Another World 04
本来ならば有り得ないほどの早さでの自己再生。
自身の細胞が動き、それを修復していくのを本能的な何かで感じとる。
有り得ない事が、目の前で起こった。
「ここまでとは…いよいよ化け物並みだな」
彼女がそう呟いて自嘲の笑みを浮かべるのには訳がある。
元居た世界でも、彼女は自身の自己治癒能力の高さを感じていた。
喧嘩が多かった彼女は当然の事ながら毎度無傷と言うわけには行かない。
時には刃物まで持ち出す輩も居て、打撲切り傷は慣れたもの。
しかし、そんな怪我は全てその翌日には消えていたのだ。
傷跡さえ残さず、まるで初めから怪我など無かったかのように。
流石に人的に可笑しいと判断したコウは包帯を巻くなどして上手くカモフラージュしていた為、誰にも気付かれた事は無い。
「割れた窓の前で何やってんの?」
背後の気配は、本当に突然現れた。
ビクリと肩を揺らして振り向いたコウを、呆れた表情のエンヴィーが見つめる。
彼は目敏くも、彼女の足元に滴った血痕に気付いた。
「怪我したの?」
僅かに眉を寄せるその姿は、自分が想像していたものとは違う。
冷酷で人が傷つく事など省みないと言うのが彼の人物像だった。
驚かされることは山積みだな、と心中で苦笑を浮かべ、見える表情には曖昧な笑みを零す。
「さぁ」
「“さぁ”って…血が出てるじゃん」
そう言って彼はコウの腕を取る。
しかし、先程瞬く間に治ってしまった傷跡が今になって浮かび上がるはずもなく。
ただ、僅かに血の通った跡だけを残し、彼女の肌は肌理細やかなそれを晒していた。
「…?」
明らかに流血した跡はあるのに、肝心の傷口が見当たらない。
何とも不可思議な状況にエンヴィーはコウの腕を持ち上げたまま首を傾げた。
色々な憶測が脳内を飛び交う中、最終的に残ったものは一つ。
「…ちょっと腕借りるよ」
「何を…っ」
理由を聞こうとした言葉は最後まで紡がれる事なく、苦痛の声へと成り代わる。
窓ガラスの破片を拾い上げたエンヴィーは彼女が止める間もなく、その腕に先端を滑らせた。
薄く引かれた傷は、それだけで赤い筋を残す。
「何すんだよっ!」
そう言って見られる前にその腕を引こうと試みるが、男女の差だけでなく彼はホムンクルス。
突発的な力が増幅されていると感じるものの、普段の腕力が彼に勝ることはない。
やや力を篭められただけで、腕はピクリとも動かなくなった。
「…ホント、面白いね…」
流れていた血が止まり、その傷口が音も無く閉じる。
それが完全に消え去った頃、彼は口角を持ち上げて呟いた。
血を拭う様に親指を動かせば、擦れた赤が彼女の白い肌に掠れた筋を残す。
親指に舌を這わせながら、彼は漸くコウの腕を解放した。
「俺達と同じ?」
「…人間をやめた覚えはない」
「なら、考えられないくらいに治りが早いのはどう説明するのさ」
認めないコウの反応すら心地よいとばかりに彼は笑う。
そんな笑顔が憎らしいと感じたのは、明らかな身体変化に心がついて行かない所為だろう。
「ま、別にコウが人間であろうと無かろうと、関係ないよ」
大した問題でもないし、と彼は言う。
そしてソファーの前に積んであった本の山を指し、そこへの移動を促す。
「関係ないって…」
「死なないなら、結構色んな事任せられるでしょ。寧ろいいんじゃない?」
本当に何でも無い事の様に話す彼に、コウは呆気に取られた。
確かに彼の視点から見てみれば、自己治癒力が高い…つまりは死なないと言う事は便利だ。
「気にしなくていいよ、コウ。これからあんたの仲間になる奴らは、皆化け物だから」
「な…んで…」
「“ここまでとは…いよいよ化け物並みだな。”」
自身の考えを正確に読み取ったエンヴィーに、コウは驚きを隠さずに目を見開く。
そんな彼女を見ながら彼は口角を持ち上げ、覚えのある言葉を吐き出した。
「それ…」
「聞いてたよ。気付いてなかったみたいだけどね」
その言葉を聴いていたというならば、確かにコウの考えている事がわかっても可笑しくはない。
あの時の彼女は、自嘲の中に悲しみを含ませていたから。
「………さんきゅ」
小さく呟いた声は、それでも彼の耳には届いていた。
「で、ご所望の30プラス30で計60冊。流石にそれ以上は読めないかと思って持ってきてないけど」
目の前にずんと積まれたそれは、一冊だけでも結構な分厚さだ。
そんな中にこれは薄いな、と思える本を見つけ、それを開いてみる。
薄い代わりに、かなり小さい文字が三段構成で書き連ねられていた。
「…ご苦労さん」
「ご苦労なのはコウだろうね。これ、三日後の昼までに読んでよ」
「は?」
「丁度、三日後が国家錬金術師の資格取得試験申し込みの締め切り」
雑談を交わすように吐き出された言葉は、コウにとっては聞き慣れないもの。
尤も、聴覚的には慣れずとも視覚的には幾度と無く目にしたが。
「国家資格…?」
「そ。この国ではそれがあると色々と優遇されるからね。問答無用で取って貰うよ」
「…自分勝手な奴」
そう言って溜め息混じりに肩を竦め、手近の本に手を伸ばす。
手首だけで拾い上げようとしたそれは思いのほか重く、仕方なくもう片方をそれに添えて引き寄せた。
活字に視線を落とし、コウは口を開く。
「流石にこの量だと拾い読みするしかないな…」
「読めないの?」
「細部までは無理。この半分なら…まぁ、8割は暗記できるけどな」
流石に60冊を三日で一字一句間違えずに暗記、と言うのは無理だ。
並以上の頭脳を持っているとは言え、時間的な壁にぶち当たる。
エンヴィーと言葉を交わす間にも、彼女はペラペラとページをめくる。
左から右へ、目線が移動する。
それを見ていれば、全てを読み取ってはいなくてもその場凌ぎに読んでいるのではない事がわかった。
すでに意味ある文脈を拾い上げる作業に集中しだした彼女を見て、エンヴィーは内心口笛を吹く。
度胸、思考回転の早さ、そしてこの集中力。
舌を巻くには十分すぎる人材だった。
暫く彼女を見ていたエンヴィーだが、二冊目を手に取ったところで彼はそっと席を立つ。
「どこに行くつもりなの?」
「何だ、ラストか。仕事は?」
廊下を歩いていたエンヴィーは背後からの声に振り向く。
そこには腕を組み、笑みを消した同胞…ラストの姿があった。
彼女がハイヒールをカツンと鳴らしつつ彼の前まで歩む。
「どう言うつもり?人間を連れてくるなんて」
「あぁ、コウの事?何か気に入っちゃったんだよね。役に立ちそうだし、別にいいじゃん」
軽い調子でそう言ったエンヴィーに対し、ラストの鋭い眼光が彼に向けられる。
だが、そんなものに怯えるような繊細な神経を持っているはずが無い。
「人間も殺せないような優男、どうしようって言うの」
「…は!おばはんも随分と耄碌してんじゃん。コウのどこが人間も殺せないって?」
彼女の一言に、エンヴィーは先程までの陽気な笑みを闇のそれへと摩り替えて鼻で笑う。
そして、挑発めいた表情でそう言った。
「コウは人間よりも俺達に近いよ。あの眼は、その気になればいつでも引き金を引ける」
それも躊躇わずにね。
迷い無くそう言ったエンヴィーに、ラストは珍しく驚いたように軽く目を見張った。
彼がこうして過大評価することは本当に稀なことだ。
「そんなに気になるなら、コウと話してちょっと突いてみなよ。すぐに見れるよ」
そう言うと彼はそれ以上話す事など無いとばかりにラストに背を向ける。
彼女は去っていく背中を見つめ、溜め息を零した。
「話して…ね」
エンヴィーが姿を消すと、ラストは彼が歩いてきた方を振り向いた。
扉を薄く開いたままの部屋は、室内から帯状の明かりを廊下に落としている。
足音を忍ばせる事無く扉へと近づき、彼女は静かにそれを開いた。
隙間から身体を室内へと滑り込ませると、こちらに背を向ける形でソファーに座るコウが映る。
真っ赤な髪を背中に流す彼女の向こうには数えるのも億劫になるような本の山。
集中しているのか、ページをめくる音以外にコウが何かの音を立てる事は無い。
今度は足音を潜め、ラストはその背中に歩み寄る。
持ち上げた手が鋭利な爪を生み出し、徐々にそれを長くしていった。
ラストは引いた腕をそのまま水平になぎ払う。
途中、彼女の腕は確かにコウの首を通っていた。
Rewrite 06.05.29