲する情報を受け取る。
世を渡るには必要不可欠な能力だ。

「さぁ…名前までは覚えていないけれど……確か、20歳の男の筈よ」

ラストが覚えていないと言う事は、実力的にはギリギリ合格した程度のものなのだろう。
コウはその返事を受けて「ありがとう」と何食わぬ笑顔を浮かべ、また本に視線を戻す。
彼女の答えから、自分の満足のいく答えを得る事ができた。
コウにとって必要であったのは、今は鋼の錬金術師が生まれた前なのか、後なのか。
最年少で国家資格を得た彼の名を答えぬ辺り、今現在は前者らしい。
何年前、と言う事は彼女には大した問題ではない。
どの道未来に飛べるわけでもないのだから、それさえ知れれば後はどうでもいいというのが本音のところだ。

「最年少が何か?」
「ん?いや…じゃあ、その記録を俺が塗り替える事になるなーって思っただけだよ」

忘れがちではあるが、この時コウはまだ年齢18歳。
日本で言うならば義務教育の次、高等学校を終えた所だ。
今の最年少が20歳だと言うならば、当然それを塗り替える事になる。
しかし―――

「大した自信ね。名立たる錬金術師でも合格は難しいのよ?」
「まぁね。これ読んでる感じでは問題なさそうだ」

謙遜、と言う言葉はコウの辞書に載っていることは載っているが、使われる事はまず無い。
この態度が嫌味に思えないのは、彼女が彼女ゆえの事なのだろう。
ラストは肩を竦めてそのまま出口へと歩き出す。
丁度、エンヴィーが帰ったのか階下から玄関の蝶番が上げる悲鳴が聞こえてきた。

「今度他の仲間も会わせてあげるわ」
「ん。じゃあな」

背中越しに軽く手を上げるだけで、コウはラストを見送るつもりなど全くないらしい。
短い時間ではあったが、コウ・スフィリアと言う人間を知ることが出来た事に、ラストは満足げに笑む。
これからが楽しみだ。
そんな思いを胸に、扉を閉ざす。

Rewrite 06.06.01