Raison d'etre  sc.058

―――敵だ。

今まで護廷十三隊の隊長として認識していた彼を、本能が敵だと訴えた。
咄嗟に浮かんだのは隊長から任された彼女の存在。

「………下がれ、恋次!」

行動を起こすには、少しばかり遅かった。
東仙隊長の手に握られていた布に周囲を囲まれたかと思えば、その視界が揺れる。
妙な浮遊感の後に閉じた目を開けば、さっきまでとは違う風景がそれに飛び込んできた。
到着の拍子に巻き起こった砂塵が気管を刺激する。

「…双極…」

未だに気管に違和感を受けながらも、少し離れた位置にある双極を捉えたと同時に口がそう呟く。
一瞬のうちに転移させられたと言う事実は、思考を混乱させるには十分だ。
恋次が傍らで同じく驚いているのが、彼の呟きから読み取れる。

「ようこそ」

背後からの声は自身のみを強張らせるには十分だった。

「阿散井くん、そして…霧渡くん」

振り向いた先で、存在するはずの無い人物とあってはならない光景を目の当たりにした。

















「雪耶隊長っ!?」

即座に態勢を整えた霧渡は自身の刀を抜き去る。
そんな彼の行動に、藍染はクスクスと笑った。

「僕の生存に驚くよりも先に上司の心配とは…」

言葉を最後まで紡がせる事なく、霧渡は地を蹴った。
開いていた距離を瞬時に詰め、移動の回転を殺さないままに刀を斜めに振り上げる。
掠めるようにして身を引いた藍染を追うように更に一歩踏み出し、手の中で刀を回転させて逆手に構えた。
的を彼の手のみに絞り、その白銀の刃を振り落とす。
間を置かずに続いた攻撃を逃れる為に腕の力を抜いた刹那。
それを見逃さなかった霧渡はその腕から力の入らぬ紅を奪い、即座に後方へと身を引く。
彼女を抱いていた藍染の死覇装の裾が、ほんの数センチだけその被害を受けた。

「…本当に、見上げた忠誠心だ。いいだろう。用が済むまで預かっておいてくれ」

先程最後まで紡がれなかった言葉の続きとばかりに彼はそう言った。
霧渡は彼を警戒しながらも、その刀を下ろして腕に抱く紅へと視線を向ける。
外傷は見当たらないものの彼女はこれだけ動かしても目を覚まそうとはしなかった。

「隊長!」
「心配しなくても数分後には目を覚ますよ。さて…待たせてすまないね、阿散井くん」

藍染は霧渡から視線を外すと、それを恋次のほうへと移動させる。
そして彼の方へと一歩近づいた。

「朽木ルキアを置いて退がり給え」
















己の隊長を腕に抱いている時点で敵だと判断したものの、事実を聞けばまた心境は変化する。
五番隊副隊長雛森と、十番隊隊長日番谷、そして己の部下である樋渡が負傷したと言うこと。
藍染がその口から語ったと言う真実。
そして、零番隊隊長がその手の内にあると言うこと。
最後の一つは今の時点ですでに変わっているも、残りは知らなかった事実であった。
霧渡は脳内に直接響く女性の声に眉を顰める。
信じられないような内容だが、紅の様子、そして目の前の光景を見れば頷かざるを得ない。

「朽木ルキアだけ置いて退がるのが厭だと言うなら仕方無い」

笑みを絶やさずルキアを手放せと言う藍染に、恋次はもちろん否を返す。
そんな彼に向かって藍染はそう言った。

「こちらも君の気持ちを汲もう。朽木ルキアは抱えたままで良い」

手を出そうとする市丸を制し、彼は前へと進み出る。
そして己の斬魄刀の柄へとその手を滑らせた。

「腕ごと置いて退がりたまえ」

今まで見てきた藍染など、どこにも居なかった。















恋次が藍染の刀をかわすのを、霧渡は手を握り締めて見つめていた。
手を貸しに行きたいと思っても、紅の傍を離れるわけには行かない。
彼女の命令に忠実に従うならば優先すべきはルキア。
だが、そんなことを霧渡が出来るはずもなかった。
そんな時、不意に自分の袖が引かれていることに気づく。
視線を落とせば、表情は硬いながらもしっかりと目を開いている紅がいた。

「…今の話…聞いた?」

彼が言葉を発する前に、紅は霧渡に向かって尋ねる。
思考も戻ってきたのか彼女は視線を恋次たちの方へと向けていた。

「はい」
「…樋渡の事…ごめん」
「隊長が謝ることじゃありません。卯ノ花隊長がいらっしゃるなら、あいつも大丈夫です」

視線は藍染から離さず、霧渡は紅に向かって答える。
彼女はその答えに悲しげに目を伏せた。

「いつ、気が付いたんです?」
「私にも伝えてくれたみたいだから…それで」

そう言うと紅は自身の身体を支えるように地面に手を付く。
それを見届け、霧渡は彼女の背中を支えていた手を解いた。

「身体は?」
「…外傷は無いわね。まだ少し頭がくらくらするけど、動けないほどじゃない」

後半部分でその症状を感じたのか、自身の手を額へと動かしながら彼女は頭を軽く振り動かす。
余計に酷くなりますよ、と言う霧渡の言葉通りに、倍になって返ってきた眩暈に彼女の身体が傾いた。

「ったく…動けないならじっとしててください」
「何だか立場が逆なんだけどなぁ…」

地面に片足を付き、もう片方の膝を立ててそこに紅の背中を預ける。
そんな先程の姿勢に逆戻りとなった紅は溜め息と共にそう呟いた。
異性を支え、支えられていると言う現状だが、二人はそんな事を気にしている様子も無い。

恋愛感情が全くない為か、もしくは信頼ゆえの事か。

この二人だから恐らく後者で間違いは無いだろう。
そして何より、現状はそんな些細な事を気にしていられるほど良いものではなかった。

「…邪魔になるだけですよ」

藍染の刀が恋次を掠めるのを見て、紅はぐっと自身の身体に力を篭めた。
しかし、それは霧渡の声によって制される。
確かに自分があの場に行っても役には立てないし、寧ろ足手まといであろう事は彼女自身もよくわかっていた。
自身の理性と、そして藍染の行動の意味を知りたがる思考とが動きを止める手伝いをする。

「それより、大丈夫ですか?」
「だから身体は…」
「日番谷隊長の事です」

その問いかけに紅は軽く目を見張る。
しかし、すぐにその質問の意味を悟ると眉を下げて答えた。

「…卯ノ花隊長が付いてくれてるから…私に出来る事は何も無いわ」
「それはわかっていますけど、心配でしょう?」
「………大丈夫」

心配で仕方が無いと、彼女がそう思っていることは明らかだ。
日番谷だけでなく、部下も友人も重傷を負っているのだから当然の事なのだろう。
寧ろ、この場からすぐに駆け出してしまわないだけでもその褒められる自制心の持ち主だ。
そんな事を考え、霧渡は溜め息を零した。

「さっさと眩暈をどっかにやってください」
「そんな無茶苦茶な…」
「で、さっさと彼らの様子を見に行きましょう。
ついでにあの旅禍たちも迎えてやればいい。零番隊の奴らは皆、彼らを歓迎しますよ」
「霧渡…」

そう言うと霧渡は背中に添えていた手をゆっくりと外す。
だが、紅が態勢を崩す事は無かった。
徐々にではあるが本調子を取り戻しつつある彼女に微笑みかける彼の笑顔は実に爽やかなもの。

「…いい男よね、霧渡って」
「お褒め預かり光栄です。ま、そんな冗談を言ってる場合じゃないですけどね」

彼の視線の移動につられるように紅も目線を動かす。
目の前に広がる光景に彼女は眉を寄せ、そしてゆっくりと立ち上がった。
迷い無く斬魄刀へと手を伸ばして音もなくそれを抜刀する。

「巻き込まれないようにしてて」

背中で霧渡にそう声を掛けるなり、紅はトンと地面を蹴る。
自分の接近にも気づいていると思われる相手に小細工など無用。
ただ自身の速さだけを信じて向き合うのみ。

『恐れに刃を鈍らせる必要など無い。お前は強い』

脳裏を過ぎった師の言葉に、背中を押されたような気がした。

06.03.26