Another World  02

不審者扱いされない場所に送り届けてくれたのは実に有難い事だ。
そう思うしか、現状の悪さを誤魔化す手立てはなかった。
新たな世界に土地勘などある筈もないコウにとっては、どこに飛ばされようが大きな差はない。
そう高を括っていたのだが…やはり、その場に居る人物はある程度常識の通用する人間が良かったと思うのは人の性。

「あんたさぁ…いい加減何か喋ったらどう?」

喋ったら喋ったで命の危険を感じるのは、きっと自分の所為ではない。






この場所に落とされたのはほんの数分前。
どれほど短く感じていたとしても、数十分経っていると言う事はまずないだろう。
空を彩るのは深い闇に散りばめられた星々のみ。
見下ろす月に足元を照らされつつ、コウはその場に居た。

「ここはどこだ」

誰かに問うわけではないその言葉は、決して確認のように語尾を持ち上げられたりはしない。
きょろ…と周りを見回しても、当然の事ながら見覚えのあるものなど一つも無い。
ここは、自分の知る街…いや、世界ではなかった。

「セントラル…ね」

カツンと靴の爪先に当たったもの。
昔は道の案内板としての役割を果たしていたであろう、すでにボロボロの鉄版。
そこに書かれた地名を呟き、コウはこれが現実なのだと悟る。

「さて…これからどうしようかな」

とりあえず、行き倒れるわけには行かない。
折角新天地へと足を踏み入れたのだから、大いに楽しまなければ損だ。
そんなモットーの元、彼女は『これから』について考える。

「ま、歩いてみるか」

いつまでも裏路地に居座るには治安にやや不安を感じるところだ。
相手が前科何犯という凶悪犯罪者でもない限り、自分自身を守り抜くだけの自信はある。
凭れさせていた背中を壁から離し、コウは歩き出した。
一つ目の角を曲がったと同時に、彼女の歯車は動き出す。















思わず見知った相手の名前を呟いてしまったのがいけなかった。
見知った、と言ってもそれは自分が一方的に知っているだけなのだから、相手が不審がるのも当然。
ぴったりと首筋に添えられているナイフは月明かりを綺麗に反射させている。

「ねぇ。その口は飾り?何も言わずに死にたいって言うなら別に構わないけどね」

そんな相手の言葉と共に、刃先がより一層首に近づけられる。
一筋の傷が入ったのだろう。
首筋を流れる感覚と、ピリッとした鋭く小さな痛み。

「あーっと…ごめん」
「は?何言っ……っ!?」

ふと視線を持ち上げ、溜め息混じりに謝罪の言葉を口にしたコウに対して相手が首を傾げる。
同時に、相手の鳩尾に深く拳が叩き込まれる。
息も出来ないほどの衝撃は、ここ何年と感じていないほど強い。
思わず腰を折った相手に対して、コウは真上から首の後ろに向けて肘を振り下ろす。
第二撃もしっかりと決め、いつの間にか宙を舞っていたナイフをパシッと自身の手に納めた。

「とりあえず、このまま殺されるわけには行かねぇんだよ」

くるくると手の中でナイフを回しながら、コウは肩を竦めた。
漸く呼吸を整えた目の前の彼はぎろりと彼女を睨みつける。

「あ、んた…何者!?」
「ごく普通の一般人よりも少しばかり喧嘩慣れしてるただの人間」

自己を紹介するには随分と長ったらしい文句を紡ぐ。
これだけ目立つ容姿をしていれば絡まれることもそう少なくは無い。
当然の事ながら、自分を守れるのは自分だけ。
自然と喧嘩に慣れて来るのも、決して無理は無い話だ。

「意外…エンヴィーってもっと喧嘩に強いイメージだったけど…」
「だから…何で俺の事知ってんの?」

呟いた言葉もしっかりと拾い上げられていて、ただでさえ悪かった彼の機嫌は最高潮へと達する。
最早笑顔ではないだろうと言いたくなるような笑みを浮かべ、彼は一歩ずつコウに近づいた。

「ピンチ…かも」

流石に行き成り殴ったのはまずかったか。
そんな事を考えている辺り随分余裕のようにも思える。
そうしている間にも、二人の距離はどんどん狭くなっていて…今では手を伸ばせば、届きそうな距離。
本格的に身の危険を感じたコウは、咄嗟にナイフを口で咥えて両手を合わせた。
パンッと言う乾いた音の後、自身のすぐ右にあった壁にそれを触れさせる。
彼と彼女を隔てるかのように、壁が飛び出した。

「錬成陣無しの錬金術…!」

驚いたような彼の声が聞こえる中、コウは即席の壁にくるりと背中を向けて走り出す。
三十六計逃げるに如かず。
脱兎の如く、コウはその場から駆け出した。
















予想以上に逃げ回れた。
だが、まぁ結果は想像通りの展開。

「散々走り回らせて…っ」

息切れしている彼、と言うのも中々面白い光景だと思える自分は大物だ。
すでに逃げるつもりも無く、コウは裏路地に放置された大きな木箱の上に腰を下ろし、悪戯に足を揺らす。

「コウ」
「は?」
「俺の名前だよ。コウ・スフィリア」

知りたかったんじゃねぇの?と挑発めいた笑みと共に首を傾げてみせる。
それは思わず毒気を抜かれてしまうような、そんな笑顔だった。

「あぁ、そう…コウね。で、何者?」
「だから―――」
「ごく普通の一般人よりも少しばかり喧嘩慣れしてるただの人間ってのは無し」

先程コウが吐いたセリフを一字一句間違えずに告げる彼に、コウはきょとんと目を見開く。
警戒した様子も無く隣の木箱へと音もなく座り、彼女に視線を向ける。
それ以上の問いかけは無く、彼は返事を待っているようだった。

「…よく、わからない。そう言うしかないな」

異世界の人間だと行き成り言ったところで信じてはもらえないだろう。
仮に信じたとしても、その後に不安因子が残る。
実験室送り、と言うのだけは是非とも避けたい。

「記憶喪失?見たところ、特に精神異常者には見えないし…」
「ま、そんな所じゃねぇの?」

この場は適当に話を合わせておくというのがコウの結論のようだ。
極力、彼の興味を引かないような言葉を選び、答える。
そんな遣り取りを数回繰り返すと、彼はいよいよ核心を突いてきた。

「錬成陣なしに錬金術が使えるみたいだね」
「ああ」
「見たの?」
「…ああ」

少し躊躇ったのは、彼の眼がまるで獲物を見るようなそれに変わったから。
だが、ここで沈黙を貫く事は出来ない。
そうわかっているコウは、静かに頷いた。

「ふぅん…錬成を見た感じ、早くて精確だし…優秀な人間だね」

にっと持ち上がる口角に、コウは自分の運命を垣間見た。
結局、どう受け答えした所で彼に連れて行かれるという事は変わらないらしい。

「一緒に来てもらおうか。あぁ、俺はエンヴィー」

知ってるみたいだけどね、と軽い足取りで地面へと降り立ち、コウに向かって手を差し出す。
促すような行動ではなく、寧ろ強要されているように感じるのは錯覚と言う有難い代物ではないだろう。
溜め息と共に、コウは自身の手をそれに重ね合わせた。

「ま、行く宛てもないし…世話になるよ」
「………なーんだ。男かと思ってたけど…女なんだ」

不意に、重ねられた手を見下ろしてエンヴィーが呟く。
驚いたのはコウだ。
服装的に決して女性に見えるようなそれではないし、顔立ちも綺麗ではあるが女性と断言できるほど女らしいものではない。
一見しただけで気付いたわけではないが、自分の口から言わずに気付かれるのはかなり稀な事。
そんな彼女の心中を悟ったのか、エンヴィーは笑う。

「男と女って、結構手が違うんだよね。握れば性別くらいわかるよ」

彼の得意げな言葉に、伊達に長生きはしてないんだなと思う。
それを口に出す事は無かったが。

「ま、これから宜しくね。コウ。悪いようにはしないから安心しなよ」
「是非ともそう願うよ。………宜しく」

この世界で一番に出逢ったのが彼だと言うことが…自分にとって吉と出るか凶と出るか…。
まだ、どちらと判断は出来そうにない。

Rewrite 06.05.22