Another World 03
「エンヴィー」
「ん?」
「何、これは」
じろりと睨みつけられるその眼差しには慣れている。
だが、ここまで美人に睨みつけられたのは初めてだな…とどこか人事のような感想。
飄々としたコウの様子はより一層女性の眉間の皺を深くした。
『美人が台無しですよ』と言おうかと思ったが、それは逆効果だろうと思いとどまる。
女性の言葉に、エンヴィーはニッと口角を持ち上げた。
「優秀な人柱候補。面白いから連れ帰ってみた」
「人柱…?」
『コレが?』とでも言いたげな視線だ。
随分と失礼だな、と思いつつも、コウはほんの少しだけ表情を崩して肩を竦める。
肯定も否定も、自分では難しい。
何しろ、今日初めてこの世界の地を踏んだわけだから…比較するべき常識と言う名の物が彼女には欠けているのだ。
「錬金術が使えるの?」
「…残念ながら、あなた方が望んでいるほど使えるかはわかりませんがね」
一応は、とコウは答える。
彼女の動作一つ一つはどこか洗練されていて、素直に目を奪われるもの。
一瞬目を見開く女性に、ここでも有効なんだなと内心口角を持ち上げた。
世渡りには、この特技はもってこいなのだから。
痛いほどの彼女からの視線を感じつつ、コウはその両手を合わせる。
循環させた力を解き放つかのように草臥れた部屋の壁にそれを触れさせた。
「まぁ、この程度は簡単ですね」
真新しくと言うわけではないが、少なくとも人に見せても恥ずかしくない程度に生まれ変わった室内。
壊れた天井や崩れた家具が、一瞬の錬成反応の後に本来の姿を取り戻した。
そんな壁の一角に凭れ、コウはにやりと笑う。
「…大した術者ね。錬成陣無しって事は…」
「見たらしいよ」
「…態々門を開けるような馬鹿げた人間には見えないけれど…見かけによらない性格なのかしら?」
彼女の視線が彷徨い、再びコウへと戻ってくる。
門を開けるために必要なのは、人体錬成。
それを行おうとする人間はよほど研究に溺れた者、もしくは大切すぎる人を喪った者。
目の前で赤髪を揺らし、余裕すら見えるこの人間には、そのどれも当てはまらないように思える。
彼女の視線の真意を悟ったのか、エンヴィーが口を挟んだ。
「俺も同感だけど、わからないってさ。今は聞いても無駄でしょ」
「…まぁ、いいわ。ちゃんと自分で処理しなさいよ。錬金術の使える人間が内側にいるのも悪くは無いし」
それに…と呟き、女性はコウの前に立った。
ぐっと寄せられた妖艶な視線が真正面から彼女を射抜く。
厚みのある、形良い唇がゆっくりと開かれた。
「随分男前のようだし…ね」
クスリと笑い声を残し、彼女は自身の身を引いた。
そして出掛けるわと言い残して部屋を出て行く。
彼女の行動に固まっていたコウだが、その背を見送って一言。
「あんな美人に口説かれたのは初めてだな…」
「美人以外ならあるんだ?」
エンヴィーの呆れの含まれた問いかけに、コウは当然と答えた。
この容姿を低く見ているつもりは無い。
自分自身も素直に自信があると言い切れるものなのだ。
「日常茶飯事だ」
そう答えたコウは、同じ女性に口説かれる、と言うこと自体を誇りにすら思っているような印象を与える。
エンヴィーの常識では括れない人物が、今彼の目の前に居た。
「…苦労せずに済みそうだね」
「あぁ、お互いに…な」
ふと笑みを零す表情を―――人間を、初めて綺麗だと感じた瞬間だった。
「ねぇ、コウって頭いい?」
「平均よりいいと思ってるよ」
「ふぅん…なら、その歳でも十分軍に入れるかな。ラースに話をしておくから、今度試験受けてもらうよ」
「試験、ねぇ。んじゃ、それに受かるために頼んでもいいか?」
先程自分が錬成しなおしたソファーに深く腰掛け、ふんぞり返っていると取れる姿勢でコウは言う。
明らかに人に物を頼む態度ではないが、それがまたエンヴィーの興味を掻き立てた。
面白い拾い物をした。
そんな考えが口元の笑みと共に彼の内で鎌首を擡げる。
「いいよ。何でも」
「この世界に関する常識、及びその知識が書かれてる本。それから、錬金術に関する本。
どっちも……そうだな、両方30冊は用意して欲しい」
「レベルは?」
「一番高いの」
「…研究者か国家錬金術師くらいしか読めないよ、錬金術に関する本の最高レベルは」
一般人には、それこそ暗号が書き記されているように感じるだろう。
それを読み、尚且つ理解できる人間は、それこそ自分達の探す人柱候補。
その中でも一際それに近いと言われている数名だけだ。
だが、そう言った所で怖気づくようなコウじゃない。
「いいねぇ。難しい本は好きだな。読み甲斐があるのを期待してるよ」
「その言葉、泣き言にならないといいけどね」
エンヴィーの憎まれ口に対しても、コウは笑顔を返す。
「生憎、生まれて18年泣き言なんざ世話になってないもんでね。期待してろよ。全部理解してやるから」
そう言った彼女の笑みに頼もしさを感じるのは、恐らく自分だけではない。
彼女自身の持つ独特の空気は不可能を可能にするような…そんな不可思議で、けれども否定しがたいそれ。
悪くない。
素直に、そう感じた。
自然と持ち上がる口角に、エンヴィーはもう一度思う。
――暫くは退屈せずに済みそうだね。
一人の人間が、これほどに面白いと感じるとは…。
馬鹿ばかりだと思っていたが、意外と掘り出し物も居るものだ。
今までの数百年、もっと早くに彼女のような人間に出逢えていたならば…そう考えてしまう自分。
「悪くない」
呟いた言葉に、コウが不思議そうな視線を投げてくる。
だが、その内容は聞き取られていないらしく、彼女の興味はすぐに別のものへと移された。
本を用意するから部屋を出るな。
そう言われ、コウは一人この部屋に残された。
目ぼしいものは特に何も無い、ただ所々に質素な家具が置かれているだけのこじんまりとした一室。
キョロキョロと見回したところで大して興味を惹いてくれるような物は無く、逆に飽きがまわる。
外見はすでに使われていない古びたアパート。
この部屋に来るまでに数個別の部屋を見つけたが、どれも廃れた部屋への入り口を開いているだけだった。
「どの辺に位置してんだろ…」
ふと浮かんだ疑問。
地理的目印を目にした所で地名などわからないのだが、それくらいしか考える事は無い。
よっと反動をつけてソファーから立つと、彼女は唯一の窓へと歩いていく。
部屋に踏み入れたばかりの時には蜘蛛の巣状にひび割れていた窓ガラスは、彼女の手によって本来の姿を取り戻している。
ガラスに映った自身の赤髪をぼんやりと見つめたコウだが、ハッと我に返るとそれを開いた。
キィ…と立て付けの悪さを物語る音と共に、それはゆっくりと開かれる。
そこから顔を覗かせたコウだが…。
「わかるわけないか」
結局のところ、どの看板や建物を見たところで、やはり自分の知っているものなど何一つ無い。
未知の世界だと言う事を改めて感じるだけに終わった。
その時、窓から顔を覗かせる時に僅かに体重を預けていた窓枠がギシリと悲鳴を上げる。
まずいと思った瞬間には、窓枠が彼女の手の中で砕けた。
錬金術で綺麗に修復されたのは外見だけで、その木の傷みまで直せてはいない。
振動にあわせ、窓ガラスまでもがピシリと亀裂を走らせる。
それが砕け散るまでにさほど時間は必要なかった。
「っ痛…」
身を引いたおかげで身体がガラスに刻まれると言う事態だけは避けられた。
しかし、それでも腕を薄く走る一筋の傷。
避けきれなかったガラスが彼女の肌を切り裂いたようだ。
じわりと滲んだ血が、やがて腕を伝ってぽたりと床に落ちる。
深くは無いが、無血でという訳にはいかなかったらしい。
「ドジしたなぁ」
そう呟き、腕を持ち上げて垂れた血を舐め取る。
傷の上を舌が這った時には流石に鋭く小さな痛みを感じたが、耐えられないという事は無い。
だが、驚いたのはここからだ。
まず、痛みが消えた。
それを不思議に思ったコウが傷の出来た部分を指で擦る。
しかし、そこにあるべきものは無かった。
「…傷が癒えてる…?」
Rewrite 06.05.23