Raison d'etre sc.066
ダンッと床を抜くかのように、勢いよく足を踏み切る。
瞬きの間に縮まる距離。
それでも木刀の軌道を読み違える事は無く、寸分の狂いも無く二本のそれが激しい音と共にぶつかり合う。
「…やるな」
「そっちこそ」
くっと互いに口角を持ち上げ、拮抗状態が続く。
先に動いたのは紅の方だった。
ほんの一瞬腕の力を抜き、ぶつかり合う拮抗を解いてしまうとそのまま斜め前へと身体を押し切る。
一護も即座に体勢を立て直し、自身の脇を通り抜けた紅を目で追う。
が、行き着いた先にすでに彼女の姿は無く―――
「こっちよ」
振り向かせた身体をもう一度振り向かせなければならない背後からの声。
ちっと軽く舌を打って身体を反転させるが、それとほぼ同時に利き腕に絡まりつく何か。
まずいと思った時にはすでに右腕は自由を奪われ、手首に木刀の柄を打ち込まれて自身のそれを手放してしまう。
そして、それに気を取られた瞬間に、彼女の木刀はぴたりと首筋に添えられた。
「私の勝ち」
背後から耳元への一言。
楽しげなその声に、一護は自身の負けを認めざるを得ない。
「…まいった」
「結構いい線行ってたんだけどね。残念」
紅はそう言って笑いながら、まず木刀を彼の首筋から外す。
そして、次いで彼の右腕を絡め取っていたそれを解きにかかった。
それは彼女の飾り紐のようで、勝負を始めた時には綺麗に結い上げられていたはずの髪は背中へと流れている。
「跡が残ってる。ごめんね」
そんなに強くしたつもりはないんだけど、と言って紅は飾り紐の模様の残る腕を撫でた。
彼女の行動に首を振りながら大丈夫だと答える彼に安心したのか、紅はその腕を解放する。
そして自分で解いてしまったそれで、もう一度髪を結い上げた。
「二勝七敗一引き分け…か。思ったより強いんだな」
「まぁ、これでも隊長ですから。弱かったら示しがつかないでしょ?」
そう言って紅は得意げに笑う。
この二日、一護は暇を見つけては紅に勝負を挑んでいた。
一番初めに声を掛けたのは彼女の方だったのだが、それで負けて以来躍起になっているのが彼だ。
差し迫った仕事も無い紅は、彼に付き合って幾度と無く木刀を手に取った。
現在丁度十戦目が終わった時点で、成績は先程彼が言った通り。
負けっぱなしと言うわけではないがそれに近しい状態であるが故に、悔しさも一入といった風だ。
「負け続けてたら師匠に顔を合わせられなくなるしね」
「…白哉には勝ったけどな」
「次があったなら、白哉さんの勝ちだよ」
まぐれと言うつもりは無いが、それでも白哉が強いと言う事だけは譲れない。
自分の事のように言った彼女に対し、一護は軽く肩を竦めて苦笑を浮かべる。
「どっちの味方だよ」
「………さぁ?時と場合によりけり、かな」
そう言いながら、紅は少し嬉しそうに表情を綻ばせる。
そんな彼女の変化に一護が首を傾げた。
何だ?と問いかける彼に対して首を振って何でもないのだと伝える紅。
半年前ならば、どっちの味方と問われれば迷い無く白哉だと答えただろう。
一護だと答えるには、彼との距離がありすぎていると思っていた。
忘れられないと自覚しながらも心の奥底に沈めるように、唇を噛み締めてでも彼を選ぶ事は出来なかった。
それが、今は違う。
どちらを選ぶ事もできないと言う事が、嬉しかった。
ひと時の夢のような時間であったとしても、彼の隣に自分の居場所がある事が。
「変な奴だな」
苦笑を浮かべながら、一護の手が持ち上がる。
それはストンと、驚くほど自然に紅の頭上に下りてきた。
「………」
「…?どうした?」
撫でるでもなくただ頭の上に手を乗せた一護を見上げ、紅はぴたりと静止する。
その視線に気付いた彼が首を傾げて問いかけた。
「一護…身長、伸びたね」
「身長…?あー………そういや、一年前よりは伸びたな」
これくらいだけどな、と人差し指と親指の間を広げ、数センチの隙間を作ってみせる。
作り出された空間の分だけ開いた身長差。
「…同じくらいだったのに…」
「おいおい。いつの話だよ」
「何かずるいよね…男の人って。竹の子みたいにズンズン伸びてさー…」
確か、中学に上がったばかりの頃は自分の方が少しばかり高かった筈だ。
そして別れた約一年前には、抜かれてはいたものの見下ろされるほどではなかった。
しかし、今となっては彼の目は十センチほども上にある。
彼に見下ろされる事に慣れていない紅としては非常に微妙な心境だ。
「………ま、いっか」
じとりと一護の頭上を眺めていた紅だが、そう言って考えるのをやめる。
睨んだところで自身の身長が伸びるわけではない。
ある程度身長差があった方がいいかもしれない、と言う何となくの感情に動かされたと言うのもある。
「いいのかよ」
苦笑気味に笑い、一護はそう言って頭に乗せたままだった手を退ける。
そして、ふとある事を思い出した彼はその表情を真剣なものへと切り替えた。
「なぁ、どうするんだ?」
一護の言葉に紅は静かに目を伏せる。
言葉を選ぶように何度も唇を開いては閉じると言う行動を繰り返した後、彼女は漸くそれを開いた。
「………私の部下の一人が、藍染の元に居るの」
「あぁ、霧渡…だったか?井上から聞いた」
「付き合い自体は半年くらいなんだけど、右腕って言ってもいいくらいに信頼してる」
声を荒らげて自分を探したり、かと思えば、自分が動き易いようにと準備を怠らない。
文句ばかりを垂れている時もあったけれど、最終的には自分の意見に逆らう事など無かった。
戦闘時において、自身の背後に立つことを許せたのは隊の中では彼だけだ。
「彼が向こうに居る以上、私は何としてでも取り戻す」
自分の所為で、とは思わない。
いや、思わないようにしている。
恐らくそう言うと、霧渡は眉を顰めつつ呆れたように溜め息を吐いて
『俺が勝手にしたんです』
と言うだろうから。
自身の不甲斐無さを責める暇があれば、一日も早く彼がこの場に戻れるようにと動きたい。
「…そうか」
「でも、これからの事はまだ完全には決めてない。だから、もう少し待って?一護が帰る前にはちゃんと答えを出すわ」
彼女自身も決めかねている様子で、申し訳なさそうに眉を下げつつそういう。
それ以上を無理強いする事など出来るはずもなかった。
「なぁ、霧渡って男だよな…?」
「うん。ほら、ルキアの処刑目前だった磔架の時に私が話してた死神」
居たでしょ?と紅は首を傾げる。
あぁ、と返事を濁らせる一護だが、紅はそんな事など気にしていないのか彼について語りだす。
あの時は別のことに必死だったので今一はっきりと記憶に残っては居なかった。
かなり遠かったので鮮明ではなかったが、黒髪を一つに束ねた割と男前の彼。
とりあえず引きずり出した霧渡の映像に対して、一護は軽く眉を寄せる。
とは言っても眉間の皺は相変わらず健在で、さほど表情に変化は見られないのだが。
「うちの隊では私の次に強くて、副官の中では一番強いの………一護?」
「………何でもねぇ」
大きく変化していないとは言え、紅にとっては十分すぎるほどだ。
一護の表情に更に首を傾げた彼女に対し、彼はふいと視線を逸らしてしまう。
暫し彼の横顔を見つめていた紅だが、不意にピンと気付いてしまう。
「…それから、私がこの世界で三番目に信頼してる人」
今はね、と紅は悪戯めいた笑みを浮かべる。
態々それを付け足すと言う事は、今でなければその順位付けが変化すると言う事だ。
「一週間後にはきっと二番になってると思うよ。一番目の人が抜けて」
「………ややこしい話だな」
「だって、一護帰るでしょ?」
きょとんと自身を見上げる彼女の視線。
それを真っ直ぐに受けた一護は、その話の内容から順位をはっきりと見出す事に成功した。
つまりは―――
「…帰るぞっ!」
「あ、照れた」
「照れてねぇ」
「はいはい。見なかった事にしてあげるから安心していいよ」
先に歩き出してしまった彼を追い、その横に並ぶ。
特に苦労するでもなく自然と紅の足の速さにあわせられた歩調は完璧で、彼女はそれに対して口元を緩めた。
――まだ自分の居場所は残されている。
06.06.14