Raison d'etre sc.059
刃同士のぶつかる音は、いつ聞いても耳障りだと思う。
藍染だけを捉えていた視界に滑り込んだのは、予想していた人物だった。
「やはり立ちはだかりますか…」
「まぁ、当然やんな。邪魔させるわけにいかんし」
「手加減出来ませんよ。私、今かなり頭にきてますから」
「僕も手加減は苦手やねん」
笑みを消さない彼から、その本心を読み取る事は難しい。
そんな努力は無意味だとばかりに紅は表情を消して彼と対峙した。
横目で藍染が阿散井に歩み寄るのが見えたが、市丸を前に向こうへと気を散らせるのは危険だと自分を叱咤する。
力比べで勝てるほど紅に腕力がある筈もなく、徐々に自分の方へと刀が押されているのを気づかずには居られない。
賭けだな、と思いつつ、彼女は左手を刀から離す。
均衡が一瞬崩れるが、その間に空いた手は別の刀の柄を握っていた。
逆手に鞘から引き抜けば、丁度刃の通り道に市丸の手首がある。
「っと…二刀流か…忘れとったわ」
彼が身体を引く事を予測していた紅は前につんのめる事も無く、二本の刀を構える。
実践で使った事は無いが、訓練では幾度となく試した組み合わせ。
「何や飼い犬に噛まれた気分や」
「…飼いならされた覚えはありませんけど」
「でも懐いてくれとったやん。あんま紅ちゃんに刀向けたないから大人しくしとってくれへん?」
その言葉に紅は不愉快とばかりに幼馴染のように眉間に皺を刻む。
彼女の反応に彼は「やっぱあかんか…」と溜め息を一つ。
「全然残念そうじゃありませんよ、市丸さん。口元笑ってます」
「これ、癖やから」
調子が狂う。
それが紅の今の想いだ。
ニコニコと笑って刀を向けられても、今一危機感と言うものを感じられない。
それもこれも全ては市丸の刀に『斬る』と言う意思がないからだろう。
彼にとってはあくまで時間つぶしの足止めだ。
「…先手必勝で」
一つの溜め息のあと、彼女の身体は消える。
次いで囁くような声を、市丸は自身の懐で聞いた。
予想以上の速さに、珍しくも彼の口元から笑みが消え去る。
身体を捻る事で左の斬魄刀を逃れ、続いて迫る右のそれを自身の刀で受け止めた。
一際大きな接触の音がその場に木霊する。
だが紅はその音にも動きを止めずに初めに避けられた刀を手の中で回転させ、それを引き寄せる。
一歩間違えば勢いで自身を貫いてしまいそうな攻撃は彼のわき腹を掠めるだけに止まった。
「…ええ腕やな」
傷は薄皮一枚に止まったらしく、血は僅かに滲む程度。
紅は冷静な表情でそれを見つめると、彼との距離を開くように後方へと飛ぶ。
「手加減して戦うのは辛そうですね」
「…確かに、紅ちゃん相手に本気出さんとっちゅーんは無理あったみたいやわ。せやけど…」
「後一歩」
市丸の言葉を遮るように、紅は一言そう紡いだ。
視線は真っ直ぐに市丸を捉えたまま、彼女は続きを唇より発する。
「後一歩近づけば、あなたも斬ります。必要以上に感覚が研ぎ澄まされていますから一撃で致命傷ですよ」
「―――気づいていたのか…」
紅の背後より一歩だけ彼女の方へと近づいた東仙。
しかし、彼に背を向けているはずの彼女はそれに気づき、言葉で忠告した。
それ以上問答するつもりなど、彼女の内には無い。
「下がっとって。この子は本気や」
市丸は紅の向こうに立ち尽くす東仙に向かってそう言うと、わき腹に滲んだ血を拭う。
さほど指が汚れる事も無く、僅かに赤みを帯びるそれを眺めて口元を持ち上げた。
「紅ちゃんに怪我させられたんは初めてやな」
彼の言葉に、紅は警戒を弱めないながらも脳裏で「そう言えば…」と思う。
何度か遊び1割と言う風に刀を交えたが、いつも彼には軽く往なされてばかりだった。
本来ならば成長を喜びたいところではあるが、現状はそんな場合ではない。
ぎゅっと刀の柄を握る手に力を篭めなおし、市丸を見据える。
「私は―――…」
不自然に紅の言葉が途切れる。
隠される事のない霊圧が近づいてきていた。
集中しなければ勝負は一瞬で付いてしまう、そんな相手だと理解しながらも隙を見せたのは彼女。
「――――っ!」
「アカンなぁ。隙だらけや。さっきも藍染隊長にやられたのに、まだわからへんの?」
左腕の刀がガシャンと地面に転がる。
左肩に焼かれるような痛みを感じ、表情を歪めてそこに手を伸ばす。
噛み締めた唇の痛みなど気にならない。
紅の手が刀身を掴む直前に、まるでそれは逃げるように彼女の肩から抜ける。
真っ直ぐに伸びてきていたそれは赤い液体を纏いながら市丸の元まで戻った。
ドクンと鼓動に合わせて溢れた血に軽い眩暈すら覚える。
「――!」
痛みに鈍る聴覚で彼の声を聞いたような気がした。
脳内に直接響いた声の告げた真実は自身に関係のないものに思えた。
だが、最後に紡がれた内容に全身の血が凍るような錯覚を起こす。
『零番隊隊長雪耶が彼の手の内にあります』
真実より導き出した石田の推測を聞き、最早その場に止まると言う意思などどこにも無い。
彼の言葉が終えると同時に、足は双極の丘の方へと向けられていた。
僅かに乱れた呼吸と共に見たもの。
それは、何かに囚われたように動きの鈍った紅の肩を市丸の神鎗が貫く瞬間だった。
「っ紅!!」
その向こうに見えた状況も決して良いものとは言えず、一瞬のうちにどちらかの選択を迫られる。
「行って下さい。隊長は俺が」
一護は、追い越すでもなく自身の後に続いて声を発する者を一瞥する。
見覚えのある彼はすでに刀を抜き払い、その目に紅だけを映していた。
「…頼む」
その一言が彼に届いたかどうかを確認する事無く、速度を上げて駆け出す。
最後の一撃とばかりに刀を振り上げる藍染と、ルキアを腕に抱いたまま膝を突く恋次。
その二人の間に飛び込み、自身の黒い刀身で攻撃を防いだ。
揺れる身体を支えるように片腕で怪我の無い肩を抱きとめ、霧渡は警戒を市丸へと向ける。
彼は隊長で、そして自分は副隊長。
そこにあるのは明らかな実力差。
しかし、それを理由に引き下がれない理由が霧渡の中にはあった。
「早う止血したってな。傷口捻ってあるから結構酷いと思うで?」
すでに刀を納める彼は自身など眼中に無いとばかりに背を向ける。
彼が藍染の方へと意識すらも向けると同時に、紅は地面に膝をついた。
右手に持っていた斬魄刀を地面に突き立てる形でそれを支えにする。
「隊長!?」
「痛っ……ホント、手加減無しに抉ってくれたわね…」
「大丈夫ですか―――って、聞く方が間違ってますね」
呼吸荒く嫌味とも取れる言葉を吐き出した紅に、霧渡は溜め息を漏らしながら問いかける。
紅は自身の右袖を千切りとって肩の止血を行いながら苦笑を返した。
こうして安心していられるのは、恋次の元に一護の姿が見えるからなのだろう。
彼が居れば大丈夫だと言う安心感は一年前と変わらず、紅の中に確かに存在した。
「隊長、刀です」
「ありがとう」
痛みで落としてしまった刀を霧渡から受け取る。
まだズキズキと鈍痛を伝える左手にそれを握るが、役には立ちそうにない。
溜め息と共にそれを鞘へと戻し、視線を彼らの方へと向ける。
「ご自分くらいは守れますね?」
確認のように霧渡はそう問いかけた。
しかし、紅の答えを聞く前に彼はすらりと刀を抜く。
砕け散った蛇尾丸の破片が地面より飛び出し、360度から藍染一人を襲う。
それに合わせて動き出す一護と同様に、霧渡も紅の隣から姿を消した。
瞬く間に遠く離れた背中を見つめ、紅は一人表情を歪める。
三人の同時攻撃でどこまで藍染を追い詰める事が出来るのか。
言い知れぬ不安と共に、唇を噛み締めた。
06.04.12