Another World  01

日の光を浴びて、鏡の中の赤が綺麗に煌く。

髪を真っ赤に染めたのは、対抗心からだったように思う。
いつしかそれが自分の色になって…周りも、それを否定は出来なくなった。
教師もすでに諦めて―――いや、諦めざるを得なかった。
それほどに、彼女は全ての声を押し止めるだけの頭脳を持ち合わせていたから。




「…いよいよ卒業か…」

壁に貼り付けられたカレンダーの日付は、すでに陽気の差し込む時期のものだ。
自身の赤い髪を軽く指で梳くと、それはサラリと背中に流れた。
肩甲骨辺りまであるそれは、自身の制服の上着に良く映える。
さぞかし目立つだろうな…と、顔を青くする教師を想像してクスクスと喉元で笑った。

「さて、と。そろそろ行くかな」

そう呟き、答えが返って来ることのない部屋の中をぐるりと見回す。
使い慣れた自分の部屋。
白いシーツの乱れたベッドの枕元に転がっている本は、彼女が東国への留学の際に気に入ってきたものだ。
その時に発売されていた分全てを買い込み、今後の発売分に関してはこちらに届けるようにと手配済み。
発売から数週間は遅れることになるが…まぁ、遥々海を渡ってくるのだから仕方がないだろう。
手に入るだけでも満足だ、と彼女は言う。
ふと、動かしていた足を壁に沿って置かれたサイドボードのところで止めた。
その上には、彼女の手よりも少し大きいサイズの手帳と綺麗な装飾の指輪、そして一つの写真立てが置かれている。
手帳を内ポケットに押し込み、彼女は写真立てに映る人物を指で撫でた。

「行って来るよ、父さん」

呟いた声には、愛しさが込められていた。
写真に背中を見送られ、彼女は自身の部屋を後にする。
そう、いつもと変わらぬ日常が始まるはずだった。
















「…へぇ、死んでないんだ」

第一声はこれだ。
彼女…コウ・スフィリアは自嘲の笑みを浮かべて、五体満足である自身の身体を見下ろす。
あの時、確かに暴走車が自分に向かってきて、そのヘッドライトが己の目を刺激した。
明らかに避けられる距離でも速度でもなく…本当に、『死』を覚悟したのだ。
それなのに、走るはずの衝撃もなく、痛覚もこれと言った苦痛を与えはしない。
寧ろ健康体そのものである自身に、コウは首を傾げた。

「でもまぁ…頭は打ったらしいな」

重症だ、と彼女は呟く。
その言葉の理由は、今現在彼女の目の前に見えている…所謂、門にあった。
見覚えはある。
しかし、あまりにも非現実的なそれを受け入れられるほど、妄想壁は激しくはなかったはずだ。
少なくとも、今この時までは。

「やっぱ、夢…もしくは痛みもなく一瞬で死んだって所か」

やはり現実と結論付けるには色々と無理が多い。
一旦落ち着いてみるか、と冷静すぎる思考を閉ざすべく、まずはその視界を閉じる。
それが聞こえてきたのは、その矢先の事だった。










『頭の整理は終わったか?』
「第三者の声まで聞こえるとは…重症だな」

そうは言いながらも、コウはゆっくりと振り向く。
開かれた彼女の視界に入るのは声を発した人…ではなく、人の形に光る何かだった。

「…この門と言い、奇妙な発光体と言い…俺の妄想も立派になったもんだな」

有難くはない事実だが、と溜め息を吐く。
そんな彼女の反応に彼女曰く『発光体』はにぃっと口角を持ち上げた。
歯の形まで再現されている辺り、中々手の混んだ妄想だ。

『いいねぇ、その威勢の良さ。歓迎するぜ』
「されても嬉しくねぇよ。………で、あんたは本物なわけ?」

一番気になっている事を単刀直入に尋ねるコウ。
歯に衣着せぬ辺りは、まったくもって彼女らしい。
愉快に笑う発光体に対し、コウは自身の目を細めた。

『何なら頬でも抓ってみたらどうだ?』
「あぁ、そうだな」

そう言うと、コウはスタスタと門の方へと歩いていく。
そして、軽く腕を引くと、自身の拳を力の限りその門へと叩き付けた。
鈍い音に誘われるように拳から伝わってくる鈍痛。
呻くコウの背中に楽しげな笑い声が届いた。

『理解したか?』
「ま、少なくとも俺の痛覚が正常だって事はな」

じんじんと痛む手を振りながら彼女はまた同じ位置へと戻った。
とは言っても、白い空間では同じ位置なのかはわからないのであくまで『同じくらいの』だが。

『しかし…お前も奇異な奴だなぁ』
「は?何だよ、それ」
『まぁ、いい。本題に入るぞ』
「聞けよ」
『これからお前に真理を見せてやろう。“約束”だからな』

再びあの厭らしい笑みを浮かべる発光体に対し、コウはくっとその口角を持ち上げる。
見惚れるような笑みを浮かべ、一言。

「断る」
『突飛な感想を期待してるぜ』

じゃあ、行って来い。それがそう言うと同時に、彼女が背中を向けていた門が音を立てて開く。
そこから飛び出してくる、無数の黒い何か。
首だけ振り向かせた視界の端にそれを見止めるなり、彼女はダンッと白い地面を蹴った。
気がつけば、自分は発光体の向こうに門を見ている。
どこか悔しそうな様子すら窺える黒いそれらは、閉じてゆく門に挟まれないようにとそれを内側に引っ込めて入った。

『…予想以上に速いな』
「あぁ、自分でも驚いてるよ」

これがあれば世界も目指せたかな、とどうでもいい事を呟いてみる。
それほど強い力で蹴り込んだつもりはなかったのだが…これが。火事場の馬鹿力と言う奴なのだろうか。
ぐっと足元を押してみるが、いつもと何ら変わらないように思えるのに。

『何で逃げる』
「馬鹿高い通行料を払ってまで見る得はないように思えるんでね」
『あぁ、それなら要らねぇよ。もう貰ってる』
「…また訳のわからん事を…」

頭を抱えたい心境を何とか堪え、コウは発光体に向き直った。
こうしていても時間の浪費だ、と言う覚悟と共に。

「通行料、いらねぇんだな?」
『二言はない』
「んじゃ、見るから開けてくれ」

いいんだな、と言う確認の声に、聞くくらいなら見せるなと返す。
どの道見なければ話を進めるつもりなどないくせに…そんなことを思いながら開き行く門を見つめた。
ゆったりと足を進めて近づけば、伸びてきた黒いそれが今度こそコウの身体をしっかりと捕らえる。
そして、重力など感じさせないように軽がるとそれを持ち上げ、彼女は門の内に引きずり込まれていく。
目まぐるしく行き交う情報に、これは確かに辛い…とどこか人事のような感想を抱いた。















突然、まるで要らないものを吐き出すかのように白い空間に放り出された。
随分ぞんざいな扱いだ、と眉を寄せるも、目の前のそれにその言葉は飲み込まれる。
にたりと笑ったそれが『感想は?』と問いかけた。

「可もなく不可もなく。敢えて言うなら、もう少し時間をかけてほしいな」

情報過多で脳内混乱状態、と溜め息を吐き出す。
コウの頭脳を以ってしてそうなのだから、一端の人間が壊れるのも無理はない。
下手をすれば廃人、と言う『彼』の言葉もあながち間違いではないなと思った。

「解せないな。何で俺に真理を見せた?」
『それが“約束”。またの名を“等価交換”だ』
「…要するに、理解させようって気はねぇんだな」

それ以上の問答は無意味と判断したコウ。
話がこれからの事に運ばれるのは、ごく自然のことだ。

『これから、お前も知っている世界に送ってやる』
「…ご親切にどうも。一つだけ聞かせてもらいたい」

そう切り出せば、沈黙と共にそれの視線と思しきものがコウを見る。
それを了承と受け取り、彼女は口を開いた。

「元の世界の俺はどうなってる?」
『死んだ』
「…なるほどな。じゃあ、何の未練も必要ない…か」

自嘲の笑みが零れるのは仕方のないことだろう。
だが、そのきっぱりした回答のおかげで諦めも付くと言うものだ。
幸いな事に、元の世界への未練は当の昔に失っている。
新たな世界に足を踏み入れるのも悪くはないだろう。

「何を望んでんのかは知らねぇけど…ま、精々楽しませてもらうよ」
『活躍を期待してるぜ、無名の錬金術師』

持ち上げられた口角に、肩を竦めたところまでは覚えていた。
それ以降、意識はまるで垂直落下でも行っているかのように深く沈む。
慣れた胸ポケットの固い感触が不安を拭い去ってくれる事に、心の中で小さく感謝しながら。

Rewrite 06.05.21