Raison d'etre sc.067
事後処理に零番隊からも何名か人員を回し、執務室は静寂に包まれている。
そんな中、紅は怪我を理由に執務室を出る事を部下に拒まれ、雑務をこなしていた。
ここ数日何度となく一護と手合わせをしているのだが、流石にばれると怒られるのでそれは二人だけの秘密。
「隊長。総隊長がお呼びですが…」
どうしますか?と部屋に入ってきた芦崎が問いかける。
彼は副隊長代理としての任を全うしていた。
書類の処理を進めつつ彼女の答えを待つという効率の良さは、元来の事務能力の高さを感じさせる。
霧渡はどちらかと言うと実践派だったな、と思い出し、紅はクスリと笑った。
そして自身の署名が必要な箇所に『雪耶紅』と書き記し、カタリと椅子を立つ。
「行くわ」
「わかりました。俺はどうしましょう?」
「好きにしてて。私一人で行って来るから」
お呼びじゃないんでしょうと問いかければ短い肯定の返事が耳に届く。
彼女は白い羽織を整え、部屋を後にした。
すでに慣れてしまった執務室前の廊下を歩きながらふと窓の外に視線を向ける。
澄んだ青空が広がっていて、今日の天候の爽やかさを示していた。
「…ずっと、この時が続けばいいのにね…」
小さな呟きは自嘲を秘めていて、浮かぶのはどうしようもないと言う笑み。
この一瞬を止める事など出来る筈がない。
そうあって欲しいと、願うだけ無駄なのだ。
馬鹿みたい、とまた小さく呟いて、三叉路になっているところを右へと折れる。
この道を果てまで進んだ所が総隊長の待つ部屋だ。
失礼しますと言う言葉の後に大きな扉を潜る。
前に潜ったのは―――そう。一護たち旅禍の今後についての話し合いの時だ。
あの時は本当に緊張したな…と、同じ門を潜りながら紅は内心苦笑を浮かべた。
「待っておったぞ、雪耶」
椅子に腰掛ける総隊長に「遅くなりました」と返す。
彼の傍らには、いつもある筈の一番隊副隊長の姿はない。
恐らく総隊長に、紅と一対一の話し合いの席を設ける意図があったからだろう。
用意された椅子に腰掛けるように促され、彼女は彼と向かい合う席に腰を下ろす。
「…瑣迅についてはどこまで知っておる?」
「………恐らく、その殆どは。霽月から聞きました」
「霽月…瑣迅の斬魄刀じゃったな。おぬしに転為術で魂を移す際に移動したと見える」
総隊長は細めた目で紅の腰に挿された斬魄刀らを見つめた。
どこか懐かしむような眼差しに感じたのは、彼女の気のせいではないだろう。
「深月は瑣迅の妻、天狼は一番初めに転為術を試みた瑣迅の弟のものであったな」
「…総隊長はどこまでご存知なのです?」
「又聞きの知識をそれと呼ぶならば、大凡は知っておる」
彼の言葉に紅は「そうですか」と視線を下げた。
視界に入り込んだ三本のそれを腰から抜き取り、腕に抱く。
「大切かの?」
「ええ。今は亡き私の親族の忘れ形見です」
柔らかく微笑んでそう答えれば、総隊長はいつもの威厳ある表情ではなく優しい表情を浮かべていた。
それに驚く彼女を他所に、彼は「旅禍の事じゃが…」と話を摩り替える。
「明日、穿界門を開く事となった。彼らにはすでに伝えてある」
「…そう、ですか」
紅の表情が翳った事に、彼は気付いていただろう。
すっと目を細めるとその長い髭を指で梳いた。
「ここからが本題じゃ」
総隊長の真剣な眼差しに、紅は少しの緊張から手に汗を握る。
「私はここに残るよ」
そう言って微笑んだ親友の言葉は、紅の予想通りだった。
何故か、彼女はこの一件が終われば尸魂界に残ると言う確信に似た思いがあったのだ。
それをはっきりと口に出したルキアに、彼女は笑って「そっか」と呟いた。
「一護には…」
「もう話して来た」
「ん。じゃあ、喜んでるだろうね」
そう言って笑った紅に、ルキアは驚いたような表情で彼女を見つめる。
その視線に紅はまたクスリと笑った。
人差し指を伸ばし、トンとルキアの額に押し当てる。
「表情、凄く良くなってるよ」
「そう…か?」
「自分ではわからないもんだって。心の蟠りとか、全部なくなった?」
紅の言葉一つ一つがルキアを驚かせる。
気付いていないとでも思った?と首を傾げる彼女に、ただ頷く事しかできなかった。
それを咎める事もなく、紅は冷めたお茶を一口飲む。
「ルキアが何を背負ってるとか…そう言うのは、聞くつもりはない。でも、何かあるって事は気付いていた」
「紅にはお見通しか…」
「そう言う事」
そう答えると、紅はルキアの顔を覗きこむ。
行き成り近づいた距離に仰け反るルキアに対し、紅はにっこりと微笑んだ。
「うん。イイ顔してるよ、ルキア」
満足げにそう言うと、紅は軽く伸びをしてから立ち上がる。
最後の一口を湯飲みから喉に通してしまうと、もう一度「んー」と腕を真上に伸ばした。
「じゃあ、私も覚悟を決めようかな」
「覚悟?」
「そ。一護と、今後について話す覚悟。明日にはもう帰っちゃうしさ」
「…そうだったな。おぬしはどうするんだ?」
首を傾げるルキアを見下ろし、紅は苦笑を浮かべた。
そして、立てた人差し指を自身の唇に添える。
「一番初めに言うのは一護がいいんだ。ごめんね?」
後でちゃんと報告するから。
そう言った紅に、ルキアは彼女らしいと笑った。
「なら、一護の次に甘んじておく。ゆっくりとまた菓子でも突いて話そう」
「ありがとう」
「私も、過去について話したい気分なんだ。付き合ってくれるのだろう?」
彼女の言葉に、紅は珍しくもきょとんと目を見開く。
そしてその内容を理解すると何度も頷きながら「もちろん!」と勢いよく答えた。
「んじゃ、ちょっと行ってくるね!すぐに帰るから」
斬魄刀を腰に挿し、紅は休憩部屋を後にした。
残されたルキアは彼女の背中に向かって振っていた手を徐々に下げていく。
「無理に笑うくらいなら、帰ってこないでくれ…紅…」
紅がルキアの内に抱える何かに気付いたように、彼女もまた紅の表情に隠されたそれに気付いた。
ルキアには痛いほどわかっている。
彼女が、自身の責務と感情の間に揺れている事を。
人の居なくなった部屋の中、ルキアはそっと天井を仰ぐ。
さっき見た青空がその先にあると確信して、その瞼で蓋をした。
願わくは、彼女が心を痛めずに…笑って帰ってこられるようにと。
06.07.13