Raison d'etre sc.057
聞いた話では、紅が母である姶良の力によって転生させられたのは彼女がまだ1歳前。
もちろんそんな幼い…寧ろ生まれたばかりとも言える様な頃の事を覚えているはずがない。
でも、それでも――――
「おいおい、間抜けな面してんなぁ。でも…俺と姶良に似て美人に育ったみたいで何よりだ」
その優しさや声を覚えていた魂が声を上げる。
懐かしい。そう泣き叫んでしまえ、と。
「まやかしなんて…」
俯き、前に立つ彼を視界に納めないようにして紅は漸くその言葉を紡いだ。
「彼をその目で見たことはないんだろう?よくわかったね」
「わかると知った上でまやかしを作り出したのはあなたでしょう…」
「はは、違いない」
藍染の言葉が酷く近くで聞こえ、紅は漸くその顔を持ち上げる。
からくりがわからない以上、目の前の男を無視しようとする努力は無駄のようだ。
「…瑣迅、ですね」
問いかけではない確認の言葉に彼、瑣迅はくっと口角に笑みを浮かべた。
まっすぐな彼女の視線を受け止め、偽りの彼は何を思っただろう。
「そうだ。君の父親だよ。感動の再会は楽しんでいただけたかな?」
「今この時この場所でなければ素直に喜べました」
藍染の問いかけにそう答えると、紅は今度こそ完全に斬魄刀を抜き去った。
白銀の刀身が現れると藍染は目を細める。
「さっきの続きがまだだったね」
「続き…?」
瑣迅の登場ですっかり抜け落ちてしまったのか、紅は怪訝な表情を浮かべて問い返す。
「“君は死ぬべきじゃなかった”」
「っ!?」
先程の瑣迅の言葉を紡ぐ藍染。
紅はその言葉に息を呑んだ。
「日番谷くんに聞かなかったかい?『この辺りに虚が集まっている』と」
『なるほどな…。道理で虚が周辺に集まってるわけだ…』
現世での自分が死に、日番谷と初めて出逢った日。
彼が紡いだ言葉がおぼろげながらに紅の中に蘇る。
「虚はそれぞれが縄張りのようなものを持っているから、基本的に集団の虚に出くわす事なんて皆無だ。
集団行動をするのはよほど知能の高い虚のみ」
それは紅も知っていた。
事実、虚の大量発生など数えるほどだった。
尤も…零番隊には珍しい任務が舞い込むことが多い故に、他の隊よりもその頻度は高いだろうが。
「にも関わらず虚が集まっていたのは何故か。…答えはいたって簡単だろう?」
「………意図して、集められていた…か、ら」
出来るならば外れてほしいと思った。
しかし、藍染は彼女の言葉に満足げに頷いてしまう。
それだけで目の前に答えが見えてしまった自身の判断力の速さを、これほど憎いと思ったことはない。
「僕が虚を送り込んだ。全ては君をこちら側に迎え入れる為だけに」
ギィンッと刀同士の接触音がその場に響く。
「あかんって言うたのに…自分を抑えや、紅ちゃん」
「煩い!!」
「…そない霊圧を開放したら、そこに倒れてる三人がそれに中てられるで?」
脇差ほどの長さの神鎗で紅の天狼を押さえつけながら市丸は紅の後方を指す。
過度の霊圧が身体に悪影響を及ぼすことを思い出した彼女は、僅かにその力を抑えた。
しかし、溢れんばかりの殺気は治まることを知らず、開放の時を待って藍染へと牙を剥く。
「あなたが…っ!私の居場所を奪ったと言うのですか!!!」
「その通りだ」
「私はあそこに居たかった…っ!!」
一護の隣に居たかった。
その想いが紅の内部に溢れる。
自身の寿命であったならば諦めも付いた。
事実、今までの一年と少し…紅はそう思うことで悲しみを受け入れていたのだ。
しかし、全ては本来ならばある筈のないものだった。
「…理解し難い感情だが、君のその想いの深さは認めよう。目を見張るほどの成長振りがそれを表している」
「この想いは誰かに認めてほしかった訳じゃないっ!!」
ギギ…と悲鳴を上げていた刀が紅の動きによって離れる。
拮抗していた力が無くなったにも拘らず市丸は一瞬たりとも体勢を崩したりはしなかった。
紅は彼から距離をとると、自身の手に持っていた天狼を深く床へと突き立てる。
そして残り二本の斬魄刀を鞘から抜き去った。
「天狼!深月!霽月!雪耶の名に於いて暁斗を解放せよ!」
早口で捲くし立てるかのようにそれを紡ぎ、紅は天狼の脇へと二本を差し込む。
「困るな、最後の斬魄刀を解放されては」
次の詠唱に入ろうと口を開いた紅は背後からの声にその身を強張らせる。
一瞬の隙は、藍染には十分すぎる時間だった。
どさりとその身を地面に伏した紅を見下ろし、市丸は彼女に歩み寄った。
「何や大気が震えるほどに霊圧が跳ね上がりましたなぁ…何でしたん?」
「あれが『彼女』の斬魄刀だろう。実に素晴らしい」
「へぇ…見たかったなぁ」
「そのうち見れるさ。思ったよりも時間を食ってしまったな…行こうか。ギン」
そう言って藍染は日番谷の卍解の名残である氷を踏みながら階段を下りていく。
そんな彼の進路に二人の人物が足を踏み込んだ。
「…やはり此処でしたか。藍染隊長」
静寂に乗った声は決して怒鳴るでもなく静かにその場に響く。
副官を傍らに引き連れ、その場に姿を見せたのは四番隊隊長卯ノ花である。
「…いえ、最早“隊長”と呼ぶべきではないのでしょうね。大逆の罪人、藍染惣右介」
彼女は静かにそう紡ぎ、そして彼の腕に抱かれる紅の存在に気づいた。
僅かに眉を寄せ、彼女は言う。
「雪耶隊長をこちらへお渡しなさい」
「それは出来ない相談だ」
「その子を尸魂界に迎え入れる際に聞いた筈です。彼女には何も告げぬようにと」
「心外だな。この子は全てを知っていたよ。少なくとも、自分と瑣迅の関係は」
そう言って藍染は紅の頬に手を滑らせる。
その光景は、数日前ならば微笑ましいと取れるものであった。
しかし、今となっては不快を高めるだけである。
「何を考えているのですか。瑣迅をこの場に…彼女の前に引きずり出すなど…」
目を細めた卯ノ花の視界には、藍染の後ろに控える瑣迅の姿が映っていた。
娘が意識を手放して尚、彼はその口元の笑みを絶やすことなくその場に立っているだけである。
彼と言う人物を知っている卯ノ花にとって、彼の存在そのものが偽りであることは明白であった。
「あれほど精巧な『死体の人形』を作れるならばそれも不思議ではないのかもしれませんね…」
卯ノ花の呟きを聞いた藍染は一瞬表情を止め、次に楽しげにそれを歪めた。
「残念だが、彼もあの僕も人形ではないよ」
彼の言葉に反応するように瑣迅は足を動かして彼の隣へと立つ。
警戒を強めた卯ノ花の副官である勇音だが、彼は彼女など視界に入っていないかのようだった。
「砕けろ、『鏡花水月』」
声と共に瑣迅の姿は砕け、代わりにその場に斬魄刀が残る。
「僕の斬魄刀『鏡花水月』。有する能力は『完全催眠』だ」
戸惑う二人を前に、藍染は言った。
五感の全てを支配する鏡花水月の能力。
時に蝿を竜に見せ、沼地を花畑に見せると藍染は言った。
発動条件は鏡花水月の解放を見せること。
そして、一度でもそれを目にした者は完全催眠の虜とされる。
彼は盲目の死神、九番隊隊長東仙は自身の部下だと口にする。
「さようなら。君達とは、もう会う事もあるまい」
引き止める声も空しく、藍染は市丸の放った布に、彼共々その姿を掻き消した。
それとほぼ同刻。
「…と…東仙隊長…!?なんで…こんな処に…」
「………下がれ、恋次!」
本能的に霧渡はその身を引く。
幾度と無く敵と対峙した、あの時の緊張感と同じ何かを感じ取った。
彼の言葉に驚く恋次を前に、東仙は自身の左手に持っていた布を解く。
自己を持っているかのようにそれは動き、彼だけでなくルキアを抱く恋次と霧渡をその内部に巻き込む。
そして、藍染の時同様にその姿を消した。
06.03.18